9「風雪謬説ブロッサム」

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「……つまりクロスチョップで八等分なんだな!」 「え、何言ってるの?」  呆気にとられる璃月には構わず、詩音が手近な場所に落ちている岩に向かって両腕を構えた。目を凝らしたのち、十字に断ち切る軌道で振り下ろす。  触れていない岩に亀裂が入り、放射状に割れる様を見た璃月が余計に唖然としていた。  学校を休んで、それでも座学から入っていたはずだったのに。  それでも確かめようと即座に行動に移すのを、咎める様子はなかった。 「変に素地があると歪むんだから」 「そうかもなあ。ほら、六分割にしかならない」  このまま進むと異常者とか通り越すかな、言いはしないけれど不安げな様子は隠せない。  その雰囲気を詩音が感じ取れないわけでもなく、自分で提案したことだろなんて言いたげな視線を向けていた。 「抽象的に呑み込もうとするよね」 「慣れていけば感覚で動けるようになるだろ?」 「それもそうか……いや、基礎を作ってからでしょ」 「どれくらいの猶予があるかな」 「何とも言えないね。ただ、昨日のアレがかなり痛いというか」  自分の領域に入り込んでいると、痛覚で感じ取れるようだった。教材を開く前に、「いつになく荒れてるように見える」とぼやいていたのを憶えている。  怪我は気にすると意識から離れないものだから。  分かってはいても、知らず触れてしまうような鬱陶しさには何度も苛まれている。 「自分で誤魔化すのはできない?」 「自分で自分の手術をできる人がどれだけいるか、って話だよ」  普段からやってない? と言いそうになったけれど。  きっと今までとは何か違うのだろう。そういう雰囲気を感じ取った。 「どれくらい痛い?」 「焼けてひりつく感じが延々と」 「炎症ならそのままか。……医学の知識なんてあるわけないし、適当言ってるけど」 「状態異常って言えばいいんだよ」 「ひたすらそっちに持っていこうとするよな」 「その方が正確だからね」  軽く返してくる辺り、余裕がありそうだった。  いつどうなるのかもわからない、今この瞬間に、隕石に当たって死ぬのかもしれない。  その程度でしかなくても、思えば怖い。  だから、璃月のこういう態度は単なる開き直りだと思えば納得がいく。  それは、強さなのだろうか。  疑問はあるけれど、しかし考えても答えは出なさそうだった。 「次行こうか」  椅子に座りなおし、図書館で借りてきたテキストをめくる。  ……現実に干渉できるコードって、つまりは魔術だよなあとか考えつつ。しかし正確に無理なく扱うには科学の知識が必要にもなっていた。 「今までも似たようなことをやってたけど、それって無理があったってこと?」 「たぶんね。規模自体が小さいから、致命的にはなってないだけで」  どこか別の場所で辻褄合わせが入っていたんじゃないかな? 疑問形なのは、直接居合わせたことがないからだ。 「遠い場所で誰かが何かやって、その所為でこの街の人がいきなり女の子になったこともあったよ」 「脈絡ないと思うけど」 「何かに引っかかったんだろうね」  遠い目で複雑な表情を見せる。  本当に大変そうだな、と詩音にはどこまで行っても他人事だった。 「……女の子になったってどういう意味?」 「五十代男性だったんだよ、その子」 「えぇ、と――――」  触れない方が良かったのだろうか?  そんな記録があったら、詩音だって一度は聞いているはずの珍事だとは思うけど。 「何事もないように改竄するの、骨が折れるよ。肉咬くんと半泣きで調整してたから」  言葉が出なかった。  近くの木の幹から材質を引っ張って、木刀を成形できるようになった。  