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3「癇癪屋ジェネラルフロスト」
季節外れの大雪に、ほどけたような空気が再び締まっている。
穏やかな若草色が冷たい白色に逆戻りだ。
「……ちくしょう、急な天候で学校は休んでくんねえんだぞ」
非情なようでもそれが現実だ。
この程度の雪で人が死ぬようなことがあまりないから、きっと妥当な判断なのだろう。
横殴りの吹雪、地面に積もった雪も舞い上がる地吹雪、同時に吹き付けられれば視界が真っ白に塗りつぶされる。
このまま違う世界にでも転移しそうな錯覚を覚えるが、五秒も経てば元の景色が見えてきて、期待してもいないのに落胆する馬鹿らしさに呆れていた。
それでもマズいと思うくらいには寒い。
冬の乾燥した空気、吹き付けると肌が切れると錯覚するような痛みを伴った冷たさなんて、こんな吹雪には相性が悪い。
帰ろうかな、と微かに思った。
朝八時までの登校なんてのも変なものと思っているが。
それよりももう少し安全とかに配慮してくれないかな、とは常に思っていた。
「バス登校が少し羨ましい……」
市内に居ると、大概徒歩になる。
仕方ないことだけど。
それにしても、本当に時季外れの大雪だ。この地域なら三月の半ばには雪なんて融けきっているようなものなのに、そこからひと月以上遅れてのホワイトアウト。
「誰かの意図したものだとは思うんだけどな」
「そうかもしんねえし、そうでもないかもしんねえよ」
「……。曖昧な言いようだね」
そういうもんだから仕方ねえよ、と真後ろから声をかけてきた誰かは皮肉げに笑ってみせる。
馬鹿にしているというか、何かを諦めているような気の抜け方だな。
そんな風に思った。
向こうの方はなんだか意外そうな目をこっちに向けているけれど、それは一体どういう意味なんだろう?
「とりあえず、こっちに行こうか」
独り言のように目的地を決めて歩き出せば、さっきの人も同じようについてくる。
何故? と目で問うた。
そっぽを向いていてそもそもこっちの意図に気付いてすらいない。
「ま、いいか」
完全に学校とは逆方向に足を向けて、ざくざくと鳴る雪を踏みしめる。
寒いと言えば寒いけれど、今更こんなことで音を上げるような耐性ではない。
条坊制を取り入れて作られた三木野市の街中、その都市開発を進めた人物の眠る場所がある。
公園としても開かれていて、高い樹が集まっている小さな林だ。
そこで風雪を凌ごうという腹だった。
「仕舞ったジャンパーをもう一度引っ張り出すなんてなー」
「それは面倒か、大した手間でもないだろうに」
使う時期が決まっているものを時季外れに使うことがあまりないのだから仕方ない。
「で、なんでついてきたんだ?」
「いや、なんか変な奴だな、と思っただけだよ。おれのことヒトみたいに認識してるし、なんでだろうなって」
そういう奴だったか、と溜息が出そうだった。
人に見えないものが見える、っていうのはどちらから見ても異様に映る。
それだけだ。
宙ぶらりんに生きてはいたけど、本当は板挟みだっただけなのかもしれない。
「……それで、あなたはどこのどちら様?」
「水尽深白という。本当は元町の方に構えてんだけど、変にキナ臭くてしばらく見回りしてたんだ」
「焦臭い。火の鳥でも寄ってきました?」
「そんなのが居たら、真っ先に湖の方で騒ぎ出すよ。あんまし関係ねえ」
湖、というのはすぐ近くにある大きなカルデラ湖のことか。
雪が降るなか、しかし気温があまり下がっていないのか、地面がしばらくするとシャーベット状の雪に覆われている。
「これを避けるなら、もう少し待った方が良いのかもな」
「濡れるのは嫌いか。繊細だな、男のくせに」
「男女とかあまり関係ないと思うけどね……」
ふむ、と納得はしていない様子だ。
「……どうしたよ、おれの足元が気になるか」
「あ、いや……」
足元というか、なんというか。短いパンツに厚めのストッキングなんてものを初めて見たものだから、物珍しくて目が行っただけだった。
