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再渡米
空港に降り立つと、待ち合わせに指定された場所へ向かう。きょろきょろしていると、ゆっくりと僕に向かって手を振る人がいる。
「ミスタージャクソン! お迎えありがとうございます」
「ジュン、よく来たな」
「今日は、ジョーイの側にいなくてもいいんですか?」
「今日は非番なんだ。それに、君を知ってるのは俺だけだしな。知らない奴よりいいだろう?」
「はい、安心しました!」
ハイウェイを通って、警備員のいる大きな門をくぐった。
「ここが、彼女が住む家だ」
大邸宅。20歳そこそこのジョーイが自分の力で手にした家。規模が違い過ぎるよ。
「ゲストルームはあっち……なんだが、どうしても彼女は隣の部屋を君の居室にしたいらしい」
ふう、と溜息をついてミスタージャクソンが廊下を右に折れた。
「ここが、これから君の部屋だ」
ガチャリと大きな扉を開けると、広い部屋が広がった。僕の一人暮らしの部屋の、4倍……いや5倍はありそうだ。
「広すぎやしませんか……?」
「快適に過ごしてもらいたいらしいからな。いつもは家族が来た時に泊まる部屋だよ。そして、この扉を開けると」
軽くスルリとドアが開く。
「ジョーイの部屋になってる。配偶者として一緒にいられるかのお試しでもあるから、側にいて彼女と過ごしてみることだ」
そうだ、コーラスとしてだけここに来たんじゃなくて、ずっとジョーイといられるかどうかの確認も兼ねているんだ。
僕は少し緊張し始めていた。
「はいこれ、君がコーラスを入れる予定の曲。きちんと聴いておいて。プレイヤーや機材も奥に準備してあるから。パソコンも自由に使ってね」
女性がやってきて、僕に説明する。その人は黒髪のくるくるの大きなパーマヘアを揺らして笑顔で微笑んだ。
「あ、名前まだだったわね、私はアメリア。ジョーイのマネージャーの一人よ。よろしく」
「ジュン・キムラです。よろしくお願いします」
「……ジョーイが好きになったのが解ったわ。あなた、多分……おっと、後は本人から聞いてね」
「え? 何ですか?」
気になるなあ。一体何だろう。
時差ボケがきつくて、僕は渡された曲を聴きながら、ソファでウトウトしていた。
「ジュンっ!」
僕の身体の上に柔らかい重みを感じる。知っている感触。反射的にギュッと掴まえた。
「……うーん……」
「来てくれたのね、嬉しい……!」
耳元で僕の大好きな声がする。ジョーイだと気づいて、パチッと目が覚めた。
「ジョーイ……!」
「起きた?」
「うん、一発で目が覚めた!」
「このひと月半、離れてるのが辛かった……」
僕を見てジョーイが目を潤ませる。僕も同じだった。何年も離れていたのに、好きだと気づいてしまってからは、たったひと月ちょっとが辛かった。
今大好きな人がここにいるのだと確かめるようなキス。
君がいないと僕はダメになる。
どうしよう。
こんな気持ちになるなんて。
アメリカに出発する前にレンさんと話したのを思い出した。
「ジュン、前も言ったけどさ、いい歌を歌いたいなら、しっかり恋愛しとけよ? 人を本気で好きになったことが無い奴の声は、薄っぺらいんだ。大好きな女の子を死ぬほど好きになってみるのも悪くないぞ」
レンさんは明日ライブだから、と度数の低いビールを飲んでいる。骨ばったレンさんの手がジョッキを下ろした。
「レンさんはそういう恋をしたことあるんですか?」
「……俺の声を聴いてどう思う?」
「……僕はレンさんの声は色気のある声だってずっと思ってました」
「はははは、ありがとうジュン! 俺の声に色気があるかどうかはわからないけど、死ぬほど好きになった人はいるよ」
「その方は今どうされているんですか?」
不躾だけど、レンさんの恋の話を聞きたかった。僕は2杯目のビールを頼んだ。
「ああ……もうね、いないんだ」
「え?」
「この世には、いない」
レンさんは懐かしそうな表情をして遠くを見つめた。
「レンさん、すみません、余計な事を訊いて!」
僕は青ざめ、謝るしかできなかった。
「いいんだよ。別れたのはもう昔のことだしね。事故で亡くなったのは風の噂で聞いたんだ」
ちょうどレンさんがデビューするかしないかで悩んでいた頃だという。
遠くから視線を戻し、じっと僕を見てレンさんは言った。
「ただ俺から言えるのは、後悔しないようにしておけよってこと。人生は何があるかわからないから。つまらないプライドで愛する人を逃すなよ?」
――つまらないプライドで愛する人を逃すな。
その言葉は、心に刺さり、いつまでも僕の頭の中で響いている。
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