その分、樹の高さが削れているらしいが、十メーターくらいの高さがあると見た目には目立たない。 「あまり目立つところでやっちゃ駄目だよ」 「記憶とか消せない?」 「人数が多くなると、ちょっとね」  見回しても、平日昼間のこの時間に歩行者はあまりいない。車通りはそこそこだが、官庁街は大通りよりも控えめだ。 「大事なんでしょ、ここの桜並木」  別に俺の所有物じゃねえしなあ、と軽口を叩くのは違うかと呑み込んで。 「毎年、春には人が集まるからな。そこまで花見が好きなわけじゃないけど、楽しいのは確かだ」 「わかるなー。その時期になると、深白もよく眠るようになるし」 「不眠なのか?」  前に会った時は常に機嫌が悪そうだったけれど、その所為だったら納得はできる。  ひどく荒れている時に吹雪になるらしいとは以前に言っていたような――――これはどっちの記憶だったか。 「どうだろうね、基本が仏頂面だからよくわからないよ」  そんなもんか。詩音にも言えることはないから、そのまま流してしまった。  今は何をしているんだろう、と少し気になっていたのだが、璃月の様子から大事ないことは察せられたから、それでいいと軽く首を振った。 「気になるの?」 「まあ、少しは」  そっか、という言葉に若干の棘を感じた。  そこだけ声が半音下がったから、そう思ったのだが。 「…………んぁ」  顔を背けて、木刀を眺めるふりをした。怖くはなくて、むしろ逆。  その所為で変ににやついた表情を隠したかった。  木刀の先から破壊光線でも出ないかなーと変な想像を走らせていたら、その通りに橙色の光が飛んだのを見て慌ててしまう。 「……どこにも当たってないよな」  とっさに真上に撃ったが、間に合っていないかと不安になる。  今度は肝が冷えて、これだけで寿命が縮みそう。 「詩音くん。今度は制御も併せて練習しようか」 「はい」  違う意味で顔を見れなかった。  理屈を知るほど混乱して、コントロールが難しくなっているように感じた。 「なんでだ……?」  少し前にできていたようなことまで不安定になってしまうのは、むしろ良くないことなんじゃないのかと疑っている間。 「再構築に時間がかかるのは当然だけど……単純にスクラップアンドビルドが向いてないとか?」  先入観の否定から入るのはどこでも当たり前、それでも簡単には捨てられない事前の感覚を足掛かりにしたうえで昇華するのが詩音の性質だった。  正確でないものがあっても、それを強引に結びつける我儘さ。 「不向きだなあ……」 「そんなあ」  はっきりと言われてしまったことにショックはある。  ただ、それがなにも間違っていないからか、特別に傷つくこともなかった。 「うーん……やっぱり現物で練習した方が早いのかなあ」 「トライアンドエラーってやつだな」 「日本語でいいでしょ、試行錯誤。とりあえず少し前の落下点に行ってみようか」  なんだか決断が早い。割と簡単に諦めるというか、切り替えが良すぎる。  もともとこういう人だったとは知っていたけれど、そこまで絶望的に合っていないと思われていたのか。  確かめるだけで三日消費するのも、待った方だったのかもしれない。 「ほらほら、行こう。はやくはやく」 「なんで急かすんだいきなり」  手首を引かれて、そのまま曳かれるように歩いていった。午後の太陽は既に低く、夏場なら夕方にも思える光量だ。  冬場の乾いた空気が、鋭い刃のように頬を撫でる。  首元が強張り、臓腑が凍える。 「雪でも降りそうだな……、向こうに雲が見える」  暗くなっている空に、光の柱が目立っていた。 「むー、壊せればいいと分かってても手順がややこしいな」  フグの毒でも除く作業のよう、と比喩して少し億劫になってしまう。  