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それは夏の暑い日のことだった。
連日の暑さが祟ったか、祖父・雄郎が急に体調を崩し、親戚一同に緊急召集が掛けられた。
耕平の両親含め、親戚一同は以来何度も訪れていたようだが、事態を楽観的に捉えていた耕平は、遂に病床の祖父に会うことなくその日を迎えてしまった。
生駒雄郎・九十歳。大往生だった――。
◇◆◇◆◇
街の外れ。駅から延びるバスの最後の停留所を降りた先。
畑が並ぶ只中に建つ古民家。
それが生駒耕平の祖父・生駒雄郎の家だった。
朝早く愛用の黒いランドクルーザーに乗って祖父の家に駆け付けた耕平は、門まで繋がる細道を畑に落ちないよう慎重に敷地内に入ると、そのまま広い庭の端の方に車を向けた。
既に親戚一同は揃っているようで、周囲には車が何台か停まっている。
葬儀業者の車は、今朝はまだ来ていないようだ。
敷地内をゆっくり車を進めた耕平は、停まっている車列の中に両親の車を見つけると、すぐその左隣に自分の車を停め、車から降りた。
右手に喪服の入ったガーメントバッグを持った耕平は、庭から祖父の家を見た。
リフォームの手が入っているとは聞いていたが、外からはあまり変わった様子は見えない。
耕平は昔から祖父の家が苦手だった。
田舎の古民家である祖父の家は、あちこち黒くて太い梁や柱が走り、いつ行っても薄暗かった。
極めつけは、廊下の突き当りにある木製の古い階段を上がった先にある、裸電球が一つぶら下がっただけの屋根裏部屋だ。
勿論そこはただの物置部屋に過ぎなかったのだが、オレンジ色の古い裸電球に照らされる陰気な世界は、怖がりの耕平にはお化けの巣窟に思えた。
耕平六歳の夏。
屋根裏部屋で耕平は、赤い着物におかっぱ髪の、可愛らしい座敷童子に出会った。
耕平は頭を振って二十年も前の記憶を追い出すと、玄関に向かって歩き出した。
通夜。そして告別式。
暑い中、忙しい二日間が始まるのだ。
◇◆◇◆◇
「耕ちゃんはいい人いないんかい」
「いやぁ、残念ながら」
親戚のほとんどが日本全国に散ってしまったということもあって、通夜、告別式、そして四十九日の法要まで一気に済ませた親戚一同は、葬儀会場の一室で精進落としを行っていた。
会場の隅で、これまた久々に会った両親の隣で思い出に浸りながら麦茶を飲んでいた耕平は、久々に会う親戚のおじさんおばさんに何故だか質問責めに合っていた。
「モテるわけないでしょ、耕平が。結局この歳になるまで一回も彼女を連れて来なかったんだから」
「見た目はそう悪くないと思うんだが。こりゃ親の欲目かね」
「放っといてくれ」
憮然とする耕平と対照的に、父と母が軽く笑い飛ばす。
恋愛話で両親にいじられる不愉快さを押し隠しながら、耕平は手酌で自分のグラスに麦茶のお代わりを注いだ。
と、気付くと親戚のおじさんおばさん連中が耕平の傍に集まって来ていた。
死に目に間に合わなかったことを責め立てられるのかと、身を硬くした耕平だったが、叔父・慎一郎に言われたのは意外な言葉であった。
「なぁ、耕ちゃん? 実は耕ちゃんにお願いがあってな? ヤっちゃんに聞いたんだけど……耕ちゃん、会社に行ってないんだって?」
ヤっちゃん――耕平の父の安二郎が黙って頷く。
隣の母も一緒に頷く。
「人聞きの悪い言い方しないで下さい。ちゃんと働いてますよ。親元を離れて自活だってしてるし。リモートワークってやつです。パソコン一台と通信環境さえあればどこでもできますけど、それだって一週間二週間に一回は出社する必要だってあるんですから」
親戚一同が何やら言いたげに視線を絡め合う。
その視線のやり取りを気持ち悪く感じて、耕平は顔を顰めた。
「半月に一回? ふむ。ちなみにここからだと会社へは遠いんかね?」
「ここから? いやぁ、どうでしょう。車でなら一時間半ってとこじゃないですかね。言うほど遠くないと思いますけど。何なんです。言いたいことがあるならハッキリ言って下さいよ、慎おじさん。そりゃ死に目に会えなかったのは申し訳無かったとは思いますけど、だからって……」
