一応聞くけど、意味わかってる?

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一応聞くけど、意味わかってる?

一人スタジオに残って見学し続けていた桃は、緊張感で胸が一杯になっていた。 後悔や焦りなどではなく、このあと千佳に会ったらどんな顔をすればいいのか、自分は千佳のことを好きなのか、そんな事ばかりがぐるぐると頭の中を巡り続けている。見学とはいえ仕事に集中できていない申し訳なさを感じながら、どうにかリサの撮影を見ているような状態だった。 撮影の終了を知らせる声が上がり、周囲の静けさが解けて、挨拶を交わし合う声が聞こえ始める。桃もパイプ椅子から立ち上がって、現場の方々や、香織に挨拶をしてスタジオを出ようとした。 「木下さん!」 バッグを肩にかけて、スタジオのドアを押そうとしたところで鈴の音のような可愛らしい声に呼び止められる。振り返らなくてもわかった、“リサちゃん”だ。 「黒瀬さん、お疲れ様でした。とっても素敵でした」 にっこりとできる限りの笑みを浮かべて、リサに労いの言葉をかける。 あまり、関わっていたくない。そんな気持ちは読み取られないように、とにかく綺麗に笑う。 「ありがとうございます!……あの、大狼さんのことで、ちょっと、お話がしたいんですけど……」 リサは嬉しそうに微笑むと、恥ずかしそうにそう切り出した。 もじもじと手を握りながら桃の返事を待つリサは、とても可愛らしい。恋をしている女の子という感じだ。 (……可愛い。千佳のことが“ちゃんと”好きなんだなぁ) こういう表情の子を、桃はお店で何度か見てきた。他では見られないような幸せそうな表情。 そういう表情を見るのが嬉しくて、そんな場面をプレゼントする要素の一つになりたくて、桃はジュエリーをデザインするようになった。 不安と期待が入り混じったような表情で桃の返答を待つリサを見て、桃はそんなことを考えていた。 「何か、聞きたいことでもあるのでしょうか…?」 務めて、いつも通りに声を絞り出した。余計な不安も、期待も、何も与えないように。 「あの、私、大狼さんのこと気になってて…木下さん、大狼さんと仲良さそうだなって思って、」 そこで言葉を区切って、視線をあちこちに泳がせながら、リサはどうにか言葉を続けようとしていた。 言われることは、なんとなくわかっている。 「あの、よかったら、大狼さんと3人でご飯とか…行けないでしょうか?」 意を決したようにお願いします、とリサは頭を下げた。緊張と決意が伝わってくる。 概ね予想していた通りのお願いに、桃は短く息を吐いて口を開いた。 「ごめんなさい、それは、できません」 冷たくならないように、声色は選んだつもりだったが、リサの表情は泣きそうな表情を浮かべた。しかし、諦め切れないのか、リサは食い下がる。 「どうしても、無理ですか…?」 「…そうですね、無理です」 「なんでですか…?」 「なんでって…」 「だって、大狼さんと付き合ったりしてないですよね?」 「…はい、付き合っていません」 「……好きなんですか?」 リサの問いに、桃は心底うんざりした。まただ。好きかどうか。どうして、周りはそればかり聞くのか。桃だって、はじめの気持ちばかりなのに、なぜ放っておいてくれないのか。 「…….それ、黒瀬さんに関係ありますか?」 自分でも驚くくらい、冷たい声になった。 はっとして、口を手で押さえてリサを見る。リサは傷ついたような顔で、すみませんでした、と頭を下げてスタジオを出ていった。 「………もう、なんなの」 機材が片付けられる音が響く中に、桃の疲れたような呟きが消えていった。 -------------- ------- “今日、夜に” そう囁いた千佳からは、場所を指定するメッセージが届いていた。場所は、2人でよく行くバー。 今日はスーツを着ていたので、仕事を終えてそのまま店へ向かう。 「桃ちゃん」 店の扉を開こうとしたその時、聞き慣れた声が耳元で聞こえ、両肩に千佳の手の重みを感じる。 