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武内運命
少し前まで半袖だったというのに、急に肌寒くなってきたので、長袖のティーシャツの上からパーカーを羽織って玄関を出た。自転車に乗って少し漕ぐと、前から風が吹きつけ顔に寒さを感じる。今日は雲一つ無い快晴で日差しが眩しく、俺は目を細める。
今日は待ちに待った十一月一日。何の日かって? 高校二年生の俺、武内運命は小遣いとして、親から月五千円を貰っている。毎月一日が小遣いを貰う日だ。そして、遂に今日、貯金が七万円を超えたんだ。だから何? って思うだろうけど、七万円を超えたら『アビグラ』を買うと決めていた。アビグラって言うのは、アビリティーグラントシステムの略で、人の能力を上げる事が出来るという設定のオモチャだ。簡単に言えば、トレーディングカードの上位互換って感じかな。通称アビグラと言われる事が多いけど、agsって言う人もいる。千円購入すれば、基本的に一ポイント以上、何らかの能力がアップする。素早さ、腕力、知力、器用さ、持久力の五種類。何人ものユーチューバーが統計を取っていて、五割の確率で一ポイント、二割五分が二ポイント、一割二分五厘が三ポイント・・・となるみたい。どの能力になるかも、五種類ともほぼ同じ確率らしい。とある人気ユーチューバーが三千万円突っ込んだ動画が話題になった時、十八ポイントの知力が出たと騒いでいたけど、それ以上の数値は聞いた事が無い。当然、大金を突っ込めば突っ込む程、大きな数値が出るのは間違い無い。で、これはオモチャなので、人への影響がある訳無い筈だ。だけど、アビグラを買う人の殆どは、本当に人間の能力がアップすると信じている。それは、四年前のテレビ番組の生放送で、アビグラを販売している企業、『ビリオンダラー』の会長の孫だと噂されるモデルの京極敏が、九十五メートルを八秒五というとんでもないタイムで駆け抜けたからだ。
そして、その翌日にアビグラの発売。当時は、アビグラ発売の為のパフォーマンスで、何らかのトリックがあると考えられていたけど、何人ものユーチューバーによる検証でアビグラの効果が本物だと判明しつつある。ただ、ビリオンダラー側は、あくまでもオモチャだと言い張るし、国も非科学的だとして認めていない。
金持ちのステータスと言えば、高級車や高級時計のイメージが強かったけど、ここ数年で様変わりしてきた。見た目を飾るより、アビグラでの能力アップにお金をつぎ込む人達が多くなった。
俺は同級生、田辺の家に着き、インターホンを押した。十秒程して「早かったな」と玄関から田辺が出て来て、二人とも家の中に入る。田辺のお母さんが玄関で迎えてくれたので、お互い挨拶をして階段を上る。土曜日だし車もあったので、リビングとかにお父さんも居る筈だけど、一度も見た事は無い。
俺達は田辺の部屋に入って、一旦、寛ぐのがお決まりのパターンになっている。俺達はいつも通り、『キンコジ』の雑誌を読む。
キンコジというのは、アビグラのデータをダウンロードする物だ。キンコジを買わなければアビグラを購入する事が出来ない。キンコジに購入したアビグラの情報を入れて頭に付け、脳へ電気信号を送って人の能力をアップさせるんだ。脳への電気信号で記憶力をアップさせる研究は、百年以上前からアメリカで成功していた。そんな中、元脳外科の権威で、その後、ビリオンダラーの会長になった、京極和貴が、身体的な能力アップに成功し、何年間も秘密にしていたという話らしい。もちろん、先に言ったようにビリオンダラー側はオモチャだと言い張っている。でも、オモチャにしては値段が高過ぎるので無理があるだろう。京極敏もキンコジの様なものをつけていた。国もそろそろ動き出す頃だと思う。
キンコジの値段はピンキリで、安いものであれば一万円程度、高ければ百万円するブランド品もある。安いものだと、アビグラのダウンロードポイント上限が低めに設定されがちだ。
