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「だから言ったでしょう。ここから離れなさいって」
がらがらと瓦礫をふるい落としながら赤いフードの少女がゆっくりと立ち上がる。
額から流れる赤い血はまるでフードの延長の様で。
「おい動いて大丈夫なのか!?」
「人の心配をしてる場合かしら? あなた弓矢で射られかけたのよ」
「…………びっくりがまだそこまで追い付いてないだけかな、女の子が降ってきた所で俺の理解が止まってるんだ。それより、あのふざけた格好のやつらは一体?」
ざり、と。厚い靴底が公園の土を踏む。
暗闇から桜辺たちの前に姿を現したのは剣や槍、弓矢を構えた奇抜な見た目の兵士達。
「ハートの女王が使役するトランプ兵たちよ」
「見た目で分かる情報をありがとう!!」
そうしている間にも彼らを取り囲む兵隊の数はじわじわと増えていく。
「どうみても中に人が入ってるサイズ感じゃないよな。どうやって動いてんだ、流行りのドローンとかAIとかか?」
「あなたこの状況で意外と余裕あるわね。肝が据わっているとも言うかしら」
今まさに命の危機を間近に感じた恐怖から桜辺の額にはじっとりとした汗が浮かび、その身を支える両膝は微かに震えている様にも見える。
だが彼の瞳に宿るのは恐怖心だけではない様にも見える。
「自分でも驚いてるよ。まさか毎日妄想……もとい想像してたような非日常的な出来事に巻き込まれてるみたいで正直ちょっとワクワクしてる」
「呆れた」
じりじりと。それぞれの得物を手にしたトランプ兵が距離を詰めてくる。
「心配しなくても自分の身は自分で守るさ」
がらん、と。少年の汗ばんだ手がベンチの残骸から適当な長さの鉄の棒を拾い上げ、握り心地を確かめる様に軽く振り回した。
「ますます呆れた……、馬鹿な真似はやめてあなたはさっさと逃げなさい。元々狙われてるのは私だけ、逃げるあなたまでは追いかけてこないでしょう」
「残念だけどあちらさん、そうは思ってないみたいだぞ」
ガチャガチャと鎧を鳴らし、剣を手にした兵隊が桜辺に向かってくる。
「危ない――――っ!!」
ガギィンッ! 振り下ろされる鉄の剣を頭上に構えた鉄棒で受け止めた桜辺の表情が苦悶に歪む。
「いっ――――――ってえ!!」
いわば両手で握った金属バットで、鋼鉄の塊にフルスイングを決めた様なもの。
硬い衝撃が両腕を通じて桜辺の全身に伝播する。
上から横から二度三度。
トランプ兵の剣戟を受け止めるにつれ、鉄棒を握る彼の指先から力が抜けていく。
そして。
カァンと、四合目の打ち合いにしてとうとう少年の手先から身を守る為の唯一の道具が跳ね上がる。
「――――クソっ」
その瞬間を待っていた様に一歩引いた位置から様子を伺っていた他のトランプ兵が剣を振り上げ槍を構え無防備な少年に向かって飛び掛かる。
「全くっ、だから言ったでしょう!」
赤いフードをなびかせて、弾丸の様に少女が飛び出した。
少女の腕が桜辺のシャツを背中から掴む。
「んゥぐっ!?」
意図せずのけ反る様な体勢を強いられた少年の口から苦悶の叫びともとれるくぐもった音が漏れだした。
直後。
桜辺の鼻先を刃が掠め、はらはらと少年の前髪が舞い落ちる。
「さっきから急に首根っこ引っ掴むのやめてくんないかな! あと助けてくれてありがとう!」
ゲホゲホと咳き込みながら半ばやけくそ気味に礼を口にする。
「いい加減分かったでしょう。数が取り柄の雑魚兵士とはいえただの人間がまともに抵抗できる相手じゃないって事くらい」
「それをいうならあんただってただの女の子で――――」
「……行っておくけど、あなたの理解を待つつもりは無いわよ。私もあのトランプ兵もそれをけしかけてくるあの《女》も人間じゃない、登場人物と呼ばれる存在。私がトランプ兵に追われているのは登場人物同士で争って勝ち残った最後の一人はたった一度だけ自身の物語を好きな様に書き変える事が出来る、っていう戦いが行われているから」
宣言の通り、突如命の危機まで感じられる出来事に巻き込まれた少年に対してあまりにぞんざいともとれる簡潔な説明。
初めから少年に対して理解も納得も求めていない赤フードの少女の言葉に、桜辺はぽかんと口を開けたまま固まっていた。
