第百二十三話

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第百二十三話

 気を失った沙織はそのまま長野市内の病院に収容された。連絡を受けて迎えに来た沙織の弟に看病を任せた。彼女は弟にも信之と言って甘えていた。  その光景に春樹は絶対に踏み込んではならない彼女の花園だった心の聖域を、荒野に替えてしまったのかと悶々する。いや、彼女が新たに求めて、いつかそこに再び戻ることを夢見ていた花園を捨てたのだ。  長野で診察を終えた神経外科医は、彼女を前にして単なる記憶障害に過ぎないから、直ぐに回復するだろうと春樹に伝えた。側で聴いた響子は彼女の夫、信之との恋が最後だと認識すればと応えた。  それは医者の説明を待つまでもなく、昔の沙織の言動を重ねると、容易に想像が付いた。  普段は正常な彼女の記憶だが、稀に特定の記憶を呼び覚ます現象が眼前に現れると神経に異常をきたし、痙攣と発作を起こして意識が途切れ途切れになってしまう。  確実に言えるのは半年前の夫の死が、精神的にかなり影響していることは事実で、春樹とはもう会わない方が良いと付け加えた。それでもまた会えばもう軽い発作では済まない、重い脳梗塞を併発して脳内出血で死に至らしめる。もしも、もしも仮に治っても人の分別も付けられない廃人になると告げられた。それを聴いて、春樹は「それでもあの人は信之に代わる人を見付ければまた恋をするだろう」と響子と共に病院を後にした。                            完 
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