周囲でそんな恰好をするような人物にも心当たりはない。
上半身の赤いジャケットも結構目立つとは思うが。
簡単に言えば、雪深い北国での冬の服装とは言い難い、そんな所だろう。
「……本当か?」
(見抜かれてんのか、鎌をかけられてるのか)
どちらにしても「単純に脚のラインが出ているのが気になる」とか言えるわけもない。
本当だ、と言って押し切った。
納得はされなかったけれど。
「まあいいさ、ちょうどいいし向こうに行ってみるよ」
「向こう?」
深白の視線の先に、何かが光っている。
ゲームで見るような浮遊するオブジェクトの異様さもそうだが、さすがにあれを見たことはなかった。
自分の体質でも見えなかった何か。
「……俺だけでは触れられないものか」
不気味で、不可解で、忌避するような感情と同時に。
そんな深層が垣間見えたことに、面白いとも感じていた。
手を出すには、力不足なのが分かるけども。
「なんか変なのが居るみたいだなあ」
「変なの、って?」
街に雪を降らせた原因、気象を崩すことのできる何か。
だと思っていたら、違う回答が来ていた。
「なんか昨日からあちこちで不審な火の匂いがするとさ。だから雪が、ってことなんだけど」
「え、もしかして放火?」
わからん、と深白は言う。それだけでは判断できない、それくらいの意味だろう。
とりあえず、それを探しに行くところから始める必要があると続いた。
「怪しい奴とか見たことないか、あんた」
訊かれて、すぐには答えられなかった。
怪しい人間が、というより怪しくない人間の方が珍しいというか……なんてことを言うのは違う気がして、分からないなと答えるに留める。
数秒の、眇める視線。
詩音自身が怪しまれているようだ、と考えるのも無理はない。
彼にも怪しく思われない根拠が見当たらないのだから、それで当たり前の反応だった。
自分に疚しいところがなかったとしても、否定することもできない。
どこか自分の気付かないところで、何かマズいことをやらかしている可能性、なんて考え始めればキリがない。
「まあどうせ街中に居るだろうし、手早く終わらせよう」
「火を撒くような奴だろ? その気になれば爆発しそうだよなあ」
「それに何の意味があるんだよ。愉快犯に極まった思想なんかねえだろうし、軽く雪だるまにでもすれば大人しくなるって」
雪だるま?
意味はよく分からなかったが、制圧は可能らしかった。
ヒトでないなら、それ以上の心配もいらないか、と歩いていく深白を追う。
足元でがりがり、と音が鳴る。
シャーベット状の雪が凍っていた。
「………………」
もしかして、雪女?
そうは思ったけれど、訊いたところでどうにもならない。
それはそれで……となんだか変な考えが脳内にある。
きっと変わった嗜好だろうし、それを深白に向けたら殺されそうな雰囲気もある。
結局は、なにも言わず。
速歩で進んでいく彼女の後に続いていくだけだった。
「これで三件目」
「……あのね、本筋から逸れてるよね」
両手に車両販売の食べ物を持って、深白がそれを頬張っている様を見つつ指摘する。
すると「そうでもねえって」と返ってきていた。
「半分くらいはおれの道草だけどさ、他にもあるよ。例えば」
言いながら視線を上に向ける。
詩音も同じようにするが、真っ白な空の上に吹き付ける雪の所為で映る影の詳細が判らない。
ただ、そこに居る大きな鳥の姿は見間違いようがない。
白鳥だ。
近くに冬の間に留まっている池があることは知っていた。
以前に家族で見に行ったこともある。
「どうやら時機を外して群れから置いていかれたようだ。見たことはあるか? 白鳥がV字の隊列を組んで飛んでいく様」
「何度かあるよ、春ごろには声も聞こえるし」
気流を作って体力のロスを減らすとかで集団を作っている。
そこに混ざれなかった個体、ってことなんだろうか。
(――――――――)
『……………………』
深白と白鳥が何かを話している。その内容が理解できない詩音は、その様子を眺めているばかりだった。
鳥の言葉、どういうものなんだろう?