「耕ちゃん、ここに住む気は無いかね?」
「は?」
父の兄・慎一郎のいきなりの提案に、耕平の身体が固まる。
「ほら、お祖父ちゃんが亡くなって家主が居なくなってしまっただろう? そのままだと荒れてしまうし、といって私ら息子連中は皆、地方に家を持っておる。仕事もあるし子供たちのこともあるしで皆、地元を離れるわけにもいかん。そこでどうしたもんかと頭を抱えていたところで、ヤっちゃんに耕ちゃんの話を聞いてな? どうだろう耕ちゃん。お祖父ちゃん家に住んでみる気、ないかね?」
耕平の頭が真っ白になる。
計算が追いつかない。
「……え? オレにあの家に住めと?」
「悪い話じゃないだろう? ここは田舎ではあるが、言うほど都会から離れているわけでもないから車に乗ってればそれほど不便も感じないだろうし、いずれ耕ちゃんが結婚した暁には、そのまま家を相続してここに住み続けてくれればいい。我々も実家が無くなるのは寂しいし、耕ちゃんは家と土地をタダ同然で入手できる。ウィンウィンじゃないかね?」
「……嘘でしょう?」
こうして父の兄弟筋の親戚一同、四夫婦八人の視線を受けて、耕平は屈服したのであった。
◇◆◇◆◇
本日の全日程を終え、祖父の家に位牌と写真を飾った親戚一同は、長居することなくそそくさとそれぞれの家へと帰って行った。
祖父の家はとにかく広かった。
庭は畑も備えており、母屋には十も部屋があった。
――親父たちが小さい頃は四人兄弟の六人家族でいい具合の広さだったんだろうけど、親父たちが独立してから祖父ちゃん祖母ちゃん二人きりで。更に祖母ちゃんが亡くなってからは祖父ちゃん一人でこの家に住んでたのか。いやはや掃除なんて行き届かないだろうに、よくやってたもんだよ。
耕平は庭から家の全景を眺めた。
これを安価で入手できるというのは、確かに良い話ではある。
田舎とはいえこれだけの物件はそう無いだろう。
流行の古民家カフェでも開けば、意外と人が集まるかもしれない。
勿論、そんな面倒臭い事業を起こす気など耕平には更々無いが。
――だが、ここで一人暮らしするとなると、話は別だぞ。
耕平は家の中を一人、丁寧に見て回った。
キッチン、トイレ、バスルーム。
老朽化に伴いリフォームされたお陰で、この三つは老人にも安心な最新式のものに替わっていた。
昔見たときは古臭いキッチンだったが、今は食洗器もついたオール電化の最新式だ。
外に設置されていた大用、小用と二つあったトイレは所在も分からぬほど綺麗にコンクリートで埋められ、室内に新たに手すり付きの温水洗浄便座が設えられていた。
風呂も、狭い湯沸かしタイプから、ジャグジー付きのこじゃれたものに入れ替わっていた。
兄弟四人で金を出し合ったという話は聞いていた。
完成形を見たのは初めてだったが、かなり良いものを設置したようで、どれもこれもお年寄りに優しい造りとなっていた。
だが反面、変わっていないところもやはりあった。
煙でいぶされた黒い柱や梁だ。
多少本数が減った気もするが、しっかり残っている。
床下が腐って、通るとベコベコ凹んでいた畳の部屋など綺麗にフローリングに替わっていたが、どの部屋も元の柱や梁を極力残す構造になっていた。
父を含め、親戚一同は少しでも思い出を残しておきたかったのだろう。
そうして見ると、恐怖は幾分減ったものの、やはり心に引っ掛かる部分がある。
幽霊などいないと頭では分かっていても、幼い頃に植え付けられた恐怖心はなかなか抜けないのだろう。
そんな中、過分に広い家で一人暮らしをしなければならない。
「布団はしばらくは客用を使わせてもらうとして、せめて灯りだけでも最新式の明るいやつに替えなくっちゃな。あとは通信環境をもうちょっと整える必要があるか」
メモを片手に一階のチェックを終えると、いよいよ残るは屋根裏部屋となった。
まだ外は明るい。
オバケが現れる時刻にはまだしばらくある。
数回深呼吸をして多少なりとも心を落ち着けた耕平は、問題の屋根裏部屋に上がった。
そして、扉を開けた耕平は、そこで思いもよらぬものを見ることになったのであった。
◇◆◇◆◇
バンバンバーーン!
ギュルギュルギュル、ドッカーーーーン!!
