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十年以上昔の話だ。
飯原雨峯は買い物袋をリビングに置きながら過去を思い起こす。
愛しの愛娘が雨峯に近寄り、頭を撫でてほしいとねだってくる様子を微笑ましく見つめながら、彼女を引き寄せ優しく頭を撫でてやる。そうして同時に先程の彼の言葉を思い返していた。
―――――『小野さん、久しぶりだね』
小野は旧姓だ。結婚してから苗字は飯原に変わっている。それを彼が知る筈もなく、また教える必要がない事も分かっていた。
(懐かしいな)
先程会った男性は、雨峯の人生で初めて出来た彼氏だった。ゆえに元恋人だ。
彼への未練は一切ない。ないのだが、ああした形で再会するとやはり少し昔の事を思い出してしまう。
兜悟朗と別れてからは雨峯もたくさんの恋愛を経験していた。そして五年前にようやく今の夫と知り合い、結婚に至ったのだ。彼はとても穏やかで優しく、雨峯に毎日愛情を向けてくれる。素敵な旦那様だ。愛おしい娘にも恵まれた。
だからこそ、雨峯は今の結婚生活に満足しており、元彼が現れたからと言って未練が生まれる事はない。
しかし、目を閉じると彼との昔の記憶が蘇ってくる。兜悟朗との別れは決して仲違いをしたからではなかった。
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