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逸話は星の数ほどに
ベクタールは彼の国の西部に位置する地方都市である。目立つ産業は無く、隣国に向かうための中継地点としての役目しかない街だった。
しかし、稀に物騒で剣呑な輩が訪れる。
彼らの目的はベクタール北東にある〝決闘者の森〟と呼ばれる鬱蒼とした場所だった。犯罪者や野盗の根城になることもあり、地元民は近づきすらしない。
では、なぜ輩たちは〝決闘者の森〟を目指すのか。
各地に残されている伝説、童話、噂話につられてやってくるのだ。
曰く、森には大陸中を荒らし回った盗賊王が名だたる財宝に囲まれ眠っていると。
曰く、森にはかつての勇者が伝説の宝剣を携え、次の勇者の来訪を待っていると。
曰く、森には石の守護者が帰らぬ主の命に従って不死の秘法を守り続けていると。
曰く……曰く……曰く……。
〝決闘者の森〟に纏わる逸話は星の数ほどに。
それ故に輩たちは各々の胸に期待をする何かを求めて、何かに期待して、森に立ち入った。しかし、全ての輩たちは失望してベクタールへと戻ってくる。
「ただの森だった」
「何も無かった」
「無駄足だった」
輩たちは愚痴り、悪態をつき、迎えた酒場の主人であるサミュエルはお決まりの相槌を打つ。
「そうだろうとも。だから言ったじゃないか」
そんなやり取りをしながら、グラスを拭きながら、サミュエルは思う。
ごくごく稀に森から帰って来ない者がいることに。
それは、たまたま酒場に寄ることなくベクタールを去ったからかもしれない……ただ、もしかしたら。あの森には本当に何かがあるのかもしれない、と。
***
「主様、我らはここでお待ちしております」
小柄な従者の男は、下馬した騎士にそう言った。賛同するかのように馬が小さく嘶く。
男は自身の背丈を遥かに超える騎士の愛槍を抱きかかえるように持ち控えていた。ずんぐり体系の従者が重厚すぎる槍を抱える様は「柱に纏わりつく狸」を連想させた。
主と呼ばれた騎士は、全身を白銀に輝く甲冑で包んでいた。胸部には華やかで繊細な細工が施されている。手入れは行き届き、太陽の光を眩しく跳ね返す。その反面、甲冑のいたる所に傷があり、騎士の歴戦を物語っている。美しさと無骨さを併せ持つ姿は高潔な英雄を象った彫像にも見えた。
従者の声に応じて、騎士は顔面すらも覆われた兜の中で頷く。甲冑のどこかで軋む音が小さく鳴り、続けて澄んだ少年のような声が続いた。
「頼む」
二人を此処へと案内してきた髭の男モーリスは、目当てとする家の門に背を預けて、その様子を興味深げに眺めていた。従者に案内を頼まれた時から感じていた騎士への疑念が正しかったと分かったからだ。
無骨な見た目と背反するしなやかで流麗な所作、ふと鼻をくすぐったふわりとした甘い香り、そしてあの声。
甲冑の中身が女であることは間違いないだろう。
女だてらに騎士か……などという考えが頭をよぎるも、内心で苦笑う。
なぜなら、騎士の背丈は二メートルを優に越えており、全身を隙間なく覆った甲冑を着込んでいても尚、平然と歩き、振る舞う。自分なぞより、よほど騎士らしいじゃないかと軽く肩をすくめた。
「待たせたな」
「いえ。あっしは駄賃をもらっておりますから、お気になさらず」
モーリスは勝手知ったる様子で騎士を連れ、家の裏手の庭に回る。小さな庭の端に置かれたベンチに座り刺繍をしていた老婆を見つけると声を張り上げた。
「婆さん! 客だぞ! えらく遠くから来なすった騎士様だ!」
老婆はゆっくり顔を上げ、「あらまあ」と呟く。
騎士は老婆にゆっくり近き、簡素だが流麗な細工が施された兜を止める金具をパチリパチリと外しながら老婆の前で腰を落とした。
兜を取り、晒された騎士の素顔に、モーリスは息を呑んだ。
編み上げられブロンドの髪は細く、前髪は金糸の如く輝いている。優しげに、老婆を見つめる切れ長の目は若い活力を源とする眩しい光に満ち、形の良い高い鼻、滑らかで麗しい唇。長く甲冑を被っていたためか、頬は上気し、瑞々しい白い肌には汗が浮かんでいた。
「この方が婆さんの伝え唄を聞きたいとおっしゃられてな。お連れしたのさ」
「不躾な願いではあるが、聞かせてはもらえないだろうか」
老婆は何度も頷くと刺繍をしながら、歌い出した。多少の節はあるものの詩の朗読に近い唄が老婆の声にのり、静かに流れた。
かの森で座するは忌まわしき者。
冷酷と無慈悲を友とする決闘者の王。
ただひたすらに倒し、ただひたすらに嬲る、恐ろしき者。
王を滅ぼしうるは、神に選ばれし決闘者。
勝利でしか得られぬ物のため、命を賭して闘う者。
恐るるなかれ。神に選ばれぬ幸福な者。恐るるなかれ。
王の首、王の手足には神の枷。
森に縛られし憐れな者ゆえに。哀しき者ゆえに――。
老婆は唄い終えると騎士に笑顔を向け、もう一度頷いた。
「ありがとう」
短く礼を伝えると騎士は立ち上がり、従者と愛馬の元へと戻るため踵を返した。僅かに浮かべた安堵と歓喜の笑みは、直ぐに緊張へ、昂りへと変わった。
それは、自分が得た天啓に間違いがないことを確信したからだった。
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