以前にどうすればいいかと思って出てくる手順、それも曖昧に見えるのはきっと詩音の脳で噴石の構造を理解できていないからだろうし、璃月が言うように構造がひとつひとつ違っているからというのもあるだろう。 「痛って!」  空間の歪みを取り切れず、振るった右手がめきりと鳴った。  折れてはいない、けれど。  あまり大きく間違えると肩の辺りからねじ切れてもおかしくない。 「……もっと物理的に観ないと」  イメージとして、かたく編み込まれたワイヤーの束を重ねていた。それ以前からスパゲティコードのような言葉を知っていて、先入観があるからだ。  糸繰りに似た考え方。  目を凝らして、脳内のイメージを噴石に纏わる情報に重ねる。視神経に痺れる痛み、眼筋もぎりぎりと絞られて痛かった。  その上で、噴石の光が隠しているひび割れにも目を向けるが。 「駄目か、解ききらないと隠れていて見えない」  注意が噴石のみに向かっていて、その周囲の景色すらまともに映っていない。筒を通してみているように他の者が目に入らなかった。  ぐらぐらと足が震える。  消耗しているのか、動悸も強く、連動して変な虚脱感もある。  両手で映し出した糸を手繰り、引き出しほどいて少しずつ解体していく。  ワイヤーそれぞれに細かい鑢のようなものがある。空間を削って壊していくのはこの所為なのかと思った。詩音がイメージしたワイヤーには無い情報、つまりは解釈に合わせて追加された未知のパラメータだ。 「返しみたいなもんかねえ」  処理の手間を増やすためだけの不要なギミック。  潤鐘鍛治の底意地が見えるようだ、なんて考えすぎだろうか?  それ、と機を見て両手に持ったワイヤーを一気に引きつけてから、地面に叩きつけた。  衝撃を受けた噴石は、周囲の白い亀裂を一気に拡げて、  その奥に詩音のよく知る景色を映し、  白いフラッシュで視界を塗りつぶして弾け飛んだ。 「…………」  市街地から少し離れた川縁、その上にある橋を塞いでいた噴石が消えて。  通行止めが解除されるのは明日の朝だろうか、ぼんやり考えている間にも一瞬の風景が印象に残って離れない。 「生きてる? ずっと呆けてるけど」 「なんとか。とりあえず可能ってわかっただけで充分かな」 「まさか、あんなに近くまで寄って叩き割るだなんて思わなかったよ」 「そんな風に見えてたんだ? 俺の印象とかなり違ってるな」  自分の姿が他からどんなふうに見えているのか、それがどのくらいズレているのか。  見えているようにしか見えない?  それとも見たいように見ている?  気にはなったけど、しばらくすればどうでもよくなった。 「結果が同じならどっちでも同じだからね」 「一理あるけどね」 「一理あるだけだ」  言ってみたら、肩のあたりを揉まれた。僧帽筋に璃月の指先がめり込んでくる。  気温に当てられて冷たい。 「……あの噴石の向こうに、俺の知ってる世界が映ってたよ」 「ん?」  書き変わる前の、詩音が識っている歴史の世界。どうしてそんな隙間から覗いていたのかはわからなかったけれど。  在る、と確信が持てた。  その情報を引き出して読み込めば、元のあるべき姿に戻せるのかもしれない。 「少なくとも、こんな危険な物体が降ってくるような世界じゃない」 「それは、平和なのかな」  直接的な脅威はないから、いくぶん安全だろう。  だから、ここよりはと答えた。 「そっか、だったら、その方が良いね」 「でもまあ、そっちで普段は皆のことが見えないからな……」  神種が人に認識できない、その様子を思い返して、少し寂しくなる。 (…………、……それでも) 「それ以上を望んだら、本当に外れた化物になるよ」 「―――、」  後ろから聞こえた声。  普段のそれを知っているから、今の低く圧し潰した声色に寒気を覚えた。  振り向いたのは反射的な行動、即座に飛び退いて相手と距離を取る。 「言ったはずなのにね。