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4「暴飲暴欲ヒュドラクローン」
薄暗く湿り気のある場所、こんな場所でしか蝉が鳴かない。
川の分け目で大きな蛇が横たわっている。
その所為で街の真ん中を通る川が干上がりかけているのだ、とすぐに判るが。
「そこに居られると困るな」
「暑くて死にそうになるんだ、少しは勘弁してくれ」
大蛇が平然と人語で返してくる。別に驚きはなく、そういう存在だと自然に認識していた。
木の生い茂る場所で、結構な日陰。それでも今夏の酷暑振りは誤魔化しようがないと見える。
「余計な人死にが桁違いに出るんでね、涼める場所に行きましょうよ」
「……人のとこの冷房ってのは不気味な冷たさでなあ。涼むには難しなぁ」
こっちの意図まで察したうえで面倒そうだった。それでも仕方ないかと立ち上がっている辺り、話せない相手ではないようだ。
「全く、脳筋坊主とやり合う前に暑さに負けるたぁな」
「喧嘩でもしてたんですか」
「定期的にの。まあじゃれてるようなもんだが」
相手がどこの誰なのかは、よくわからなかった。この場所に居るのなら、そう遠く離れていないのだろうと考えるに留める。
貪氷屋八太郎、と名乗る蛇が人型に近い形になって歩いている。
とは言っても、詩音の方は歩いてきているわけではないから、二足になる必要性もなかったはずだが。
「自転車の速度に走ってついてくるのも、なかなかな光景だとは思うよ」
「鍛えりゃ誰だってできるだろ」
「そうですけどね」
速度によるだろうけど、長距離ランナーとかならばできるようなものだった、とおぼろげな記憶が過ぎる。
足取りに苛立ちが出ているのか、八太郎が走りながら「バテるぞ」と声を掛けた。
ここに来る時点で既に相当疲れているのだから、今更のことさとあまり考えずに嘯いた。
「……、変な奴だ」
どうして呆れた風に呟いているのか、それこそ詩音には理解しえない。
やたらと食品に目を向けていた。
どうしてか魚にだけは近寄りたくなさそうだったが、気にはなるらしい。
「腹はまあ膨れたが。……結局茹だったままでよ」
冷たい水の方が体質に合うようだと、八太郎は結論していた。
言いながら、彼の視線はどこか一点を向いているのだが。
「この近くには別に水源があるのか?」
「……ええと、湧き水の神社がありますね。ここが寒村だったころに、湧き水が利用されてたとか」
荒涼な土地で、オアシスみたいに存在していた湧き水と三本の大樹。
どこかの広大な砂漠とは違い、気温が低く冬には凍死者が出るほどの気候だったらしいが。
「冷たい水。そこにあるんじゃあねえか?」
「…………融けない氷みたいに言われたな。そんな話は聞いた覚えがないけど、あるのかな」
その場で適当にでっち上げた話でもないなら、信憑性を保証する何かがあってもいいはずだけど。
詩音の知識が足りないせいか。
八太郎の方に確証があるのなら、それを信じた方が良い。
「んじゃ、行ってみましょうか。そんなものがあったら、たぶん―――」
――――…………――――、…………――――…………。
予想通り。対して広くもない神社の敷地に、無数のヒトではない街の住民が集っていた。
きっと皆が同様に、今年の酷暑を凌ごうと水を求めているのだろう。
三樹辻の湧き水。
というらしいが、なんか商売みたいなことをしているやつがいるなあ、と入口の辺りでぼんやり眺めていた。
参ったな、通貨とかあるのかな。
その辺りには全く詳しくないから、要求されたら困る。
そう思ってぼんやり眺めていると、少し前の方に居る誰かが振り返って詩音の方に目を向けた。
「……あれ、しおくんじゃん。こんなとこで何してんの?」
「へ? いや、どちら様?」
なんというか、中東辺りのダンサーみたいな服装した人と知り合いになった覚えがないので面食らった。
しかも女性みたいな顔立ちのくせして体格が男性だ。
どういうことだろう、とますます首を捻ってしまう。
聞いたこともないニックネームに軽い反発を覚えるのもあって、詩音の方は警戒して半歩だけ引いた。
「間違ったかな? 君、相坂詩音だよね?」
「それはそうだけど、あなたは一体――――」
「ああ、あれ? 拙僧に覚えがない? おかしいな」
「そんな個性のごった煮みたいな人に気さくに話しかけられるような経験はありませんよ」
変な言いようではあるけれど、しかしそれ以上に事実はない。
向こうは向こうで仕方ないかとか呟きながらふらふら揺れている。