ヒトのように複雑な音韻とか文法があるわけではなさそうだけど―――と別のことを考え始めていると、
「ん」
深白たちとは反対側の視界の端、そこで朱い色の光が見えた気がする。
顔を向けて目を凝らす。
しばらく間近でスマートフォンの画面を見ていたからか、視力が落ちてきていて見づらかった。
距離にして約三十メーター、雪の所為か人通りも少なく周囲に誰もいないようで。
揺らめく小さな火が少し大きくなった時点で走り出した。
体力的に貧弱な詩音でも、こんな距離には十秒もかからない。
(まさか本当に放火犯が?)
ニュースにはならないくらいの小火ならともかく、あきらかな犯罪ならあんなあからさまにやることもないと思うのだけど。
人影が目立たないのは、白い服を着こんでいるからのようだった。
油の匂いもない。
じゃああの火種はなんだ?
「……!」
向かってくる詩音に気付いたのか、向こうの人影が手に持った火を投げ捨てて走り去ろうとした。
雪に濡れる地面に着いた瞬間、弾けるように炎が上がり、瞬間の光で目が眩んでしまう。
火薬?
揮発油だとしたら、それこそすぐに判るはずで。
迷って、止まったのが悪手だった。その数秒で大きく距離を開けられてしまっている。
「人間かあれ⁉」
雪でぐずぐずの地面をあれほど軽やかに走り抜けるような人物なんて、見たことがない。
いくらなんでも、人間離れした相手に追いつけるだなんて驕った考えは持っていない。
でも、あの人物? を放っておいてはいけない気がする。
「待てコラぁ!」
無意識のうちに叫んでいた。
それを相手が聞くわけもなく、距離は離されていくばかり。
足を滑らせて転んでしまい、ぬかるんだ地面に倒れ込む。
それを感じ取るよりも前に、自分の横を通り抜けていった氷のラインを捉えていた。
「チッ、火鍼坊か」
「……え、ガガンボ?」
「似てるが違うな。まあひどく脆いことに変わりはねえが……」
捉えるのには失敗した、と深白は悔しそうに息をついている。
「逃がした、のか?」
「んや、砕いちまったな。元よりマッチの精霊だ、対して強くもない」
放火犯が、マッチの精?
油ではないなら、赤燐でも持ち歩いていることになるが。まあそれで問題になるかというと怪しい。
アウトドアで何かする、って言い訳でも通りそうではある。
「とりあえず問題は分かったな。あいつは人型を壊しても無意味だ、すぐに再生するし―――」
その瞬間、深白の表情に強い嫌悪感が映っていたのを見た。
寒気よりも、煮詰まった吐き気に似た感覚が腹の底に溜まる。
触れることを躊躇うような。
赤い光が灯したのは一体なんの像だったろう。
遠い昔に書かれた説話の中にも、暗闇の中の灯火になにかの願望が映るものだと記述がある。
「……ものは言いようだなあ」
詩音からすればそれは童話のことであり、そこまで難しい言い回しをするようなものでもないと思ったのだが。
だが実際そうだろう?