基本的に、最新の雑誌を田辺が読み、古い雑誌を俺が読む。俺の家にキンコジの雑誌は無いので、俺の頭に入っているキンコジの様々な情報は、田辺の家で読んだ雑誌から仕入れたものがほとんどだ。俺は田辺に最新号を見せてくれと頼むと、田辺は少し不思議そうな顔をして、俺に雑誌を渡した。変な空気が流れたので、俺は田辺に、今日、キンコジとアビグラを買うつもりである事を伝えた。すると、田辺は先輩面で、蘊蓄をたれながら、自分のお薦めを俺に教えてくる。俺は、一万円程度のキンコジを買ったぐらいで調子にのっている、と周りから思われるのも癪だと思い、田辺の意見を無視して、あまり目立たない、真っ黒のキンコジにしようと考えた。
その時、ドアの向こうからフサフサの毛が見えた。
「コロンおいで」
俺が両手を広げて呼ぶとコロンは俺に飛び付いてきた。可愛い。俺は良い感じの強さでコロンを抱き締める。
コロンは田辺の飼っているチワワだ。とにかく頭が良く、俺の事も覚えてくれたようで懐いている。
「コロンは可愛いな~。俺と会えて嬉しいか、そうかそうか。コロンも喋れたら良いのにな。あっ! コロンにキンコジをつけたら喋れないかな?」
俺は疑問に思って田辺に質問した。
「無理無理。もちろん俺も試したし、ユーチューバーも何人か試してるけど効果は無いみたい。人間の骨格に合わせて作られているんじゃないかな。まあ、何億も突っ込めば可能性はあるかも知れないけど……」
「そうか~」
少しガッカリしたその時、俺のスマホが鳴った。ディスプレイには住谷謙二と表示されている。住谷は俺達の同級生。彼の両親は、ネット上で『リビングデッド』という自社ブランドのグロい系の服を売って成功していて金持ちだ。住谷は学校の成績も良く、親から信頼されているので、アビグラを購入したいと言えば十万円ぐらいあっさり貰えていたらしい。ただ、あまりに使い過ぎて、最近は小遣いが減ってきたと愚痴っている。
俺は何だろうと思いながら電話に出た。
「もしもし? どうかした?」
「運命ってキンコジ欲しがってたよな?」
「まあ、一応ね」
俺はまさに今、キンコジを買おうと思っていたところだったけど、その感じを出してしまうと足元を見られそうな気がしたので、平静を装いながら話した。何となくだけど、住谷が要らなくなったキンコジを俺に売ろうという流れになりそうだ。
「俺、初期のキンコジを持ってるんだけど、完全に壊れちゃったみたいなんだ。いや、壊れたって言っても、能力アップの効果は体感出来るんだけど、データの引き継ぎが出来なくなったって話なんだけどね・・・」
キンコジは新しいモノを買うと、古いモノからデータを引き継ぐ事が出来る。その機能が壊れてしまったという話だろう。
「それを俺に買わないかって話?」
「そうそう。カンスト寸前だったと思うんだ。十万円で買ってくれないか?」
カンストというのはカウントストップの略。初期のキンコジは全てのステータスが百ポイントまでしか入らないものが多かった。全能力が百ポイント近くまでになっているという意味だろう。
「俺、今、六万しか持ってない」
実は七万円持っているけど鯖を読んだ。
「うーん・・・。じゃあ六万でも良いわ」
「ちょっと待って、考えさせて」
「分かった。じゃあ一旦切るな」
住谷は電話を切った。
俺は住谷からの話を田辺に相談した。田辺は得意分野の相談を受けて、水を得た魚のように流暢に話し出した。
田辺の意見としては、キンコジのデザインに興味が無く、今後、アビグラを買わないのであれば、相当お買い得だとの事だ。カンスト寸前までにするには二十万円を超える額を突っ込んでいる筈だから。住谷の情報が信用出来るのか? という問題はあるけど、住谷はそういう嘘をつかない。初期のキンコジは不具合が多く、故障したのも納得出来るとの事。俺は田辺の話を聞いて、さすがはキンコジマニアだと感心した。
俺は住谷に電話を掛け、六万円で購入する旨を伝えると、今、家に居るから取りに来るか? との事だった。俺達はショッピングモールへ行くついでに住谷の家へ寄る事にした。
毎月最初の土曜日は近くのショッピングモールへ田辺とアビグラを買いに行っている。田辺は二ポイント以上が出るまで買い続けるのが習慣だ。いきなり千円で三ポイントが出る日もあれば、泣きそうになりながら五千円突っ込んだところも見た。俺は基本的に田辺の付き添いなのでアビグラを買ったりしないし、そもそもキンコジを持っていない。でも、今日は少しだけ違う。アビグラを買わないのは一緒だけど、カンスト寸前のキンコジを住谷から買うのだ。
