ビアガーデンの女神

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ビアガーデンの女神

「かんぱ~い!」ビル屋上のビアガーデンにてフワフワ先輩の日野森さんと杯を触れ合わせる。ビールは一杯目が一番うまいと父が言っていたが、その気持ちがわかる年になった。特に今日みたいに暑い日は沁みる。  日野森さんも何も言わずにビールをのどに流し込む。彼女は一見、清楚系フワフワ女子だが、なかなかどうしてその飲みっぷりは堂に入っている。のどが鳴っている音を聞いているとますますおいしく感じられる。もし「全日本ビール美味そうな飲みっぷり選手権大会」があったら、ぶっちぎりで優勝間違いなしだろう。 「この一杯のために生きてるわね~」日野森さんがグラスをゆっくりとテーブルに置く。その中身は空っぽ。文字どおりに。フワフワ系女子なのになかなかの豪快っぷり。ギャップ萌えする男子の気持ちが少しだけわかる気がする。 「はぁ~やっぱり冷えたビールはおいしいわねぇ~」そういう日野森さんの目は眉毛ごと八の字になり、頬は少し桃色に染まっている。右手にグラスを持ち、左手を口に添えるその仕草は同性の私から見ても扇情的だ―――いや、素直にエロい。    今日ここにセク原課長がいないことに感謝する。神様、マジでありがとう。  暮れゆく夕陽を受けるその姿を「ビアガーデンの女神」と表現するのは言い過ぎであろうか。 「ところでハナちゃん。最近、お仕事を覚えようとして私えらいと思っているのよねぇ~。だけど何かしら? 昨日から少し様子がおかしい気がするの。早くも転職希望なのかしら? なんて半分は冗談よ。なんかあったのかしら?」日野森さんはおつまみのから揚げを爪楊枝で刺しながら割と鋭い質問をしてくる。  転職希望ではないのだが―――似たようなものなのかもしれない。  今日、ここに日野森さんを誘ったのはちょっとした相談がしたいから。  ハッキリ言おう。    ミズキたちにあやまってまでエターナルアイアンメイデンに戻る必要があるのかを問いたいと思ったからだ。  しかし、いきなり「私、実はエターナルアイアンメイデンのオリジナルメンバーなんです。てへぺろ」なんてかまそうものなら逆に妄想メンヘラ女子と思われる可能性もある。  ここは少し時間をかけて聞いてみよう。それに日野森さんは演劇をやっているという。実はその辺のことも興味があるので聞いてみたい。これは後輩特権というやつだ。 「転職希望なんてそんな……。それより日野森先輩って演劇やっているんですよね? 学生時代からってことは大学生の頃からですか?」 「ふふふ。よく聞いてくれたわねハナちゃん」日野森さんは不敵に笑う。美人が笑うとただそれだけで意味が生まれるから羨ましい。私が同じことをやると不敵ではなく、になる。 「私の演劇活動は高校生の時から―――いや、幼稚園の頃の聖劇から始まっていると言っても過言ではないわ! すみませーん。ビールおかわりくださ~い! あとフライドポテト!」日野森さんはそういうとジョッキを高く掲げる。近くのスタッフさんが「ご注文ありがとうございます!」と威勢よく返す。 「幼稚園からっすか? 長いっすね」 「まぁ、本格的に始めたのは高校の時に入った演劇部からよ。ただずっとなんとなくやってみたいって気持ちが強くてね。演劇ってさ、演じた人の数だけの人生を経験できる的なところもあるじゃない?」私は自然と相づちを打つ。確かにそういう話はテレビとかで見たことがある。演劇は「ままごと」に近いなんて言っていた人もいた。 「そこに魅力を見出したのよねぇ。昔の私は引っ込み思案だったから余計にいろいろ演じることが楽しかったのよ」 「お待たせしました。ビールとフライドポテトです!」 「ありがとうございま~す」日野森さんが日焼けした若々しい男性店員さんに受けそうな笑顔で対応する。正直言って同性の私から見てもかわいいと思う。  ああ、わかるよ青年。あんな顔見せられたらひょっとして自分に気があるんじゃないかと思うよね。その表情。図星ですね!  私の心の声が漏れたのではないかと思うぐらい、その男性店員はドギマギする。 「あ、空いたグラスお下げします!」そのまま男性店員は空いたグラスをお下げした。 「先輩。だめっすよ、そういうの」私は小声で嗜める。 「でもこういうサービスすると結構おまけとかしてくれるのよ?」 「それも長年の演劇の成果ってやつですか?」 「そうとも言えなくないわね、ふふふ」日野森さんは豊艶にグラスを持ち、口をつける。なんか―――エロい。私には一生かかっても出せない雰囲気。   ひょっとしてこれらの仕草は全部演技なのだろうか? だとすると普段の日野森さんはどこからが演技なのか。フワフワ系女子というそれ自体が演技であった場合、私は人間不信になる可能性がある。 「でも、あんまり演技を褒められたことはないわ。今も細々としかやってないしね。完全に趣味よ」  嘘か本当かはわからないが、普段の日野森さんが演技で作られていないということなので安堵する。おうおうにしてこのような天然系女子は人生を通して得とすることを私は知っている。天は人の上に人を作るのだ。そして天は人に。 「今でもやってるんですよね? 演劇」 「ええ。やっているわ。下手の横好きって感じだけど―――。何? ハナちゃんって演劇に興味あるのかしら? ひょっとしてどっかの劇団にはいっていたりとか―――あ! わかったわ!」日野森さんがテーブルをバンと叩きながら、急に立ち上がる。周囲が少しザワっとするが日野森さんは気にしない。 「劇団での活動を本格的に継続するか、普通の社会人をやっていくかを迷っているのね?」 「日野森さん、声大きいっすよ」私はなんとなく周囲に気を使ってしまう。バンドマンはステージ上以外ではわりと。逆に損な性分なのだ。 「で、どうなのよ?」日野森さんはなおも迫る。言うなら今しかない。タイミングとはしては願ってもないチャンスだ。 「―――実は似たようなことがあって―――。相談したいことがあるんですが」私は意を決して考えていたことを口にする。 「悩んでいるのは演劇ではなくて、バンド活動のことなんです―――」 「いいわよ。聞かせてもらおうかしら」日野森さんはそういうとグラスの中を空にして、グラスを高く掲げる。 「すみませ~ん。おかわりくださ~い!!」 「あ―――私も」 「はい! ただいま!」先ほどの青年が威勢よく返事する。  この「女子会」は始まったばかりだ。日野森さんの顔は夕陽があたり、赤くなっている。―――まさか酒で赤くなっているわけではないよね―――。 「あのっすね。実は―――」私はこの昨日の一件について話し始めた。
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