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私の願い
夢のような時間はあっという間に終わり、私は再びリビングの人工的な光の元に戻った。
「お母さんお仕事してる間、テレビ見ててくれる?」
あかりは「ん」と言ってソファに座る。私は牛乳をコップに注ぎ、録画してあった子供番組をつけた。明るい音楽が流れる。
お湯を沸かし、スティックのカフェオレを入れた。
そして再び、報告書と向き合った。
自分が書いた分を読み返す。
「お友達とけんかした時にうまく表現できず、手が出ることがあります」
「質問した時に、答えではなく質問を繰り返すことがあります」
「ダメ、の言葉に過剰反応して、その場から走って逃げて、部屋の隅で自分の頭を叩くことがあります」
あかりには確かに、できないことがたくさんある。だけど……。
私はその下に注釈をつけた。
「※以前より回数が減ってきています」
先月行った病院の先生の言葉も思い出した。
「絵本の読み聞かせをされているんですね。いい試みだと思います。療育にも行っていますし、あかりちゃんに必要な環境はよく整えられていますよ。また様子を見ましょう」
保育園の先生の言葉も思い出した。
「あかりちゃん、この間『ゆかりせんせ、おはよ』って名前で呼んでくれたんですよ!」
「お友達に『かして』って言っていましたよ」
「音楽が鳴るとすごくノリノリで踊ってくれます」
たまに会う私の両親には、療育のことは言っていない。たふん、発達が遅いのには気づいている。だけど私や夫を責めることなく、あかりを連れて行くとすごく喜んでくれる。この子の成長を純粋に喜んでくれる。
状況は変わりない。将来が不安なのは変わりない。
だけど今日満月を見せてくれた夫、嬉しそうにしていたあかりの姿、それを支えに、私はまだまだ頑張れそうな気がした。
――他の子と比べたりせず、あかりができるようになったことをただただ喜んで、この子と一緒に歩いていこう。
報告書の一番下には備考欄があった。そこにたった一つの願いを書いた。
「これからも元気に育ってほしいです」
私は報告書を折りたたみ、療育行きの封筒に入れる。
それからあかりの横に座った。
「あかり、もうそろそろおねんねしようか。ママ、あかりの好きな絵本読んであげるよ」
「えほん よむー」
あかりはすんなり従い、テレビを消す。そういえば、前はもっとイヤイヤが激しかったのに、いつの間にか素直な返事が増えた。私は報告書に今更ながら付け足したくなって、そんな自分がおかしくて、くすっ、と微笑んだ。
私達はテレビを消し、部屋の電気を消し、二階の寝室へと上がる。
階段の踊り場にある窓から、また満月が見えて。
私は穏やかな気持ちで「今夜の出来事はきっとずっと忘れないだろう」と、そう思った。
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