探偵と殺意を込めた飲み会を

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 店内は昼前だからか、駅前だからか人が多かった。 「さっさと買って帰りましょ」 「そうだな」 僕らは自動ドアの中へ入る。すると先生は立ち止まり、右を向き、僕に小声で話しかけた。 「あのコピー機の前に鼠色のスウェットを来た男性が見えるだろう」 「はい、あの人がどうかしたんですか?」身長は僕と同じくらい一七〇センチ前後、サンダルの踵を踏んで、右足でリズムを取りながらコピーを待っている。本のページを印刷しているようで、開ける箇所を変えながら何度も印刷をしている。コピーをしている間、横に並んでいる漫画雑誌を立ち読みしている。 「あの人が買うものを当てよう」 「え、わかるんです」“か”と言う手前、先生は初めて見た人でもすぐに職業を言い当てることがしばしばあったことを思い出した、まるでホームズのようだった。 「あぁ、エナジードリンクと安い弁当、それにワゴンに入っている商品、おそらくミント風味の強いガム辺りだろうな。あとは筆ペンの替えだ」先生が言い終わるとほぼ同時に男性がコピー機から立ち去り、印刷した本や紙を袋に入れてすたすたと歩きだす。僕らも後を追う。カゴを取り、ドリンクコーナーの前で立ち止まる。エナジードリンクを何本かカゴへ放り投げ、ワゴンの前で立ち止まる。じっくり商品を眺めた後、ボトルガムを取った。黒いパッケージでミントの風味が強いものだ。そして一番安いであろう弁当をカゴに入れ、思い出したように文房具コーナーへ行き、筆ペンの替えを入れた。そのままレジへの行列の最後尾になった。 「どうしてわかったんですか? しかも筆ペンまで」僕らは行列から離れ、雑誌売り場の前でぼそぼそと話す。 「あの人は恐らく売れない漫画家、もしくは漫画家志望だ。スウェットは毛玉が多く、髪はぼさぼさ、靴の踵を踏んでおり、耳の上の髪には眼鏡の跡がくっきりとあった。恐らく家からほぼ出ない生活をしており、人の目を気にしない服装だ。そして随分と猫背で、ズボンのお尻の辺りにはアイロンをかけたようにシワが付いていた。ずっと座ったままの姿勢で居る証拠さ。右手の中指には大きなペンだこがあり、手の指先や側面にはインクがしっかり付いていた。また右肘の辺りに漫画を描く時に使うスクリーントーンの切れ端が付いていた。そこから漫画家だと、たどり着いたのさ」先生は自信満々に、すらすらと話す。 「なるほど、でもそれだったら、売れていないとわかった理由は何ですか?」 「まだ芽が出ていない証拠は、コピーの最中に漫画雑誌を読んでいたから、しかも目的のページを探して、じっくりと読んだあと、下唇を嚙みながら雑誌を戻した。恐らく、自分の漫画が賞を取っているか確認し、期待した結果と違ってすぐに雑誌を戻したのだろう。入賞していたら事前に連絡は来るだろうから、雑誌で確認すること自体落ちている証拠だな。それで、財布が寂しいために安い弁当と安くなっているワゴンからガムを取ると思ったんだ。ワゴンの中には売れておらず、日持ちするものが入っているからな。それに疲れても書き続けられるようにエナジードリンクもセットで買ったんだ。筆ペンの替えが分かったのは、コピーしていた紙はかなり黒かったからだ。おそらくあれは漫画の資料だろう。そしてそれを参考に描くのなら随分とインクを消費するだろうと思ったのさ。ボールペンのインクでは足りない、かといって漫画用のインクはコンビニには置いていない。よって筆ペンだと睨んだんだ」 「は―……、さすが先生ですね」相変わらず先生の推理にはあっぱれだ。すると、 「すいません、探偵さんですか?」と後ろから男性の声がした。僕らは振り返る。 「へ?」当の本人、探偵青柳先生は間抜けな声を出した。 「あれ、違いました?」お酒やジュースを入れたカゴを持った男女が立っている。男性はチェック柄の上着と少しダボっとしたズボンを身にまとっている。どちらも茶色だ。足には革靴が光っている。女性は白のセーターにベージュの上着を着ており、すらりと伸びる脚を強調するデニムとロングブーツを履いている。彼女が肩までのストレートの髪をかき上げた時に、手のネイルが見えた。全ての指で違う柄をしている、僕にはわからないオシャレだ。それに左手の親指付け根に湿布を貼っている。 「えぇ、探偵をしていますよ」先生は背筋をわざとらしく伸ばして、真面目な顔で言った。その奥には話しかけられたことへの嬉しさがあるようで、それは口角の微妙な持ち上がり加減からにじみ出ている。 「すいません、オレたち、今から家で飲み会をするんですけど、友達が探偵小説を好きで、もし良かったら、お話を少しだけ聞きたいな……なんて、思ってたんですけど……」 「やめな、淳一、迷惑だって!」女性は強めに言う。 「そ、そうですよね、迷惑ですよね。すみません! やっぱり何にもです!」淳一と呼ばれた男性は、僕らが一言も発する間もなく自己解決してしまった。 「いえいえ、全然迷惑ではありませんよ」先生がようやく口を開いた。 「立ち話も何ですので、そちらへ向かいましょうか。買い物を済ませてしまってください」とんとん拍子で話が進む。 「でも依頼料とか高いんじゃないですか?」一方で女性は冷静に金銭勘定をしている。 「いえ、依頼ではないのでお金は取りませんよ。お酒を少し分けて頂ければ」ちゃっかり便乗して飲酒もするつもりだ。 