エピローグ

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エピローグ

 気がつくと、懐かしい風景が目の前に展開していた。  父が貸してくれたタキオン望遠鏡から見えた、例のトーラス状の構造物である。  それと光。この宇宙にはまばゆいばかりの光が満ち溢れている。真の闇に覆われた〈球状世界〉にはない特性だ。  コレチカはフラフラとあてもないまま、構造物のほうへ近寄っていった。 「たまげたな」外のヒトは目を丸くしている。「てことはアンタ、ブラックボールの内部から出てきたってのか?」  たまげているのはコレチカも同じである。外のヒトは有機物でできており、それが電力を取り込む様子もなく動いているのだ。「そうだ。ブラックホールというのが〈球状世界〉のことなら、だが」 「俺たち〈保存派〉がブラックホールの外縁で暮らし始めて――そうだな、数十億年は経つが、こんな話は初めて聞いたぜ」  例のトーラス状構造物は一種のダイソン球であるらしい。ヒト本来の姿で細く長く生活することを望んだ〈保存派〉と呼ばれる人びとは、ブラックホールから得られるホーキング放射を利用して生活しているのだという。恒星と違って蒸発するまでに途方もない年月がかかるため、より永続性があるのがブラックホールの利点なのだそうだ。 「アンタ、わかってるか? 既知の物理学をひっくり返しちまったってことをさ。そりゃ電子程度の質量ゼロに近いようなモンはたまに出てくるけど、アンタみたいな大質量の物体がまさか出てこられるとはなあ……」  コレチカは〈保存派〉の人びとから下にも置かない歓待を受けた。彼は目的を達成した。外に出て、外のヒトに会った。  いや、違う。外のヒトに会いたがっていたのは彼ではなかった。コレチカの夢を叶えるために特異点へ落下することを選んだ、最愛のヒトの夢だったのだ。  いまから戻って、間に合うだろうか? そこですぐに気がついた。外では光速が意味を持つ。エントロピーは常に正の値をとる。そうであるならば、コレチカからすれば〈球状世界〉の時間は止まっているに等しい。ミナコはまだ、外縁からほんの数センチメートル程度の場所で停止している――。  彼は逸る気持ちを抑えて演算を始めた。彼女の相対速度にゼロコンマ数千桁まで一致するようなスピードでブラックホールへ再突入する。そして再びランデヴーし、どこかの村で反転、今度こそ二人で外を目指す。あのトリオのように。  その方法は? どうやってトンネル効果を引き起こすのだ? わからない。だが必ず見つけてみせる。 「みなさん」コレチカは群がる理論物理学者たちに堂々と宣言した。「何億年後になるかわかりませんが、同じ現象をお目にかけましょう。今度はわたしともう一人、一緒に出てくるはずです」
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