そう言われてしまうと否定のしようはないものだ。
「シミュラクラ現象、だったか」
「それは少し違うかな」
パレイドリアの方が近いかもしれないが、どっちにしても正確とは言えない。
そんな益体もない話を、目の前にあるアルコールランプの傍らで続けていた。
元町にある小さな神社、土地神が祀られている社殿が置かれているすぐ隣で何故か深白が持っているメスティンで米を炊いている。
「こういう暗さの中で、ありもしない何かを見るのはよくあるだろ」
「心が弱ってるとなりやすいみたいだね」
脳内で断片情報を組み上げる妄想機能。
認識の境界が外れて埒外のものが見えてしまう不具合。
どっちだろうと聞けば。
どちらでもあり得ると返ってくる。
「現実なんてそれくらい訳の分からないもんだろ」
どこか実感のこもった言葉。声色も深く沈んでいる。
そこに気を取られた時、飯盒を熱している火が消えた。夕方を過ぎた暗さの中、曇り空もあわせて薄暗い。
「風に煽られたかな」
「どこがだよ、この無風がどうやって煽るっていうのさ」
「……じゃあ」
「灯を盗られたな。火緘坊は移し火くらいするものだ」
「こんな遠くから、火を移し替えるってのも変な話だけど」
不思議はねえよ、と即座に返された。
あんたが普段弄ってるもんだって、そういうことしてるじゃあねえか。そう言われて気付く。
いや、気付いたというか。
エネルギーの遠隔操作と電波通信が本当に同根かっていう確証が、詩音の中には持てなかった。
だから思考から外していただけなのだが。
「詩音、用意してたものを」
言われて、持っていたものを動かした。
白熱電球を並べた照明器具。今ではあまり見なくなった種類だが、使われないわけではなく普通に店で買えるものだった。
「あっつ……」
灯せば光と共にかなりな量の熱を発するので、冬の間にはほんのりと温かいくらいに感じていた。
真冬の雪道で目立つそれを、九つ並べて光らせる。
吹きすさぶ雪の中、周囲の雪を溶かして輝いていた。
神社の周囲の民家はカーテンを閉じきっているのか、灯りが見えない。
「これを持っていかれるっての?」
「電気がある限り光り続けるから、消えることはないがね」
そんなことを言っている間に、電球の光がばぢりと爆ぜた。光量が減っているような様子もないが、それでもしきりに点滅しているようだ。
熱に反応してこの場所を検知しているらしく、遠くで電球と同じ色の点滅が見える。
橙色の光が星のように見えるなら、あまりにわかりやすく。
「そこか……!」
詩音からは横顔になっている深白の眼が「ぎらり」と音すら聞こえそうなくらいに剣呑な輝きを見せた。
音がうねる。
風に巻かれて、晒している皮膚が切れそうに痛んだ。
「ひとつ、ふたつか。赤い蛍は厄介だよな?」
「…………!」
どこからだろう、何かが壊れるような音が聞こえる。
無数ではなく。
深白が何をしているのかはわからない。
だが、目に映る火鍼坊の光が弾けて散っているのを見るに、雪か風を操って火を砕いているのかもしれない。
未災の駆除、災害の予兆を感じた深白の起こした吹雪だったのかと思い至るが。
それにしては―――
ばんっ、と並べていた電球の一つが弾けて割れる。
硝子が砕けて光が消えた。
負荷に耐えられなかったように見えるが、そんなに圧力がかかるようなものなのだろうか。
残りの八つが壊れきることはなさそう、そう思った瞬間に二つ目が割れる。
フラッシュで目が痛いが、それよりも。
その中に小さな影を見ていた。
「……そこか!」
次の電球に移ろうとしたところを、右の裏拳で弾き飛ばす。
何かが手の甲に弾かれて、雪の積もる地面に突っ込んだ。
その後、目の前が真っ白になって。
(フラッシュオーバー……?)
「ギリギリだなあ。だが、封じ込めた」
気がつくと、詩音の目の前に大きな氷塊が柱になっている。
気を失っていたのは十秒にも満たなかったらしい。深白が特に深刻そうでもなく「ぱきっとしいよ」と言っているところから察した。
「火鍼坊を、氷漬けに?」
「そうだな。火を撒き散らすのが厄介なだけだから、殺す必要性は薄いし」
そういう無益な殺戮は好まないんだ、と続けていた。
労力の無駄とか言いそうだな、と考えるも。
「火は消すべきものじゃないからな」
なんて言われて、そう来たかと唸るよりない。
「こいつを使って、白鳥を北の方に送れないか」