俺達が通う高校は少しだけ坂を登った場所にあるのだけど、そこから自転車で一分程西へ走った場所に住谷家の豪邸がある。ネット販売で成功した金で二年程前に建てたらしい。
俺達が豪邸のインターホンを押すと、住谷の母親と思われる女性が、テレビドアホン越しに対応してくれた後、住谷が玄関のドアを開け出て来た。右手には真っ黒のキンコジを持っている。最近のキンコジ雑誌では見ない、初期のタイプだ。こめかみに当てる部分だけ少し大きくなっていて、ヘッドホンによく似ている。最新の色々なキンコジを見ているせいか、ダサく感じてしまう。俺は六万円を住谷に渡しキンコジを受け取ると、そのまま頭につけた。住谷は軽く笑いながら、「似合うじゃないか」と言った。田辺の方を見ると、何も言わずに右手親指を立てていた。心なしか体が軽くなったような気がしてきた。アビグラ効果なのか、プラセボ効果なのか・・・。
俺達は住谷に「じゃあ、またな」と告げて、ショッピングモールへ向かった。自転車を漕ぐと、何となく違和感がある。俺は嬉しくなって自転車の速度を上げた。田辺は本気で自転車を漕いでいないと思うけど、俺達の距離はどんどん広がっていった。俺が赤信号で止まると、十秒程して田辺が追いついて「凄いだろ?」と聞いてきたので、俺は満面の笑みで「ああ、凄い」と田辺に言った。
俺達はショッピングモールに着き、駐輪場に自転車を停めた。店内に入り、三階のゲームコーナーへ向かう。アビグラの前には人が居ないようだ。
一年ぐらい前までは、平日でもかなりの行列が出来ていて、アビグラを購入する事も困難だったけど、今は土曜日でも多くて五人程度だ。購入者が激減した大きな理由としては、一般人が少量買っても効果を体感出来ないという事だと思う。一ポイントや二ポイント程度の能力アップは、全くと言って良い程、体感出来ないらしい。
では何故、田辺が今でもまだ、毎月アビグラを買っているのかと言うと、最初に購入した千円が腕力十ポイントだったのだ。十ポイントなんて百万円買ってやっと出るかどうかなのに、いきなり出たから、その感動でアビグラ購入に嵌まってしまったらしい。
ユーチューバーによると、百ポイント違えば何となく違いが分かるとの事だった。二十五万円使えば全能力が約百ポイントずつアップするけど、二十五万円で何となく体感出来るって程度では貧乏人に手は出せない。あるユーチューバーは、百メートル走で十一秒を切れるまでになったと動画をアップしていた。元々、十三秒台だったと言うから一億円近く注ぎ込んだのかも知れない。
アビグラがオモチャでは無く、効果が本物というのは、色んなユーチューバーやテレビ番組の検証、そして、俺の体感で間違い無いだろう。
俺と田辺はアビグラ購入の為、一人用の個室に二人で入った。基本的には、ATM の部屋と全く同じ。預金通帳の代わりにキンコジをコネクタに繋いでセットするだけ。田辺は自分の頭に着けているキンコジを外し、コネクタに繋いだ後、お金の投入口に千円を入れてタッチパネルを操作した。
田辺は「よっしゃー!」と叫びながら右手で小さくガッツポーズした。ディスプレイには『INT 3』と表示されている。INT というのはインテリジェンスの略で知力が三ポイントアップしたという意味だ。
二ポイント以上が出たので、田辺は満足してキンコジをコネクタから外して頭に着け、気分良さげに部屋を出た。
駐輪場へ戻り、自転車の前で、昼御飯をどうするか田辺に聞こうとしたその時、田辺が素早く自転車に乗り、勢い良く漕ぎ出した。俺は一瞬、何事だ? と思ったけど、直ぐに理解した。田辺の家まで競争しようという事だろう。アビグラの能力を試す良い機会だ。かと言って、別に昼御飯を賭けている訳でもないので、安全第一でと心に決めた後、俺は全力で追いかけた。進行方向に目をやると、既に田辺は五十メートルぐらい先に進んでいた。俺は自転車を漕ぎながら考える。
田辺のキンコジは、全能力が五十ポイント前後の筈。俺のは全能力百ポイント弱。普通に考えたら、こっちが有利だけど、五十ポイント差なんて分からないレベルだ。となると、基本的な運動能力で決まるのかもしれない。それなら、俺は田辺よりも上だ!