神に必要以上に深くかかわるもんじゃないって」  潤鐘鍛治。  以前に見たときとは全く違う衣服、どちらかと言えば病音色緋色のような赤黒い溶岩のような意匠を含んだ、ポンチョに似たマントを羽織っている。  ひどく判りやすい、殺気。  灼けそうな熱に似ているのは、やはり火山の神だからだろう。 「……、ここで手を引くのなら、見逃すけど」 「質問。いいかな」  要求を呑ませようとしている、というより。それを当然としているのは無理からぬことで、人の領域から外れようとも結局はヒトの身体である以上、明確な格差がある。  向こうの余裕次第で、こっちの話もある程度聞いてはくれそうだと判断した。 「この街ばかりじゃなく、湖の周りの街に噴石を撒いているのはどうして? それを、数百年も続けているのも」 「湖畔であのぼんくらが延々いがみ合ってんのが気に入らなかっただけだよ、やかましくて仕方ないし、それだけで天候が崩れる。そんなものは要らない」  そういえば、八太郎が定期的に喧嘩をしていると言っていた。  鍛治にしてはいい迷惑だった、とそういう訳だった。 「結局、人質を取れば大人しくなるからね。彼らはその感覚から脱け出ていない元人間だ」  嫌がらせのように思えても、大勢での抑止にはなっているよ。  本気を出せば、本当に一帯まるごと焼き尽くすのも造作はない。 「広範囲に撒き散らす意味はなさそうだけど」 「まばらだし、処理はしきれるくらいに留めているよ? もし大規模に被害が出たなら、周辺の管理者すべてのヘイトが岩渡青水と貪氷屋八太郎に向かっていく。彼らもそれを分かっているから成立するのさ」  その為の負担くらい、呑んでもらわないとねえ。  巻き込まれる方は堪ったものじゃない、詩音にはそれしかなかった。  人の喧嘩の巻き添えを食う理由としては、弱いのだ。 「不満そうだね。やっぱり退いてはくれないんだ」 「…………、」  返す言葉が思いつかない。でも、何か違うと思っていた。  それでも口を開こうと顔を上げる、前に首を掴まれて引っ張られた。 「…………っ!」  朱い閃光が、さっきまで自分のいた場所で弾けていた。 「詩音くん、気を取られすぎ」  璃月が詩音を両腕で抱えて大きく跳んでいた。  慣性と衝撃で頭が揺れて内臓がよれる気持ち悪さも、すぐに恐怖に上書きされていた。 「っの、」  想像が過熱する頭に浮かんだ。  すぐ近くにある川の水が、うねりながら鍛治を巻き込んで圧し潰すイメージ。  脳内の映像イメージの通りに彼が受けた攻撃を、しかし自身の纏う熱で蒸発させて弾き飛ばした。  水蒸気爆発の衝撃で璃月もろとも大きく吹き飛ばされる。 「水が効くと思ったんだけどな」 「単純にはいかないね」  ゲームよりも対策が面倒臭い、現実なんてのはそんなものだ。  どれほどゲーム的であっても、それは比喩表現でしかなくて。 「手を貸して」  返答を待たずに璃月の手を取った。半ば強引だが、彼女の管理権限と処理能力に乗っかり。詩音と鍛治を囲う形で透明な壁を張る。  空間を切っているので、外へ漏れ出さないし内へも侵入できない。  面積にして直径二十メーターもない円形の範囲、学校で見ていた武道場とほぼ同じだった。 「……何だいそれ、閉じ込めてなあなあにしようっての?」  見縊(なめ)られたものだね、と柔らかいのに辛辣さがまるで隠せていない表情のまま。  それを詩音はまったく見ておらず、右手で隠した口元が昂揚に歪んでいる。 「やっべ、楽しい」  ぎらりと光る眼を鍛治に向け。  直後には既に鍛治の眼前に飛び込んでいる。  右腕を振り上げ、そこに自身から溢れる電光が纏わりついている。  ど、ばんっ!  生きていれば聞く機会のほとんどない爆発音、そして衝撃。  鍛治もそれをしっかりと受けて、詩音に反撃を入れている。 