「…………」
「おまえはおまえで色めき立ってどうすんだ」
八太郎に冷静に指摘されてしまう。
男だって分かっていても、女性と見紛うような見た目だと、やはり緊張はするものだ。
それは同時に、相手の素性が底知れないという危険性でもあるんだけど。
「ま、いいか。今度はなんか神ですらないのとつるんでるんだね」
「――――前回が何なのかわからないけど、成り行きなんで仕方ねえですよ」
街が干上がるかもしれないっていう懸念が目に見えているんだから、対処できる奴がしないと駄目だろう。
そう言ったら、自分の存在意義を見誤っているねと首を傾げられてしまった。
そんなことはありませんよ。
反射的にそう言って、しかし内心に刺さった棘は簡単に抜けない。
「とりあえず、そこに居る八頭蛇兄貴はどう思う?」
なんだその呼び名、と思った。
「変な呼び方するなあ?」
同感だったようだ。八頭蛇、神話からずっと描写のある八岐大蛇のことなんだろうけど。
意見を聞かれて、八太郎は少し考える素振りを見せたが。
しばらく黙り込んだまま、顔を赤くしたまま動かなくなっていた。
「水が欲しくてここに来たんだ。そういう話は後にしよう」
「まあそうだね。熱中症は怖いからね」
だとしたら、と今度は向こう側を見る。
詩音たちも同じようにしてみると、なんだか不穏な空気が感じられた。
「はあー? こっちは五十年前からここの整備に手ぇ貸してんだ、多めに融通したってええべ⁉」
「んーなん関係ねえって、定価っつうもんがわかんねえのか? 客はおめえだけじゃねえんだよ、ごねんなら後に回れ」
柴犬の姿をした精霊と、ミミズク頭の売人らしき誰かが言い争っている。
この近辺にフクロウとかいたかな、と不思議に思いながらも聞いてみれば、価格に対して水の量が少ないというクレームのようだった。
「だいたい、水の量が今年に限って減ってんだから、高くなんのは当然だろ」
「それ以前に、なんでおめえが我が物顔で仕切ってんだよ新参が」
「歴は関係ねえべ、誰かがやることだって決まったの忘れたんかおい」
結構な大声で言い争っている。
暑さも相まって、互いに攻撃的になっているのは確かだが、このまま喧嘩にでも発展してしまうとよくないな、とは思った。
「水でも噴き掛けて止められればいいんだけど」
「その水を巡って争ってるからな」
「あれ、止められますか?」
八太郎に訊いたら、即座に普段の体調なら造作もないと返ってきた。
今は難しい、と言っているのと同じで。
「水掛け論に余計に水掛けても意味無いと思うけどねえ」
「茶化すだけなら黙ってて」
暑いのはこちらも同じで、苛立ちは当然にある。
ただ、詩音たちもそれ以外に境内に集まっている皆も、あそこまでヒートアップしている誰かを見ていると、いくらか冷静にはなっているようだ。
さっきから何回か話しかけて宥めようとしている姿を見かけるが、当事者ふたりはそれも撥ねつけてしまっている。
それには少なからぬ嫌悪を覚えた。
「…………、」
「詩音くん?」
脚が動いていた。完全に無意識だ。
「いい加減にしてくんねえかな」
圧し潰したような低い声に、言い争っている二人が同時に反応した。
なんだ、とでも言いたそうな視線が向くが。
詩音はそれに対して澱んだ侮蔑の視線を返していた。
そんなものが通るわけもないとは思っていたのに、瞬間だけふたりが怯んだ様子を見せる。
「延々言い合ってるせいでここにいる全員が足止め喰らってんだけど?」
「こっちの問題だろうが口挟んでんじゃ―――」
「全員が、の意味が理解できない? こんなとこでケンカしてる時点であんたらだけの問題じゃあなくなってるんだよ。巻き込んでんだよ身勝手でな」
それが嫌なら見えないところに行ってやってろ。
それも嫌ならこの場で隠してること吐いちまえ。
「隠して……」
「違うのか? そこまで強硬に要求するくせに、何も理由がないならただのいちゃもんでしかないのに」
少ないと言われている水を多く求める。
無理だと言われているのにそれでも引き下がらない。
後に回ることにも消極的で、何かを焦っているように見える。
「だったら、何か言っていないことがあると考える方が自然だろ」
犬の姿の方が、反論できなくなったのか項垂れる。
「家の敷地に、変な草が生えてきているんだ」
「変な草? どこかから飛んできた種が拡がったとか」
「そうかもしれん。抜けばよかろうと思っていたが、それが危険だと思ってしまって手が出せんのだ」
抜くと危険な植物?