妖艶な笑みを浮かべた千佳は、お疲れ様、と桃を労うとそのまま店の扉を開いて桃を誘導した。 バーのカウンター席に2人で並んで座る。それぞれいつもの飲み物を頼んで、コツンとグラスを当てて、いつも通り飲み始めた。 「仕事で会うのは初めてだったね」 「うん、びっくりした。しかも、千佳、なんか違ったし」 「仕事ではある程度愛想よく爽やかにしておいた方が便利でしょ」 「……やっぱり、腹黒いところあるよね」 「そういう俺は嫌?」 「……初対面の印象が最悪だから、別に」 「それはラッキー」 「バカじゃないの」 そう、いつも通り。 他愛のない話をして、くだらない冗談なんか言って。 でも、桃の心の中にはずっと、しこりみたいなものがある。 「桃ちゃん?」 会話が途切れて、ふと思考が逸れた桃の様子に気がついた千佳が桃の顔を覗き込み、千佳の肩に桃の髪が触れるくらいに2人の距離がぐっと近づく。 「何考えてるの?」 「別に、何も」 「嘘つき」 「嘘じゃない」 「嘘だよ、だって俺と目を合わせない」 「っ、」 「桃ちゃん、わかりやすくて可愛いよね」 桃は口を手の付け根あたりで押さえるように肘をついて千佳とは反対側を向く。 この男は、いつもこうだ。 どこでスイッチが入るのかわからないが、突然、そういう雰囲気に持ってくる。こんな綺麗な男に、急に色っぽさを増して近寄られて、ドキドキしない女性っているのだろうか。 加えて、桃は今日のことを思い出す。嫉妬心を見せてしまったあの時。自分の気持ちが確実に、千佳と出会ったばかりの頃とは違うことを実感した。 それを自覚すると、千佳と顔を突き合わせて、こんな雰囲気になるのは、気恥ずかしくてたまらない。 「桃ちゃん、今日、来る?」 はっきりと、桃の答えがわかっているような声色。視界の端の方で、千佳の口が孤を描いているのが見える。 (答えなんて、聞かなくてもわかってるくせに) そう思った。それでも、桃の中の答えは一つ。 ゆっくりと頷いて、恥ずかしさを隠すように桃はぎゅっと千佳の服の端を握った。 それが合図かのように、千佳は会計を済ませると桃の手を取って店を出た。店から出て、少し歩き、人気の少ない通りに着いたところで一度千佳が止まる。手は繋がれたまま。千佳は桃の方を振り返ると、これまでには見たことがないような真っ直ぐな視線で桃を見つめた。 「一応聞くけど、意味わかってる?」 「……なんで、聞くの?」 「そんなの、言わないとわかんない?」 「………わかんない」 「桃ちゃんが好きだからだよ。もう、桃ちゃんの意思なしで俺は桃ちゃんに触れない」 だから、この先について来るということは、千佳を受け入れるということ。そんなこと、桃だってわかっている。わかっていて、頷いた。 「そんなの、わかってる」 「ほんと?ちゃんとわかってないんじゃ」 「わかってる!」 ぐっと、繋がれた手を引いて、もう片方の手で千佳の襟元を引く。そして、桃は自らの唇を千佳に重ねた。 「いつまで、桃ちゃんって呼ぶの?」 桃は真っ直ぐに千佳の目を見る。 行き先なんて、聞かなくてもわかってる。あの日以来の、千佳の家だ。そこに行くことが、どういうことかわからないほど、桃は幼くない。 それでも、桃にはもう、千佳に付いていかないなんて選択肢は浮かばなかった。 突然の桃からのキスに千佳は一瞬だけ驚く。しかし、桃の触れるだけのキスが終わろうとした瞬間、今度は千佳が桃の唇深く塞いだ。繋いだ手を強く絡めて、もう反対の手で桃の頭を支える。 触れるだけのキスとは違う千佳の深いキスに、必死になる桃の姿が千佳の視界に薄らと映る。 「桃」 しばらくして唇を離した千佳は、桃の名前を呼んだ。そして、再び桃の手を取ると、先ほどよりも少しだけ早足で家へと向かった。繋がれた手は、さっきよりも、今までのどの瞬間よりも熱かった。
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