「まあ当然の反応ね。話が吞み込めないのは分かるけど事実として今まさに危機的状況だという事くらいは――――」
「すげえええええええ!!」
腹の底からでた歓喜。
背後で突如上がった絶叫にビクっと肩を震わせる赤フードの少女。
「……え?」
「あーそれで赤ずきん! じゃああっちのトランプ兵は不思議の国のアリスからか!」
「……いや、あの」
「つまりお話の中の登場人物が現実に現れて、それぞれの望みをかなえる為の命がけの戦いが行われてて今まさにそこへ俺が巻き込まれてる、って事だよな!?」
「……あっハイ」
弓矢で射られても鼻先を刃が掠めても冷静な態度を崩さなかった少女が初めて困惑の表情を見せた。
「うおおおおおおまじか! 夢にまで見た│非現実! まさか本当にこんな出来事が現実に起こってるなんてそれがしかも俺の目の前で!!」
「あー、ちょっといいかしら妄想少年。私たちが置かれている状況は理解できてる?」
今の状況を踏まえ、明らかに間違った方向にテンションが上がりきっている少年に対し頭を抱える赤ずきん。
そんな二人を中心にトランプ兵の輪がじわりと縮んでいく。
四方八方から向けられる無数の凶器。その切っ先の全てが自分達を向いている中で桜辺の表情に浮かぶのは恐怖や絶望と言ったものは一切なかった。
「おっとそうだピンチは変わらず継続中だった。それで赤ずきん、こういう時は一発逆転の奥の手が出てくるってのがお約束なんだけど」
「今、私たちに取れる道は二つ。一つは私が何とかあいつらの隙を作ってあなたを逃がす」
「俺を逃がした後、あんたも無事でいられる可能性は?」
「…………ゼロじゃない、とだけ言っておこうかしら」
そう小さく漏らした少女が僅かに視線を逸らしたのを桜辺は見逃さなかった。
「それでもう一つは? 二人一緒にこの場を切り抜ける方法があるんじゃないの」
「あるには……ある。だけど確実じゃないし、もしこの場を乗り切ったとしても今以上の危険にあなたを巻き込む事に――――」
「よし、それでいこう!」
パン、と両手を合わせる桜辺。
少年のあっけらかんとした態度とは対照的に、赤ずきんは額に手を当て大きなため息を一つ吐いた。
「話をちゃんと…………聞いた上で、その反応なんでしょうね」
「どんな状況であれ、女の子一人残して逃げ出す様な主人公を妄想した事なんて一度もないんでね」
「後から後悔しても遅いわよ妄想少年」
「桜辺紡だ。よろしく赤ずきん」
「――――紡、あなたの《役割》に相応しい良い名前ね」
「役割? 勿論、俺に出来る事なら協力するけど――――むぐ!?」
少女の小さな指先が桜辺の口をそっと封じる。
「ここから先、何があっても疑問は無し。私の言う事を信じて」
僅かな逡巡も無く、少年は黙って首を縦に振る。自身の言葉を迷いなく受け入れてくれた桜辺に対し、少女はほんの小さな笑みを浮かべた。
「我が物語を汝に託す。汝、言の葉を以て我が運命を紡ぎ給え」
少女が言葉を終えるが早いか、周囲のトランプ兵がざわめき出す。
「おいおいおい何かあいつら興奮しだしたぞ!」
「いいからよく聞いて! 汝の物語、我が言の葉を以て勝利に導かん。ハイ復唱!」
「えっ? な、汝の物語、我が言の葉を以て勝利に導かん!」
瞬間、二人の周囲を強烈な閃光が埋め尽くした。
「うおおおお、お?」
恐る恐る目を開けた桜辺の視界に映るのは真白な空間に立つ赤ずきん。
「何ここ!? あいつらはどこいったんだ!?」
「はいストップ。説明は全部後回し! ここからは《二人で》あいつらと戦うわよ」
「お、おう。それで俺は何をすればいい?」
「イメージするのよ……あなたの場合、妄想と言ってもいいわ。奴らトランプ兵たちに勝つ私の姿を」
「イメージってそんな急に言われても…………うーん」
額に手を当て脳をフル回転させ思い描くは赤ずきん。少年の脳内に彩られるのは、小柄な彼女が兵隊の群れを相手に立ちまわる躍動感のある場面。
「そのイメージを言葉にして! それがあなたの│語り手の役割!」
「ああもう、どうなっても知らねぇぞ!」
半ばやけくそ気味の桜辺が大きく息を吸い込む。
『赤ずきん、――――――――っ!!』
少年の口から奔る言葉が小さな公園に響き渡った。
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