毒を含んでいて、抜いたら土を汚染するとか?
考えはするが、その辺りの知識がなくては考察なんかできやしない。
「家人もそうしようとしたようだが、儂が止めた。今は意識させないようにしとるが」
「まあ度合いによっては誤魔化しきれなくなるよねえ」
詩音の横にいつの間にか占術師がいた。
行ってみようか、と彼は言う。
「実際に見てみないと判断できないでしょ? その植物ってのも気になるしー」
「そうだな。……見せてもらえると助かるんだが、案内してくれる?」
向こうもそれでいいと思っているようだが、詩音の後ろでふらついている八太郎の方を警戒している風だ。
半ば強引に大丈夫だから、と言い聞かせ。
ミミズク頭の売人に八太郎の水を要求してから神社を離れた。
「百ミリで二千円かぁ……」
「お高いねえ」
「人の通貨ってのは助かったけど、今月の小遣い飛んだよ」
仕方ないね、と同情はしてくれる占術師。こいつにそういう心配が無さそうなのはなんでなんだろうな、と内心で呟いた。
八太郎に手渡すと、耐えきれなかった様子で即座に飲み下した。
「くお……」
「大丈夫?」
「頭に痛みが。これだけっていうのに、覿面だな」
冷たいものを掻きこんで頭痛が起こる現象。詩音にも経験があるから、その痛みは想像できた。
「なにこれ、マンドレイクじゃないか」
「マンドレイクって、魔術で使われるあの根菜?」
そうだよ、と術師の男は屈みこんで生えている植物を検めている。
「元々は特に何のこともない薬草の一種なんだけどね。どこかで種の改変がなされて、知られているような過剰な毒性も広まっているってことなんだけど」
人型の根、というのも根菜であれば成長過程で起こり得るものでしかない。
それに過剰な意味づけをして誤解と誤読の果てに現在のこれがあるらしい。
「抜いたら危険って、そういう意味か」
柴犬の家神、そして八太郎はよくわかっていないようだった。
それでも本能で判断していたのなら、さすがの嗅覚だと感心しかない。
「抜いたら大声で叫ぶんだよ、そしてそれを聞いたら死んでしまう。そういう性質があるんだとさ」
品種改良が行われて生まれたのなら、きっと与太ですまないような確実性を伴っている。その当時の実験結果も、どこかにはあるのだろう。
「これに冷や水を当てて、弱らせようって考えたんだね?」
「そう。凍えるほどの冷たさ、それに古くからある霊性のある水なら、と」
「まあ、正解ではあるけど……」
術師の男はなんだか歯切れの悪い回答を寄越した。
「迂遠だよ。それどころか逆に耐性をつける可能性もあるから、寧ろ悪手とまで言える」
そういうものか、となんとなく聞いていた。
庭一面にある以上、神社で手に入る水の量では全く足りないのも明白で。
「水が合わないというなら、いつの間にか枯れていくものだけど、その様子もないんでしょう? なら、どこかで物理的に抜き去った方が良い」
家神の視線は、どこか掠れているように見えた。
何を考えているのかなんて、聞けるような雰囲気ではない。