「それぐらいで良いなら大歓迎ですよ!」男性はさっさと買い物の続きに戻る。女性は「すいません」と会釈をして男性の方へ行った。 「誘ってもらって良かったな」僕らは外へ向かいながら話す。「良かった」というのは、昼食代が浮いたからだろうか。 「でも先生、何を話すことがあるんですか?」 「過去に解いた難事件の話だろう」 「はぁ、でも」と言いかけたところで先ほどの男女が会計を済ませて外へ出て来た。 「すいません、お待たせしました」男性は財布を上着のポケットにしまいながら言う。二人共片手に袋を持っている。 「いえいえ。僕たちは車で来たので、一緒に行きましょう。お二人は徒歩でこちらへ来たのですよね? それも国道沿いから」 「そうです、すごい!」男性は目を輝かせた。 「どうして、分かったんですか?」女性は怪訝そうな顔で僕らを見る。僕まで怪しい者扱いをしないでもらいたい。 「いえ、お二人の靴に泥水が少し付いているからですよ。普通、友達と会う時にはキレイな靴で出かける筈です。なので、二人が同じように汚れているのは、ここに来る最中に泥水が跳ねることがあったから。車で来たのでは汚れませんので、恐らく歩きだろう、と。そう考えると国道沿いは大きな車が通るので、今朝出来た水たまりから跳ねた水を受けやすいと考えました。細い道なら水が跳ねないようにゆっくりと通るはずです。ちなみに徒歩で来た理由は、飲み会をするので車では来ていないため、でしょうか」先生は澄ました顔でスラスラと推理を披露する。僕以外の人の前で披露することが出来て、さぞ気持ちいいだろう。 「すごい! やっぱり声をかけて正解だった! さぁ、行きましょ!」男性は一人で興奮している。 「さ、杉山くん、車を出して」先生もずいぶん気分が良くなっている。一緒に働くようになって早二年半だが、こんな姿は滅多に見ない。僕はトランクを開けて二人の持つ荷物を入れてもらう。女性がどさりとトランクの左端に置き、男性はその右に荷物を置く。中身がちらりと見える。女性はおつまみやお菓子が入った袋を、男性はビールやジュースが何本か入った袋を持っていたようだ。僕はトランクを閉め、運転席に乗る。もうすでに助手席に先生、運転席の後ろに男性、助手席の後ろに女性が座っていた。案内は女性にしてもらうことにした。 「そういえば自己紹介が遅れましたね、私は青柳探偵事務所の青柳です、こちらは助手の杉山です」と先生。僕も、どうも、と言っておく。 「オレは淳一、北川淳一です」 「アタシは西尾美香よ」と後ろから聞こえる。淳一さん、美香さん、と心の中でつぶやく。淳一さんは少し腰の低い方で、美香さんは少し気の強そうな方だ。二人がもし交際したら、まっさきに美香さんが尻に敷くタイプだろう。積極性は淳一さんの方がある、悪く言えば少しばかり無鉄砲かもしれない。美香さんは物事を丁寧に観察して、じっくりと決断するタイプだろう。 「今友達に連絡したら、探偵さん達が来ても問題ないそうですよ!」 「そうか、それは良かった」 「色々とお話が聞けるの、楽しみです! 探偵さんなんて初めて会いましたよ!」先生と淳一さんは仲良く話しているが、美香さんの声は道案内の時しか聞こえない。バックミラーを確認すると淳一さんは先生と談笑し、美香さんは髪を耳にかけながら外を見つめていた。どうやらあまり僕らの同行を好んでいないらしい。すると先生が、 「美香さんは、今日はネイリストのお仕事はお休みなんですね」と話を振った。それも職業を言い当てるというおまけ付きで。 「え? なんでわかったんですか?」と聞いたのは淳一さんで、当の美香さんは静かにしている。バックミラーを少し見ると口を開けて、先生を凝視する美香さんが映っている。 「簡単なことです。ネイルが指十本分、全て違う柄をしている。これは練習のために自分の爪を使っている証拠です」 「でもそれじゃ、単に奇抜な爪をしている人の可能性だってあるんじゃないですか?」僕は運転席から口をはさむ。 「それに、左親指に湿布を貼っている。恐らくお客さんの手を固定するために、変に力を入れ続けているせいで腱鞘炎になっているのでしょう」先生は意地になっているのか、そう続ける。 「そうです、すごいですね、探偵さんは」印象とは違い、柔らかな喋り方だ。人のことをジロジロ見るんじゃねぇ、という皮肉かもしれないが。 「先生、オレの職業もわかるんですか?」 「うーん、サラリーマンですかね?」 「すごい、正解です!」淳一さんは単純そうだ。身体的特徴が無い人物はみんなサラリーマンなんじゃないか? と思ってしまう。そんなこんなで時間は過ぎ、あっという間に目的地に到着した。僕がシフトレバーをPの位置にするとすぐに、美香さんはドアを開けてトランクを開けた。そんなにこの車が嫌だったのだろうか。続けて三人も降りる。 「僕がその袋は持つよ」淳一さんが美香さんの持つ袋に手を伸ばす。 「大丈夫よ、こんなもの持てないほど、か弱くないんだから。ほら、さっさとその袋持って行くわよ。洋平たち待たせてるんだから」美香さんは飲み物が入った袋を持っている。彼女の有無を言わせない物言いに淳一さんは、はーいと間延びした声を出して、スナック菓子が入っている袋を持った。美香さんがか弱くないことは言動からもにじみ出ているうえに、淳一さんは動じていない。長い仲なのだろう。
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