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「そろそろ帰らなきゃ」  兄嫁の友里恵(ゆりえ)が華奢な腕時計に目を落としてそう言ったのは、午後4時頃だった。外はまだ明るく、喫茶店も混んではいない。未鈴(みすゞ)は驚いて顔を上げ、友里恵の黒い瞳を見つめた。 「もう? 小さい子がいるでもなし、このあと何か用事でもあるの?」  子宝に恵まれぬまま、兄は昨年50歳で亡くなった。友里恵は一人暮らしなのだから、凝った夕飯の支度をする必要もないはずだ。 「用事は特にないけれど」 「じゃあ、なんで」  友里恵は細い首を傾げ、眉尻を下げて微笑んだ。 「私が家にいないと、寂しがるから」 「……え?」  兄嫁の表情は、一見困っているようであり、どこかのろけているような雰囲気も感じる。が、喪が明けたばかりだし、年齢を考えても彼女に新しい恋人がいるとは思えない。 「猫でも飼い始めたの?」 「いいえ?」 「だよね」 「生き物は、先立たれるとつらいもの」  じゃあ、何がいるって言うのよ。その言葉を未鈴は飲み込んだ。もしかしたら、植物や人形の話だろうか。葬式の時からあまり悲しんでいるように見えないとはいえ、彼女は夫を亡くしてまだ1年の未亡人だ。寂しさからそういう妄想に取り憑かれてしまっても、無理はないのかもしれない。
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