「本性出てるねえ。その馬鹿さ加減が危険だって言ってんだ」  逃げ場のない開けた場所に、溶岩が溢れる。少しの時間でも触れる訳にいかない、そう分かっているのなら、と詩音は左手を薙ぐように振るった。  近寄っていた灼熱が、ざくりと鳴って消え去る。ちょうど詩音を中心に五メーターの範囲が綺麗に削がれている。 「空虚でも投げたか?」 「存在のキャンセルだろ、知ってるくせに」  詩音が右手に刀剣のようなものを作り出す。双方ともにその解析が可能で、鍛治にも情報素体が織り上がっていく過程が見える。  だが実体が見えず、ただの白い光が棒状を取っているだけのようだ。  その中にあるものは、脳内の漠然としたイメージ。どこか知らない世界や空間に繋がる裂け目にも似ていた。 「*******」  彼の叫ぶ言葉は、理解しがたい。  聞いたことのない言語は、何に由来するのか。 「妄想……!」 「見えた時点で、呑まれてんだよ?」  鍛治の鳩尾に、光る棍が突き立った。すでに詩音の手を離れ、投げたわけでもないのに既にそこにある。 「が、っ……」  全身で皮膚が弾け、衣服の幾分かが破れて落ちる。岩石に似た材質を簡単に砕いているのか、と驚き―――そして光がとうに消えているのに気付く。  詩音は死にそうになるほどの荒い息をついていて、同時に脳内に走る鋭い痛みを耐えていた。人のスペックを大きく超えて無理をしていると自分でもわかっていたが。 「撃ち込んだなら、それでいいんだ」  リセットをかけるような仕種、眉間を軽く叩いて押し込んだ。  真後ろ、背にした壁の向こうで璃月がこちらになにかを訴えている。空間遮断の所為で何も聞こえない。 「こういうバトルとか、やってみたかったんだよね」  だから、もう少し楽しみたいんだ。  見えている光景から、詩音が何をしているのかはわからない。  それでも見たこともないような速さで跳ね回っている様子を見るに、死にそうにないのはなんとなくわかる。 「だからって、何も直接殴り合うことないのに……本当に愚直というか」  変わらないものを見たような気がして、璃月の感情が曖昧にうねっている。 「どこかで見たような技ばかり使ってんじゃ、そのうち読み切られるよ、物真似野郎」 「これ以上のものをやると殺しかねないからな!」  例えば! 言いながら鍛治の撃った岩石の弾に右脚で迎え撃ち、触れた瞬間に岩ごと周囲の空間が細断される。  いくら詩音でも、鍛治をみじん切りにする気はない。  大事な部分が欠けているから、それを終えるのが重要だった。  鍛治の体躯には、あちこちに白い光が見えている。詩音が打ち込んだ後に残ったマーキングが視界にはっきりと見えるようになっていた。 「頭も痛いし、身体も死にそうなんでね。そろそろ終わりにするよ」  酸素が足りないのか、眠気が頭から瞼に掛かっていく。  死ぬ寸前まで行くくらいの心持で、かざした手の間に白い葉を象ったスティレットが浮かぶ。 (元のバージョンを読ませれば、落ち着くはず……)  世界全体が不具合を起こしているのであれば、その要因を修正できればいい。  そのコードを戦闘中に作って、傷つける形で手順をクリアしていた。 「これで」  詩音が鍛治に向かって走り寄る。  向こうも気息奄々だが、詩音を弾き返す余力はあった。  互いに一撃入れられれば、勝負が決する段階。  左脚を踏み切って、加速し懐に潜ろうとする。  それを読んで正面の地面から火山礫が散弾のように撃たれる。 (これは、死ぬな⁉)  覚悟なんかない。止まらないことだけを考えて、スティレットを撃ち出した。  全身が弾けるくらいの激痛、その衝撃で視界が真っ暗になった。  璃月の視界が真っ白に染まっていた。  空間の遮断を抜けて、血と肉の焼ける匂いが充満するのに顔をしかめて。  