「じゃあ、やろうか。準備とか結構要りそうだけど……」
「簡単に言うけどさ」
及び腰の術師。
思っていることはまあ解るから、それを敢えてスルーして、八太郎の方に向き直った。
さっきまでと違って冴えの戻り始めた視線、それが広い庭一面の植物に向かっている。
「……採れますか?」
「まあな、一日もあればどうとでも」
ならいいか、と返そうとしたとき、八太郎の腹がぐるぐると音を立てる。
「空腹、収まってないんですね」
「食い意地は昔から変わらんね、その所為で今があるんだが」
……翌日。
人払いにどんな手段を取ろうか、と考えていたら。
「爆発物のデマを撒いておいたから、しばらく人を排除できるよ」
なんて言われた。
平然とそれをやってのける術師の行動力は善し悪しだろうなと思った。
詩音にそれを真似できるかというと少し怪しい。
周辺数キロが封鎖される、だったか。それならある程度安全に決行できる。
「魔術とか使えたらいいんだけどな……」
詩音の呟きに対して、それはそう、と何故か術師も同意している。
魔術は使えないのかと不思議だった。
家神の柴犬も敷地のすぐ近くで待機しているが、八太郎は既に庭の真ん中で抜き去る予定の植物を吟味していた。
毒草とか平気なんだろうかと首を傾げたが、当人には何か確証がありそうな態度なのでひとまず信用していた。
「離れようか」
時計を見ながら、指定した時間になる前に音が届かない場所まで歩いていく。一キロもあれば充分だから、時間は掛からない。
人のまったくいない街並み。
民家はまばらな地区だが、それでも変な物寂しさを覚えた。
「ねえ、しおくん。本当に拙僧に覚えはない?」
「……え? 昨日が初対面だと思ってたけど、もっと前に会ってた?」
こんな特徴のありすぎる人、忘れるわけもないから。記憶にないのなら過去に行き遭っている事実はなさそうだ、とそう判断したに過ぎない。
返答に、向こうは顎を押さえて考え込んでいる。
言いたくないことなら、そういう態度なのだろうけど。
「なにかあるのか? できれば教えてもらいたいんだけど」
「っとー、その……」
ちらりと、詩音の方に視線が向いた。
なんだか、化物でも見るかのような湿った目つきだ。
一瞬だったとしても、怯むほどに力を持つくらいの昏さ。
覚えがあるのはその種類の視線だけだ。この人物には何も思うところがない。
「異質に映る、それくらいしかないんだ。前に会った時もそう思った」
平然と人でないものの近くに立てる、その無頓着さが恐ろしい。
聞こえないように口の中に籠らせたようで、それでもはっきりと聞こえるくらいには強い言葉だ。
詩音には、その意味がよくわからない。
どういうことなのかと問い質そうとしたとき、軽い吐き気と眩暈が起こる。
息が詰まって、数秒の間立ち止まってしまう。
「聞こえなくても届くものなんだなあ……」
八太郎が草むしりを始めたようだった。音として認識できなくても、振動が届けば影響が出る。術師も同じように軽くえずいている。
一キロ近く離れても振動が届くって、どんな大音量なんだろう?