なんて言い出して、詩音は色々と考え始めていた。鞄に入っていたルーズリーフに構想やら設計やらを書き散らしている様子を、深白は自分で用意したカレーをぱくつきながら眺めていた。
火を扱うなら、気流を弄るのもできるだろうと踏んでいて。
「どう、この辺りとか」
そんな質問を投げながら、修正を加えていく。
「楽しそうだな」
「面白いのは確かだね」
どう違うのか、深白にはよくわからなかった。詩音にとっては明確に違う概念だということしか読み取れない。
そういうことにあまり興味がないのか、深白は手近にある菓子の袋を手に取っていた。
そんな物音すら、詩音には耳に入っていないらしい。
「……火鍼坊の熱源はこっちで用意しておくって?」
「電球から熱エネルギーを遠隔で取ったんなら、同一座標にずっと置いておけば火を持たせられるかな、と思ってさ」
二次元か三次元なのかはわからないが、電灯をずっと点けておくことが可能ならば。
「そういや、説得できた?」
「五回くらい砕いた……」
「わりと短気だったりする?」
言ったとたんに頭が雪で埋もれて何も見えなくなる。
変に機嫌を損ねると、凍らされかねないのは注意点だった。
その辺りは少し雪女っぽいのだけど。
「ま、及第点でしょ。昔に似たこと言ってた奴も居たし―――」
なんのことだろう、と考える前に。詩音の頭に残っていた雪を深白が回収した。
「そういうの漫画とかでしか見ないね」
「ヒトにはできないことってのはそういうもんだ」
機能の限界、と言いながら。
集めた雪を固めて呑み込んでいた。
何をしているのかと思えば、なんか詩音の個人情報でも抜き取られているような反応が漏れている。
「何をしてるんですか」
「急に改まるな気持ち悪い。おまえがちっと変に見えたから確かめただけだよ」
クラックされても困るんでな、と変なことを言っていたが、詩音には何のことだかわからない。
「まあいいさ。とりあえず、おまえの持っているイメージをこっちで理解しておかないと」
認識に食い違いがあると困るからな。
言われてみればその通りだった。
「どうしても必要な部品があるし、近くのホームセンターででも買ってこねえとな」
言いながら、深白が余ったコピー用紙に必要なものを書きつけている。
所持金が足りなかったどうしよう、と心配になっている間。
深白の背を通して、火鍼坊が詩音をぼんやりと眺めていた。
ヒトのような意思を感じない。
精霊はそういうものかもしれなかった。
「ほれ、できたぞ。金ならここにあるから行ってきな」
そう言ってメモに数枚の紙幣を添えて返ってきた。
足りないならそこらの野良精霊でも潰して稼いで来るから、とか言い出していて、なんか世界設定違うんじゃないかなと思わなくもない。
それとも違う何かを彼らは見ているのかもしれない。
興味はあったが、無理なものは無理と諦めて神社の敷地を出ていった。
「結局、学校サボりか……」
まあ一日くらい休んだところで単位は落ちないからいいけど。
そう思いながら資材売り場をうろついている。
長めの木材とかでいいのかな、とメモを見ればサイズも細かく指定されていた。
一目も見ない店の品ぞろえをどうして知っているのかなんてのは、判りようもない。
「気にしても仕方ないとは思うけどな」
何に対してそう言ったのかは自分でも判らない。
いろいろなものに対してそう感じている以上、そもそも対象なんてのもないのかもしれなかった。
それは諦めなのか、拒絶なのか、嫌悪なのか。
無感動な人物であるとは思わないけど。
広がる風景や虹色を見て、綺麗だと思えるくらいには。
「ファニー、ファニー。何が面白いのかなんて、知らないが」
独り言を喉の奥で反響させる。
声が前に出ないからか、他の人に聴き取られることはとても少ない。
声が小さいとは昔から言われていた。
自分から内心を発信しにくい性質は、それこそ理解されないことにも繋がる。
そんなものどうでもよかった。
言い訳じみているが本心だった。
だから、自分の本心を的確に見抜いてくるような相手を、深層心理では求めていたように感じる。
「あの人とは、ちょっと違うけど」
違うし。
それ以上に、求めるばかりの自分になんだか腹が立つ。
そんな自分が嫌いだからこそ、誰の眼にも映らないくらいがちょうどいいのかもしれなかった。
視点が宙に浮いて、思考に耽っていることに気付く。
結構な頻度で焦点が合わなくなる癖を失くしたいとは思うけれど、それには時間がかかりそうだ。