俺は理論上追いつける筈だと理解し、自転車を漕ぐ。少しずつ差が縮まっているように感じる。いや、間違い無く縮まっている。
二人の差が半分ぐらいになったと感じてきた時、残念ながら、俺は赤信号に捕まってしまった。信号無視してまで勝負する必要は無いので、諦めようと思ったその時、名案を思いついた。もう一筋違う道から行ける事を思い出したんだ。その道なら勝てるかも知れないと思いながらも、最近通っていない細い道なので、今は通行止めになっているかも知れない。まあ、その時は負けでいいやと自転車を漕ぐ。
そして、次の交差点に差し掛かった時、ちょうど青信号になった。俺は細い路地に入り、こんなに細かったかと思った。道幅が二メートルぐらいしかないうえに、両サイドも二メートルぐらいの壁になっており、圧迫感が凄い。
その時、前方の異常に気がついた。昔の記憶と明らかに違う景色に気をとられて、気付くのが遅れたんだ。悪そうな同年代の四人組が道を塞ぐように屯している。
これはヤバい状況だと、U ターンしようと思った時、声を掛けられた。
「やあやあ、お兄ちゃん。良いの付けてるね」
四人組の三人が立ち上がり、ゆっくりと俺に近づいてきた。何故か一人だけ金髪男性が座ったままだ。
俺はキンコジ狩りだと察した。最近、主に中高生を狙ってキンコジを奪う事件が多発している。大人を狙うと警察沙汰になるのは間違い無いけど、学生なら身元がバレやすく、その後の学校生活でイジメやリンチにあう可能性があるので、警察に言わず泣き寝入りする事が多い。
道幅が細い為、自転車を上手く U ターンさせる事が出来ず、一人に自転車の荷台を掴まれてしまった。俺は自転車を置いて走って逃げる事を選択した。
「おい! 待て!」「コラ!」
俺は全力で逃げた。この細い路地さえ抜ければ人目につく可能性がある為、コイツらも無茶はしてこないだろう。ハッキリと見てはいないけど、全員キンコジをしていたように見えた。キンコジ狩りをするような奴等なので、アビグラ数値が高いかも知れない。そうなると追いつかれてしまう。俺はそんな考えを振り払うように、一心不乱に逃げた。
二百メートルぐらい逃げたところで後ろを振り向いたところ、既に諦めたのか誰も追ってきていなかった。ホッとしたのも束の間、自転車を取りに行かないといけない事に気付き、気が重くなった。新しく自転車を買うとなると、二万円近くかかってしまう。どうしようかと悩んだ後、今ならあの四人組は居ないんじゃないかと思い、先程とは逆方向から細い路地の様子を伺おうと決意し、直ぐに向かう事にした。
細い路地の入り口から顔だけ出して様子を覗き見る。誰も居ないし自転車もそのままのようだ。危険だけど、こんなチャンスは無い。俺はドキドキする胸の鼓動を感じながらダッシュで自転車を取りに行く。高い壁に細い道の閉塞感と、四人組が戻って来るかも知れないという恐怖感にビビりながらも何とか自転車までたどり着き、俺は自転車に跨がった。ペダルに右足を乗せ力強く踏み込もうとした時、後ろから誰かが近づくような足音が聞こえた。右足を踏み込んだ後、左足を踏み込もうとしたけど踏み込めず、バランスを崩して右足を地面につけた。まさかと思い、左後ろを振り向く。
思わず「うわっ!」と声が出た。心臓が止まるかと思うと同時に、恐怖で全身に電流が走り鼓動が速くなる。少し歳上に見える金髪男性が半笑いで荷台を右手で掴んでいた。先程の四人組の一人だと思った。何故か一人だけ動かなかったので妙に印象に残っていた。
それにしても速過ぎる。自転車に跨がる寸前には、二十メートル先の大通りまでに誰も居なかったのに、五秒程で荷台を掴まれるなんて・・・。アビグラの数値が異常に高いのかも知れない。
「残念だったな、キンコジを置いていきな」
やっぱりキンコジ狩りのようだ。俺は自転車を降りながら言う。
「勘弁してください。それに、このキンコジ、壊れてるんでデータの引き継ぎ出来ないですよ」
「まあ、それは俺が判断するから心配するな」
金髪は右手を荷台から離し、キンコジを渡せというジェスチャーをしながら言った。その時、金髪の後ろから、仲間と思われる男が走ってきた。それを見て、俺は咄嗟に金髪を両手で突き飛ばした!
仲間が来て、四対一になったら最悪と判断した為だった。ただ、金髪が先程のスピードで追いかけてくると、どう考えても追いつかれてしまう。とか考えている間に、目の前では信じられない事が起こっていた。
金髪が五メートル程勢い良くふっ飛び、後ろから来た男も巻き込んで派手に倒れたんだ。意味が分からないまま、取り敢えずラッキーだと思い、自転車に跨がると後ろを見る事無く全力で逃げた。アドレナリンが分泌されているせいか、逃げるスピードがかなり速いと感じた。百メートルぐらい離れると、安心したのかペダルが急に重く感じる。
田辺の家へ向かってしまうと、尾行されていた場合、田辺に迷惑がかかると思い、関係の無い方向へ逃げながら先程の珍事を思い出す。
全く意味が分からない。俺に、アビグラの数値が高い男・・・いや、普通の男だとしても、あそこまで吹っ飛ばす事は出来ない。となると、答えはただ一つ。あの金髪がわざと吹っ飛んだという事だ。何の為に? 後ろの男にダメージを与える為ってのは芸が無さ過ぎる。となると、俺に突き飛ばされたと、後々、因縁を付けてくるつもりなんだろうか? そんな回りくどい事をするタイプには見えなかったけど・・・。
俺は取り敢えず、田辺に電話をし、このような状況の為、田辺の家へは寄らず直接帰ると告げて電話を切った。そして、先程の不良達に見つからないよう大きく遠回りし、自宅へ戻った。
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