そう思いながら念の為の耳栓を着けていた。
取り出したのは実際カナル型イヤホンだったけれど。
「んあっ」
寝入っていた中に、馬鹿でかいアラームが割り込んできて目が覚める。
あまり良い寝起きではなく、心臓の拍動が強く感じ取れるほどだった。
心拍の加速、心臓の拍動数が固定されている説、寿命が縮むの意味――――と関係のない言葉を破棄しながら周囲を見渡す。
携帯端末を操作してアラームを止めながら立ちあがると、陽が翳って少し暗くなっている合間だった。
昼間の時間はまだ暑く、道端の少し大きな木陰で休んでいても汗がにじんでいる。
「終わっているはずだけど、確認の手段がないな……」
身体に不快感はない。
つまりマンドレイクの声は聞こえてこない、ということになるが……。
最悪、毟りきる前に八太郎がダウンしている可能性だって充分にある。
百メーター級の生物がそんなことになったら、なかなかの見掛け倒しだが。いくらなんでも、という妙な確信があったので、心配はしていなかった。
「見に行かないとな」
二メーターくらいのところで術師が詩音と同じように寝入っていた。
起こそうかどうか迷ったけれど、ここに放っておくのも違う気がしたので、揺すって起こしてみた。
唸るばかりで目を覚ます様子がない。
じゃあいいかと立ち上がった。
すぐ近くに家神も居ることだし、滅多なこともないだろう。
目を向けると、やはり人である詩音とは違い平然と家の方を見ている。
「この人が目を覚ましたら、その時に戻ってきてくれませんか」
「……分かった」
詩音が何かの拍子で死んだなら、後処理をするのは彼らになる。
嫌がらせにならないように気を付けるべきか、と考えながら一人来た道を戻っていった。
声はやはり聞こえない。
八太郎に通信機器の一つでもあればいいのだが、それも今回は危険なのかとかいろいろなことを考える。
その中には、どうして自分が人間の観測範囲外の存在を認識できているのか、なんて疑問もあった。
知識のない詩音に、そんなことを追求できるような能はない。
考えるだけ無駄だと分かっていても、判らないことなのだから考えてしまう。
「理由なんか無いのかもしれないけどな」
そう言って打ち切るのが常だったけど。
「……酔いどれ大蛇?」
現場に戻ってきて第一声がそれだった。
でかい蛇がとぐろを巻いてぐずぐずとでかい寝息を立てている光景。
詩音の眼にも異様としか言えなかった。
「……完全に抜き終えているな、同種の植物が見当たらない」
八太郎に呼びかけると、ぼんやりした様子で視線を向けた。
「おう……戻ってきたか」
「終わってますよね、お疲れ様です」
「んー」
なんだか反応が鈍い。どうしたのだろうと首を傾げていると、首をもたげてからこっちに近付いてくる。
「あの?」
なんだか息が荒い。抜き去った後の植物がないというのは、やはり八太郎が食べてしまったと判断するよりないはずだが、そうなると毒に中てられた可能性もある。
大丈夫か、と言いかけると同時に、首筋に八太郎の舌が這っている。
異質な感覚に全身が硬直し、混乱したまま立ち尽くしていた。
「落ち着かんねえのなぁ。帰りよ、マジで。一人にしといてくれ」
首元から離れて向こうへ行くように促す。どうしたのかと問えば、八太郎はよろめきながら人の姿を取り始めた。
その移行すらなんだか鈍くて、集中を欠いているようにも見える。
「あの根っこ食ってから、なんか、もっと暑くなって気がしてなあ」
「…………、…………」
黙り込んだ詩音。
八太郎の体調の理由を察したから、それ以上問わなかっただけだった。
「分かった、帰ります」
さっさと踵を返して自分の家に向かって歩き始めた。
忘れていた。
確かマンドレイクはそういう方面での薬効を求めても居たはずだ。
言ってしまえば現代でも流通している一部の植物のように、身体機能の活性化。
「むしろ俺だけで戻ってきてよかった気がする」
あの術師が戻ってきていたら、襲われていたような気がするからだ。
男だとしてもお構いなしってようには見えなかったけれど。
精力剤って、そこまで強いのかな?
試したことがないから、よく知らないけれど。
こっちに向かっているはずの術師に忠告してから帰ろう、そう思うと足取りが急き立てられるように速くなっていた。
もしかして、冷たい水で抑えてなかったら俺が襲われてたのかな?
