探偵と殺意を込めた飲み会を

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「犯人が凶器を捨てたのはゴミ箱じゃない、賽銭箱なんだ」 「なるほど、だからあそこに血が付いていたんですね」 「あぁ、そういうことだ。初歩的なことだよ、杉山くん。名探偵は辛いね」 「ホームズみたいに言わないでください。それと辛いのは先生じゃなくて、締め切りに追われる作家ですよ」僕らは推理小説内のトリックを解明している。私立探偵の先生と助手の僕は黒いタントに乗りながら、とある場所に向かっているのだ。そこは、密室殺人事件の解決のための現場——ではなく、買い出しのためのコンビニだ。今日も依頼は無く、またまた昼ご飯を買いに行っているのである。外には徐々に黄色や赤に変わりつつある街路樹が見える。 「でも、その犯人の動機は何ですか? 怨恨ってわけでもなさそうですよ」 「さぁ、動機なんて知らないね。私には興味がない」そういえば先生は小説でもドラマでも、犯人の自供シーンは毎回飛ばしている。曰く、トリックだけが至高であるそう。作家が可哀そうだ。 「はぁ、そうですか」 「それはそうと、今日は駅に近いファミマにしよう」助手席から呑気な声がする。 「先生、どこで買ってもファミマ弁当の味は変わらないですよ」僕はウインカーを点滅させながら答える。 「いやいや、味じゃない。一か月も毎日同じコンビニに行っていたら、いい加減無職だと思われてしまうからな」 「スーツの無職なんて聞いたことないですよ」一応探偵ということもあり、二人共服装はスーツだ。 「しかしまぁ、最近は全然仕事をしてないんですから、ほぼ無職ですよ」と僕は続ける。 「私から給料を貰っておきながら……」 「先生が僕を雇ったんですよ」 「それは……別の話だ」先生、もとい青柳さんとは大学のゼミで出会った。    大学三年の時、所属したイギリス文学ゼミに四年生の青柳さんは居た。彼は「シャーロックホームズシリーズ」を卒業論文のテーマにしていた。それを知った推理小説マニアの僕は、青柳さんに声をかけずにはいられなかった。 「僕も推理小説、好きなんですよ」と言って、帰りの準備をしている青柳さんにすり寄る。ゼミ室には僕ら二人だ。 「なるほど。例えば、どんな?」彼の声は低く、同じ趣味の人間を相手にしているのにテンションは微動だにしていない。まるで僕を試しているようだ。 「コナン・ドイルはもちろん、江戸川乱歩、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティらへんの有名どころは一通り好きです」 「ドイルで一番好きな話は?」青柳さんは少し口角を上げ、僕の目をぐっと見た。この答えに全て懸かっているような、そんな気がする。 「……『ボヘミアの醜聞』です」僕は正直に答えた。すると青柳さんは目を輝かせた。 「それを選ぶとは、お目が高い! “あの女性”ことアイリーン・アドラーが登場してホームズを出し抜くシーンがまた爽快でね! 世間では『緋色の研究』や『赤毛連合』、『バスカヴィル家の犬』が傑作だとされているが、やはり『ボヘミアの醜聞』はホームズの性格が変わるきっかけの話だからね! その後ドイル自身も——」青柳さんは堰を切ったように話を始める。ゼミに所属して二か月だが彼が先生と、ましてや他のゼミ生とも、こんな饒舌に話している様子を見たことが無い。すると満足するところまで話し終わったのか、突然僕の手を取って 「僕と一緒に探偵にならないか」と、まっすぐこちらの目を見て言った。 「は? 探偵?」探偵になる、だと? 言葉だけ聞けば冗談にしか聞こえないが、本人の目を見れば真剣な誘いとしか聞こえなかった。 「もちろん、いますぐじゃない。卒業してからで構わない。事務所はこちらで用意するし、交通費、食事代も僕が賄う。給料も一般企業並みには出す。どうだ?」青柳さんはより強く僕の手を握る。 「い、いや……事務所とか、給料とか、どうやって用意するんですか!」青柳さんの手を振り払おうとするが、恐ろしく力が強い。 「僕は……実は御曹司なんだ。曾祖父、祖父、父と代々受け継がれている財閥の息子でね。僕はそこの次男で、社長の座にはゆくゆくは兄が座る予定なんだ。しかし父は僕にまでお金を存分に与えてくれる。だから僕には掃いて捨てるほどのお金と時間がある。そこで幼稚園の頃からの夢だった私立探偵業を開こうと思うんだ。しかし一人でやるには面白みがない。だって名探偵の横には助手が付きものだろう。ホームズにワトソン、明智に小林、青柳に杉山、といった具合に。僕は秘かに助手を探していたんだが、目を付けていた一人、杉山くん、君が声をかけてくれたって訳さ。どうだ? やらないか?」 「ちょ、ちょ、ちょっと考えさせてください! 話がいきなりすぎて……」 「返事はいつでも構わない。君が大学を卒業するまでに答えてくれれば、な。もし僕の職場よりも魅力的な就職先が決まればそこを選んでもらって構わない」そこでようやく青柳さんは手を離し、リュックを持ちながら言った。 「じゃあ、また、な」彼は颯爽と去っていった。それからもゼミの授業で会うものの、助手の誘いを一切されることなく、特に雑談をすることもなく、時間は過ぎ、青柳さんが卒業する一か月前になった。 「青柳さん、ちょっといいですか」僕は彼が一人のタイミングを見計らって声をかけた。口には出さないにしろ、僕の頭の中でずっとしこりのように残っていた。 「助手の件なんですが……他の人にも誘ってみましたか?」 「誘いはしないが、考えてはみたよ」あっさりと答えた。僕はなぜか、少しがっかりした。僕だけへの誘いだと勝手に思い込んでいたからだ。 「しかしな、いまいちだった」青柳さんはそう続ける。「みんな推理小説の趣味が合わなくて、ね」 「それだけですか?」僕はなんだか苛々してきた。それだけの理由で僕を誘ったのか。 「あとは、フィーリングだ。好きな相手とじゃなきゃ、働きたいなんて思わないだろ」青柳さんの真っ直ぐな眼差しに射抜かれた。 「でも、あの時まで僕らは喋ったことが無かったですよ」 「しかし、杉山くんと先生との会話の様子は聞いたことがある。そこで感じたのさ、大事な何かを」 「そう……なんですか……」 「君はなんで迷っているんだ。ちゃんと依頼が来るかどうかが不安か? それとも激しい肉体労働が心配か? それなら安心してくれていい。依頼は頭脳仕事しか選ばないし、そもそも依頼が来なくても君に給料は払い続ける。可愛い後輩が悲しむ顔は見たくないから、ね」青柳さんの顔を見ると、どんどんかっこよく見えてきた。僕は助手の誘いを受けているのか、プロポーズをされているのか分からなくなってきた。そうしてずるずると時間は過ぎ、気付けば僕は『青柳探偵事務所』の名刺を持っていた。それから早二年半、始めは慣れなかった「先生」呼びも今では板についた。 「着きましたよ」僕は窓から顔を出してバック駐車をする。 「顔を後ろに向けて後方を確認し、視覚的情報を頼りに車の動きを思考する。両手でハンドルを調整しながら、右足でアクセルを踏んで速度調整する。良くできるな、器用なもんだ。しかしその方法は雨の日は出来ないぞ。今日も朝に止んだからいいが、降っていたら——」 「いい加減、免許取ったらどうですか? 可愛い後輩にばっかり運転させて」 「僕は年齢で人を見ないから、その言葉は無駄な抵抗だぞ」
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