潤鐘鍛治の全身が弾けるのかと思うほどに発光しているそれにすら構わず。  詩音の体躯を地面から伸ばした何重もの木材質で散弾から防いで、そのまま弾かれた身体を抱えて真後ろに跳んだ。 「ぬわああああ」  ごろんごろん、川岸の芝生を縦に何回も転がって。  光の弱まっていく様を見ながら、死んだように動かない詩音に張り手でもしようかと考えていた。 「自分の欲求も満たしながら、ねえ」  ああいう異能バトル、ってのが楽しいのかな?  璃月にはあまり理解できない感覚だった。異能がどうとかでなく、意味もなく打ち合うことに、元より懐疑的なのだけど。  ふわふわと全身が痺れて曖昧だった。  しばらく気を失っていたようで、さっきまでの色々な動きの残滓が、痛みになって体幹に染み入ってくる。 「んに」 「……目、覚めた?」 「そんな『正気に戻った?』みたいに言われても」 「――――」 「痛い、痛いって。ああでも顔面の方が柔らかい?」  後頭部を指でごりごり圧迫されるのは、万力みたいで少し怖かった。 「みたい、じゃなくてそのままだよ。危うくて仕方ない」 「子供みたいに……まあ大人とも言えないけどさ」  眠気が頭の中で脱水中の洗濯機のように暴れていて、うまくものを考えられない。  赤子のように抱えられているそれにも、感想を得にくい。 「んー」 「もう少し休んでいていいよ。危険は今のところないから」 「はいよ……」  真夜中みたいに暗い。  こんな時期に外で寝入ったら風邪を引きそうなものだけど、今はどうでもよかった。  懐かしい感覚に沈んで、しばらく璃月の呼吸音を聴いているばかり。  そうして気付けば、午前八時ごろまで同じ場所で眠り続けていたらしい。  朝日に目が眩んで、全く体勢を変えずに眠っていた璃月の腕から抜け出す。 「――――袖を掴まないでくれるかな」 「まだ、修復終わってないよ」  座って、と言われて素直に従う。そんな様子を鍛治が面白そうに眺めていた。  昨日の危険性はどこへ行ったのか、よく知っている邪気を感じないからっとした笑みを湛えている。 「君、そういうのが好きなの?」 「……そういうの、って?」  何のことかわからない、問い返せば璃月の方を指して「お姉さんに甘やかされるようなの」と直截的な言いようだ。  それに璃月が反応したのか、背に当たっている手が一回だけぴくりと震えた。 「うーん? 好き嫌いと言うより、そういう経験はなかったからね」  姉とかいないし、居たとしてもそんな関係性になんてなるわけないし。  過剰に思える肯定も、自分が気に病むほどの心配も、蔑ろにできないと感じるくらいの親近感も―――― 「あれ、俺っていろいろ欠落してる?」 「ようやく自覚したんだ、その歳で」 「いや、だって。それ以外があまり足りてないとは思ってなかったし、大して不自由も感じなかったし」 「ま、家庭事情なんてそう比較できるものでもないからね」  露見しにくい社会だよ、と鍛治は特に驚きもなさそうだった。  それにしても、と視線が外れる。 「別の世界の可能性を直接打ち込むなんて、荒業だね」 「……ああ、ちゃんと見えた?」 「まあねー。そっちの人格が今のぼくだから」  確かに、雰囲気が詩音の知るものには戻っている。けれど、そのまま同じ人格という訳でもなさそうだ。 「元々の方だと、岩渡くんも八太郎くんも大して干渉してないみたいだね。こっちは川が朱くなるくらいなのに」 「……川なのに赤潮?」 「そういう解釈になるのかな? それが迷惑すぎたから無理矢理止めたんだけど、あれいつ頃だったかな」  記憶が曖昧な様子。存在自体がかなり古いからだろうが。  どこでズレてそうなったのかは、よくわからない。  鍛治はそう言うけれど、詩音は自分が干渉したからじゃないのかとも思っていた。 