それは惚気ね

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それは惚気ね

最近、自分がどんどん変わっている感じでちょっと怖い。 鏡の中に映る自分の顔を見つめる。頬に当てていた右手に光る指輪が目に入って、つい顔が赤くなる。 人生ではじめて、彼氏というものができた。 いや、考えてみれば、キスもそれ以上も済ませてしまっていたし、今更彼氏という名称で何を照れているのかと言われればそうなのだが。 彼氏になった千佳は、すごい。 いや、彼氏になる前からすごいのだけれど。 初めてのデートの後、正式に付き合うことになった千佳は、それ以降溺愛ぶりが増していた。それはもう、恥ずかしいくらいに。 「桃ちゃん、どうしたの?」 「なんでもない…」 洗面台でスキンケアをしていれば、後ろから千佳が抱きついてきた。お風呂上がりで薄着だし、肌が触れ合っているのが気恥ずかしい。 「千佳、恥ずかしいんだけど…」 「恥ずかしがってる桃ちゃんが可愛い」 「いや、そうじゃなくてね」 「あ、キスしたい?」 「や、ちが、っ」 溺愛具合が増した千佳はこんな感じ。愛情表現が過多だ。それは、流石に付き合った経験のない自分でもわかる。 でも、その千佳に触れられて嬉しいとか、もっとして欲しいとか、そういうことを素直に考えてる自分は、もっと恥ずかしい。 ちょっと前なら、それは隠していたと思う。でも、今は… 「っ、ん、千佳」 「…桃」 千佳は、こういう時だけ私のことを桃と呼ぶ。普段は私を可愛がるように、桃ちゃんって呼ぶのに。そのギャップが、好きだったらすることは千佳には言わない。 基本的に毎週末、こうして千佳とは二人の時間過ごすことが当たり前のようになっていた。幸せな気持ちと、千佳にどんどんハマっていくような感覚が、ちょっとだけ怖い。 -------------- ------- 「贅沢!」 久々に会った茉央に胸中を話せば、何を言ってるんだとばかりにため息を吐かれた。 「友達としては、やっと桃に彼氏ができたのは喜ばしいわ」 「……ありがとう」 「けど、そんだけ溺愛されてて怖いなんて、贅沢よ!」 「怖いのは、千佳じゃなくて私の方だよ」 「なんで?」 「なんか…千佳なしじゃダメになりそうっていうか…」 「それは惚気ね」 茉央は呆れたように言うが、私にとってはけっこうな問題だった。側から聞けば惚気、かもしれないけど、例えば家に一人でいるのが寂しいとか、たまに会えない週末に泣きそうになったりとか…これまでの自分からは考えられないような状態なのだ。 そのことを茉央に言えば、それは恋をしたら当たり前なのだと言われた。 恋とはなんて大変なのだろう。流石、恋の病、なんて言葉があるくらいだと思った。 「寂しいとき、ちゃんと寂しいって言ってる?」 「……誰に?」 「そんなの、千佳さんに決まってるでしょ」 「……言ってない」 「ちゃんと言った方がいいよ?そういうのは」 「……でも、毎週のように会ってるのに」 「頻度なんて関係ないの、素直に自分の気持ちを言えるか。それが大事なの」 自分の気持ちを素直に、か。 気持ちを曝け出すのは、けっこう勇気がいるし、恥ずかしい。そう思うと、いつもあっけらかんと言ってのける千佳はすごい。 「素直に寂しいって言ってもらえたら、千佳さん喜ぶと思うけど?」 「そうかなぁ…」 「そう。もし躊躇うなら、最後はお酒に頼ってみれば?」 お酒か…あまりいい方法ではないかもしれないけど、それもありかもしれない。 お茶をしていた店を出て、茉央とはそのまま買い物に出かけた。久々に会ったので、世間話に花を咲かせながら、あちこち見て回る。茉央が好きな雑貨店を出た、その時だった。 「……あ」 千佳がいた。綺麗な女の人と。 高級ジュエリーショップから出てきた千佳の隣には、髪の長い綺麗な女性がいて、笑顔で話をしていた。しかも、笑いながら女性は千佳と腕を組む。 親しい間柄である雰囲気が、遠目からでも伝わった。 「お待たせ!……桃?どうかした?」 「……んーん、なんでもない」 店で会計を済ませた茉央が不思議そうに顔を覗き込んだ。すぐさま見ていた方向から視線を逸らして、気にしてないように笑顔を作る。 (仕事って言っていたし、きっと何かあるんだ…) 冷静に考えれば、そのはずだ。 だから、こんなにも音を立てて、きゅうきゅうと締め付けるような胸の感覚は無視した。
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