「くぇひー」
「変な息だな。首元でも冷やせばいいか?」
頷いて、自分の首周りに冷気が纏わるのがわかる。
動き続けて火照った身体には心地良い涼しさだった。
夜通しの作業で、少しばかり眠い。組み上がったドローンのような精霊エンジンを見て、やっぱり変な形だな、と思った。
異常な吹雪も翌日には止み、地面を濡らした雪も午後には融けきって普段通りの晴の陽気に呑まれて消えていく。
そんな中でも、深白は赤いジャケットを脱ごうとはしなかった。
冬の格好はデフォルトで、ヒトのように衣服を変える感覚がないのかもしれない。
きょうび、漫画やアニメでも服装なんて変わっていくものなんだけどなと不思議だった。
「バージョンアップは難しいんだよ」
「なんか心でも読んだ?」
「そういう目で見てたから、そう応えたに過ぎねえよ。お前なら考えそうなこった」
そう言われても変な回答だなあとしか思わなかったが。
冷たい風が吹いた。
それを感じながら、それに煽られて浮かび上がる火鍼坊と白鳥の羽ばたきを見上げる。
上手くいけばそれでいい。
失敗したときは、嫌なあと腐れが残るだろうが。
それ以上干渉できないなら、思い悩む意味もない。
口の中で「またね」と呟き、離れていく後ろ姿を見送った。
「……電力を切らさないこと、って言っても。それはおれが管理するからいいとして」
「まだあるんですか」
「いいや、おまえのことだよ。まだなんか心配そうにしてんじゃん」
「…………」
応えないでいると、深白はくつくつ笑い始める。
本当に面白そうにしているのがなんだか、苛立たしい。
「人に無関心なようでいて、実際は結構世話好きだよな。自己犠牲ってほどでもないようだが、気になった誰かをいつまでも気にかけている」
「んなもん誰だって思い当たる部分でしょうよ」
バーナム効果を持ち出さざるを得ない。それくらいにはある程度共通する人の性質だと、そう思うのだが。
「印象深いからってそれを延々忘れないのは、結構少ないと思うぞ」
「そうかなあ」
大切な人、とかではなく。
どこかが自分に引っかかっただけのことで、それがスティグマのように離れない。
関わりもないくせに、忘れられない。
「おまえは、今日の景色も忘れないんだろうなあ」
どうしてか、痛みを感じる声色だ。
神という存在は、人間以上に忘れていく生き物なんだろうか。
俺は、こういう人ほど忘れられないのに。
白く塗りつぶされた空気の中で立ち竦んでいる。
誰かの息切れがまた、どこかで絶える気配。
どんなものであれ、潰えてしまうのは哀しいことだと感じていた。
いくつもいくつも、そんな魂の欠片を落としこんで、水の奥底に眠っている。
その土に、生きていた誰かの記録が刻まれているのなら。
きっと自分の存在こそが彼らの墓標なのだから。
「……もしかして、記憶とか共有してる?」
「見てんなよ、覗き魔」
「好きこのんで見たわけじゃないんだけど……」
反論に深白は溜息をついて、仕方ねえなと首を振った。
寝起きの詩音にその意味は分からず、そして夢のように見ていた景色の事実もよくわからず。ただそれが深白の持つ実感だということだけが明らかだった。
この感覚がそのままであるなら。
深白の無表情は、常に凍えた憤懣を湛えている状態なのかと感じられる。
人にあんなこと言っておいて、何もかもを忘れられないのは自分自身じゃないのか。そう思っても言わない方がよさそうだった。
「ほれ、くれてやる」
「……クリームソーダ。これ好きなんだよ、ありがたい」
深白の力なのか、周りに冷蔵庫もないのによく冷えていた。
「まあ、なんだ。手早く解決できてよかったよ。手をこまぬいたまま一週間は吹雪いたままよりもずっといい方に行った」
お疲れ様、助かった。
そう言われるだけで、嬉しく感じる。
こっちを見ないままなのは照れ隠しなのか。
もう少し柔らかい表情なら、可愛いと思っていたのだけど。そう考えたのが何故か透けていたようで、寝ぼけんなと完全にそっぽを向かれてしまった。
「………………………やー」
面倒くさい人だと思っていたら、それが気に食わなかったか。
二秒後には雪だるまにされていた。
真後ろにある白熱電球が、その雪をじりじりと溶かしていく。
時折弾けるような音が、静かな空間にあるだけだった。
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