「やり方を間違えたのかな、って思ってさ」 「収束できないくらい大きな差が出ることをした?」 「たぶん。それが何なのかは、ちょっと想像できないけど」 「それはね、確実にわたしの方だよ」  背をぽんと叩いて、璃月が割り込んだ。  いきなりだったから、詩音は上手く反応できない。 「修復終わり。…………きっとね、詩音くんの想像を重ねる技能(・・・・・・・・)の扱い方を、わたしが間違えたんだ。  思い返してみれば、君はあれを一人で居る時にしか大っぴらには使ってなかった。作助が見ている前では、隠してたり誤魔化してたり、そういうものがあるとは悟らせなかったよね」  違和感みたいなものは、あったんだろうけど。 「君が居なくなった後、それをあの人が知っているものだと思って、当たり前のようにやってたんだ。きっと驚いてたんだろうけど、隠してたのかもね。  魔術とか妖術の類だし、そう思われてたのなら仕方ない。  そこで、歪んだのかも」  自身がそういう類のものだと認識させてしまったこと、それを失敗と呼ぶのかどうかは何とも言えない。 「別に誰でも使えるわけじゃないんだし、大事になるようなものじゃあ」 「作助は使えていたよ。変なところで呑み込みが良すぎて、なかなか困らされた」 「昔の人の能力の歪さは今の比じゃないものねえ」  鍛治も思うところがある様子だった。 「聞いたことない? 昔の人が遊び感覚で大学数学レベルの問題を解いてたとか、数日で千キロを走り切る持久力と速度とか、近代なら二百キロ近い米俵を担いでる写真は見たことあるかな」  逸話というか、そういう突き抜けた人物が昔から存在していた。  当たり前のことだけどね、と面白そうにしている鍛治は「それでも現代人の方が基本スペックは高いんだけどね」と加えた。  一人で荒野を耕すような人物、そう言ってしまえば頭抜けているのか、変な奴なのかと思うくらいに異様だ。 「思ったものを作り上げる力。そう括ってしまえば同種でしょう?」 「あまりやりすぎてもトラブルになりそうだ」 「なったから、この歴史を辿ってるんだよ。今ここで」  反省はできても、活かしようがないけど。  そういうものなのか、と受け取って。それでも璃月のしょぼくれた表情に何を言えばいいのかわからない。 「ま、いいか。俺が本当にやるべきはここからだしな」 「ぬおっ⁉」  あまり聞く機会のなかった低い声。  鍛治の背中で、周囲にも聞こえるほどにはっきりと「びきり」と何かが割れる音が鳴る。  本人の背に異常はなく、どこかからの異変を捉えた様子だった。 「この街の中にある、別の石が何か変になってるみたいだ」 「まあ、そうなるかなとは思ったけど」 「知ってんのかい。さっき撃ち込まれたやつかな」  連動しているというより、無理につなげたと言う方が正しいかもしれない。噴石周辺にある空間のひび割れは、世界の正常化に繋がるはずと思っていたから。  手が込んでいるな、と鍛治は言うけれど。  詩音は感覚でやってたから、詳しいことは説明できないよなんて返してしまう。 「説明くらいできるようになっときなよ」 「そういうのに頭使うの苦手なんだよ」 「馬鹿の発言んん!」  その通りですよ、と胸を張ってみたら叩かれた。  威張ることでないと知っていたから驚きもない。 「あはは。とりあえず現地に行ってみよう」  立ち上がろうとしたら璃月に上着の裾を引かれてつっかえた。 「それより、周りを狸に囲まれてるんだけど、あれは何だろうね?」  狸、しかも小さい個体が綺麗に円を描いて三人を囲んでいる。稲荷神社で見たことのある狸の群だっただろうか、と曖昧な記憶を掘り起こした。  敵意などはなさそうだが、しかしどうしてこんな所に?
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