なんて途中で考えてしまって怖気が走った。
数日で川の水量が戻ってきていた。
塞いでいた八太郎が居なくなっているのだから、それは当然だったけれど。
それは特に関係なく、水不足は続いていた。
「暑い……それ自体が嫌なわけじゃないけど」
個人的に寒い方が苦手というのがあって、夏の天気は寧ろ楽ではある。
八太郎の存在に気付いたときと同じ、街の橋の上でぼんやりと川を眺めていた。
「夏場だし、いつもの場所に戻ったのかな」
結構離れた場所に、彼の名を冠した水場がある。
常駐している場所から動くのは、冬に特定の誰かに会いに行くとき、というのが人間側にも知られていたけれど。
ここから近くにある湖の住人と定期的に喧嘩をしているらしい。
因縁の仲、らしいが。
調べてみれば結構一方的に喧嘩を売られているように感じる。
説話なんて全部が書かれているわけでもないだろうから、信憑性が高いのを選ぶということすら難しいが。
そういう関係性にあるのは事実らしかった。
「暑さにやられていたのも、実際は違うのかもしれないな」
負けてふて腐れていたところに詩音が違う水を差したとか、そういう意味合いにもとれる。
その結果が毒草やけ食いに繋がったのかもしれない。
「……、…………。余計なことだとは思わないけど……」
ざわり、と遠くから樹の揺れる音が届く。
風が強いのかと思ったが、触覚にはそんなものを感じない。
「しおくーん、何黄昏てんの、昼間だよー?」
「うわ、なんだ急に」
真後ろから占術師が絡んできた。しかもなんか様子が違う。
酔ったようにふやけた発声に、なんだか不気味なものを感じてしまった。
「何なんだ、こんな往来で絡みつかないでくれ」
「ふへへ」
「怖いから」
引きはがして、正面を向けば服装が以前と違う。
詩音はこういう服装には疎いから、よくわからないが。
どこかで見た地雷系と呼ばれているファッションに似ていると感じた。
こんな地方都市でやっていたら目立ちすぎて気持ち悪い、なんだか異世界の住人みたいに映ってしまう。
「平然と女装なのは別にいんだけど」
そこに突っ込んでも徒労なのだと知っている。
この変な態度は何だろう、と訝る方が優先されていた。
「八頭蛇兄貴に道案内させられてねえ」
「会わない方が良いって言ったはずなんだけど、わざわざ見に行ったのか」
「仕方ないよ、そういう役回りなんだからよー」
「そうか……それは知らなかったな」
「とりあえず元の住処まで送り届けてきたんだ」
それからこっちに戻ってきた、と。その理由は、詩音に恨み言でも言いたそうな態度から察してみるが。
「なんか怒ってる?」
「……、どうだろうねえ? どう思う?」
うーわめんどくせえ、反射的にそう言いかけたのを抑え込んだ。
「どうとも思わないけど」
「そう言うだろうと思ったよ、ほんと興味ないことにはドライだね」
「誰だってそんなもんだろ」
「あの家にマンドレイクを勝手に植えた人を引き寄せて、そこでひと悶着あったんだよ。因果の意図を切ってなかったのが運の尽きって感じだったけど」
「運の尽き?」
「処分処分。元から結構おかしかった人だったようだし、軽くいじくり回したくらいで済んだけどね」
「変なのはとっちめたくらいじゃ治らねえよ」
「再起に時間掛かるくらいにしとけば反省はするかもね」
「結構激しいじゃねえか、やっぱり」
表現が信用ならないんだよ、と言って終える。
なんにしたって、変な怨恨は切られた。
それでいいような話だろうと言ってみたら、この場所においてはねと変な回答をされた。
「あんまりいい結果とも言えないからね。欲に駆られて龍に変貌した貪氷屋八太郎の欲求をまた刺激した形になるし……」
「これ以上の変身とか残してるのかな」
「なんだいそれ。変貌しきってるよ、もう」
通じなかった。少し不安定にはなってしまった。占術師はそう言いたいらしい。
占術の技能なんだろうか?
「知性のバランスが取れないと危険なのは、歴史が証明してるから」
気を付けないとね、と指差された。
それを俺に言ってどうするんだ、と当たり前に言い返した。
そこらの人間でしかないのに。
「別に? 誰であっても意識しておいた方が良いってだけだもの」
「そうかい」
しばらく考えて、「誰がひ弱な馬鹿野郎だふざけんな」と叫ぼうとしたころには彼の姿は見当たらない。
言いたいことばかり言い捨てていく奴は苦手だ。
なんだかいつもよりも腹の底が煮えるような感覚。
アイスでも買って帰ろう、そう考えて近くのスーパーマーケットに足が向いた。
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