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彼は野合の子、所謂、私生児だった。何処で生まれたかとんと見当がつかぬ、と吾輩は猫であるの一節にあるようにお里は知れず、物心ついた頃に訳の分からぬ所に置き去りにされていたことだけは記憶している。
児童相談所に保護されて里親に引き取られてからも運悪く虐待され、学校でもいじめに遭い、弱味に付け込まれる性と人間の卑劣さを痛感して到頭高校二年の時、絶望して家出した。
彼はもう死ぬ積もりだったし、性欲旺盛だから親から盗み出した金で立ちんぼと目的を果たしてから往生を遂げようと思い、その足で夜、立ちんぼスポットに行き、それらしき女を物色する内、一人の女に目が留まった。彼女はすらりとしていて黒髪のロン毛と真っ赤なロングコートが妙にマッチする女だ。但、マスクをしているので顔はよく分からない。それに彼女は他の女と違って高校生然とした彼をどうせ金持ってないんだろうと馬鹿にして尻目に懸けるどころか手招きして来た。
喜んで彼が接近すると、彼女は言った。
「あたし、綺麗?」
全体的にかっこいい印象を受けていた彼は、何やら妖気を感じさせる目に惹きつけられながら言った。
「き、綺麗です」
すると彼女はマスクを取って言った。
「これでも?」
その笑った口は、刃物か何かで抉って耳まで裂けているのではなく天然で耳まで裂けていた。つまり彼女は大きな口をした口裂け女だったのだ。が、彼は内面から滲み出る醜い人間を見慣れて来たからか驚きも怖がりもしなかった。それどころか彼女の顔に見入ったまま言った。
「はい、綺麗です」
「はぁ?」と彼女は心外になり、憮然として言った。「あたしが怖くないの?」
「怖いと言うより綺麗だから」
「ほぅー、これまた心外」と彼女は言う内、逆に嬉しくなった。「いつもなら肝を潰して腰を抜かして這う這うの体で逃げ出すのを見て楽しむものだが、天晴れ、お前は褒めてくれたから御礼に催眠術を教えて進ぜよう」
急に口調を厳かに改めたりして言動と言い、出で立ちと言い、怪奇とも奇怪とも言える女に相応の実は彼女は口裂け魔女だったのだ。
で、彼に催眠術を伝授した後、「きっとお前の人生に資する大いなる効果を齎すであろうぞ!さらばじゃ!」と言うが早いか、幻のように雲散霧消してしまった。
超常現象を目の当たりにした彼は、彼女の言葉を自ずと信じ、希望が湧いて来て早速、催眠術が使えるかどうか確かめたくなった。で、手っ取り早く試そうと近くにいた立ちんぼの前まで来ると、「お前は俺を好きにな~る」と言いながら催眠術をかけてみた。
すると彼女の見る目が豹変して目を爛々と輝かせたので彼は手応えを感じて言った。
「俺と只で寝てくれるかい?」
「勿論、喜んで」
「ホテル代もそっち持ちだよ」
「あなたとやれるなら構わないわ」
という訳で話はとんとん拍子に進み、彼は彼女とラブホテルで寝ることに成功した。が、器量が芳しくなかったのでラブホテルをチェックアウトした後、催眠術を解いて彼女と別れた。
こんなに上手く行くとは…しめしめと味を占めた彼は、死ぬ気なんて更々なくなり、女に困ることは素より金に困ることもない生活が始まった。お前は俺に只で売りたくな~ると催眠術をかければ只で買い物が出来、お前は俺に⭕⭕円金をやりたくな~ると催眠術をかければ⭕⭕円金をもらえるからだ。
しかし職には就かないから賃貸住宅は借りられずネットカフェを拠点に活動していた。で、ネットサーフィンしてたら超ナイスなグラビアアイドルのビキニ写真を目にして、この子とやりてえと強く思ってしまった彼は、俺には催眠術があるから何とかなると大望を抱くのだった。
日ならずして彼女のサイン会が××であることを知り、そうだ、××へ行こう!と彼は心に決めた。
当日、彼は当然ながら××に赴き、彼女のサイン会に臨み、いよいよ自分の番になって俺、△△と申しますと名乗りながらサイン色紙を渡すと、催眠術をかけた。
「お前は俺を大好きにな~る。だからサイン色紙に携帯電話番号を書きたくな~る」
すると彼女はサイン色紙に携帯電話番号を書き込み、握手して別れる際に△△さん、連絡お願いねと頼んだ。
だから彼はウハウハもので帰って行った。
その晩、彼は彼女に電話してみると、丁度彼女は自分の部屋で独り寛いでいる時だったので何の気遣いもなく大きな弾んだ声で応対した。で、三日後の夕暮れ時に約束場所で落ち合うことになった彼らは、街中の高級レストランでハッピーなディナータイムを過ごしてから街中をカップルのようにぷらぷら出歩き、行き着く先は案の定ラブホテルだった。
そこで彼はまんまと目的を果たしたのだった。そして彼女とは肉体関係を続けようと催眠術を解かなかった。彼女と海外旅行にも行ってみたいし、彼女以外の美人とも…南国のエメラルドグリーンの海を眺めながら白い砂浜に立てたビーチパラソルの下、デッキチェアにビキニ姿の彼女と隣り合って寝そべりながら美味いカクテルを飲む、而も何もかも只、それって最高じゃんと想像したりして彼は夢が無限大に膨らんで行くのだった。
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