『ユー、ウィン!!』
「いぇーーーーい!!」
屋根裏部屋にいたのは、大型TVを前にビーズ型巨大クッションに寝転がってゲームをしている赤ジャージ姿の髪の長い美人だった。
耕平の気配に気付いたのか、女性が振り返る。
「なんだ耕平か。久しぶり」
耕平が絶句する。
腰を抜かしそうなほど驚いた耕平は、口をあんぐり開けて固まった。
「……お前、リンか? 座敷童子の」
やっとのことで一言絞り出した耕平に対し、女性は『おう』っと一言だけ挨拶すると、またすぐゲームに戻った。
モニターの中では、いかつい男性キャラがバンバン銃を撃っている。
臆病者の耕平だったが、流石に驚きよりツッコミが勝った。
「こんなときくらい、ゲームをやめろよ!」
「もうちょっとで終わるから! あと五分!」
耕平はあまりの衝撃に、足をフラフラさせながら屋根裏部屋を出て居間へと降りた。
一時間後、ようやく屋根裏部屋から居間に降りてきたリンに、耕平はお茶を淹れてやった。
端的に言って、リンは美しかった。
背中の中ほどまで伸びた黒髪は、手入れが行き届いているのか艶やかに光って見える。
ちょっと厚めの縁なし眼鏡を掛けているが、その奥に潜む目は切れ長で美しい。
スっと通った鼻筋。ポテっとした唇。
座敷わらしだけあって日焼けをしないというのか、その肌は白くきめ細やかだ。
そして、痩せてメリハリの効いたボディ。
バッチリ整えて街を歩けば誰もが振り返るであろう、極上の美女だ。
テレビや映画に出ていても不思議で無いレベルの美人だった。
ただ、余程気に入っているのか、白線が二本入った着古した赤ジャージが全てを台無しにしている。
耕平は美味そうに茶を飲むリンをしばし眺めた後、ポツリと言った。
「お前……居たんだな」
「居ちゃ悪いか。あたしはずっとここに住んでるよ。耕平が寄り付かなくなってからもな」
リンはテーブルに置いてあった菓子盆を開け、中から煎餅を取り出しカブりついた。
桜の模様の入った漆塗りの菓子盆だ。
勝手知ったるというその仕草には、一切遠慮を感じられなかった。
リンの言う通り、毎日繰り返してきた日常の一コマなのだろう。
「ま、忙しくてな」
耕平は頭を掻くと、無くなりかけたリンの湯飲みに、急須のお茶を足してやった。
そこで耕平はふと気づいた。
「お茶、飲めるんだな」
「特に猫舌では無いよ」
――湯呑みが持てるのは、幽霊ではなく妖怪だからか? っていうか、座敷わらしってそもそも何だ? 神さまの類なのか?
耕平はテーブル越しに丁寧にリンを観察した。
子供時代も可愛いと思ったが、成長して更に美しくなっている。
――いやいや、成長って何だ? 座敷わらしなのに成長するのか? それとも自在に姿形を変えられるのか? オレが大人になったから大人に見えてるだけなのか? さっぱり分からねぇ。
何枚か煎餅を食べて満足したのか、リンは手をパンパン叩いて煎餅の粉を落とすと、菓子盆の蓋を閉じた。
「何か久しぶりだけどさ、耕平。何? 今日からここに住むの? 女性が一人暮らししてる家に男性が住むってどうなのよ」
「おま、座敷童子を女性扱いなんかするわけねぇだろ!」
リンは一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、次の瞬間ニマっと笑った。
「私は幽霊では無いからちゃーんと触れられるぞ? 見よ、このわがままボディ! 出るとこ出て、引っ込むとこ引っ込んでさ。うーむ、我ながら食っちゃ寝しているとは思えないほどの美しさだな。あぁ、何て罪作りなボディなんだ。こんな年頃の美人を前にして、耕平の理性が保つとは思えないなぁ」
ジャージ姿で耕平に向かってセクシーポーズをとるリンを前に、耕平は深いため息をついた。
◇◆◇◆◇
その頃、耕平の親を含めて帰宅の途に就いたはずの親戚一堂は、予め決めておいたのか、比較的祖父の家から近いファミリーレストランに再集合していた。
「耕平、凛ちゃんと仲良くやれるかねぇ」
「あたしは案外あっさりくっつくと思うのよね」
「ごめんね。うちの引きこもり、耕ちゃんに押し付けちゃって」
「とーんでもない。従兄妹なら結婚できるし、私は大歓迎よ。それより耕平がまだ凛ちゃんのこと座敷童子と信じてたらどうする?」
「いくら耕平がニブチンでも、流石にバレるだろ」
「父さん、耕平と凛を可愛がってたから、二人が一緒になったら喜ぶと思うな」
「そうだなぁ。あれ、怖がる耕平を和ませようって、亡くなった父さんのアイディアだったんだよな」
居間で耕平に向かってセクシーポーズを取る凛の真上。
鴨居に飾られた遺影の中で、祖父・雄郎がニッコリ微笑んでいた。
END
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