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それからどれぐらい経っただろうか。
気が付けば一月も終わりかけていた。
あの初詣以来、実家に帰ってみたり、仕事が忙しいといってみたりして郁美には会っていない。
なんでそんなことをしているかと言えば、今もって結論が出ないからだ。
いや、どちらかと言えば僕の心は断りたい方に傾いていた。
飛行機の安全性について確認すべくネットの大海原に乗り出した僕は、飛行機事故だのなんだのという記事や動画ばかり見つけてしまい、結果として恐怖が膨らんでしまったのだ。
「なんて言えば諦めてくれるだろう。もしかして、ケンカするしかないのかなぁ」
平和主義の皮をかぶったチキン野郎である僕は、郁美との言い争いを想像しただけでげんなりしてしまう。双方痛み分けぐらいで何とかご破算になってくれないだろうか。この際、イタリアに向かう空路でグレムリンが大量発生、飛行機の墜落が相次いだため、しばらく跳びませんとかそんな超展開でも僕は許すんだが。
という、何の生産性もない事を考えながら、僕はワンルームマンションの二階にある自室にて、寝転がってテレビを見ていた。
画面の向こうではアイドルなのかアナウンサーなのか見分けのつかない若い女性がマイク片手にスイーツ的なものを紹介していた。
「見てください、この素敵な層。それに濃厚なチョコレートとコーヒーの香り。上に乗った金箔が、何ともお洒落ですよねぇ」
画面に映し出されていたのは、直方体のケーキだった。何層にもなっていて、一番上にはてかてかしたチョコレートが塗られている。その真ん中にちょこんと添えられた金箔。黒っぽい茶色だらけのケーキの中で、金箔はひときわ輝いていた。
「綺麗ですよねぇ。食べるのが勿体ないなぁ」
リポーターは大袈裟な身振りでケーキの周りを顔だけでうろうろしている。顔芸の一種なのかもしれないが、こちらとしてはさっさと食えぐらいしか感想が思いつかない。
僕の願いは聞き届けられないまましばしの時間が経過し、ようやく彼女はフォークでそのケーキの端っこを少しだけ切り取った。
「うわぁ見てください、この層!! この層が口の中に入ると混然一体となった素晴らしい味を演出してくれるんですねぇ。では、頂きまぁす」
かなり過剰に大口を開けて欠片を口に入れた途端である。
リポーターの子はカッ、と目を見開き大きく一つ頷いた。
「すっごーい!! とぉぉぉぉっても美味しいです。濃厚でぇ、香り豊かでぇ……」
実に過剰なリアクションと言わざるを得ないが、不思議とめちゃくちゃ美味しそうに見える。これが手練れの技というやつなのだろうか。
そういえば、郁美も甘いもの好きだったよなぁ。これで何とかご機嫌直してくれないかなぁ。
……そんなんで済んだら、苦労しないって話だよな。
「チョコレートのこってりとした甘さと、ガナッシュの濃厚なコク、それにコーヒーのほろ苦さがいいアクセントになってます。何だろう、ちょっとセンチメンタルな感じ?」
リポーターに関しては、センチメンタルの意味を調べてから出直してもらうとして、その次に彼女の口から放たれた言葉の中に、僕は起死回生のヒントを見つけたような気がした。
「このオペラケーキ、人気洋菓子店、まるむし亭で一番の人気なのも納得です。とぉぉぉぉっても、お勧めでぇす!!」
顔にくっつけるようなピースをしながら、下手くそなウインクを飛ばし、そのコーナーはめでたく締めくくられた。
店の評判が下がらないことを切に願いつつ、僕は今聞いた言葉を復唱した。
すなわちケーキの名前。
「オペラ……」
これだ!!
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