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彷徨う甲冑.10
真夜中、日付が変わるとドレスがふわりと宙に浮かんだ。殻に閉じこもっていたせいか、甲冑がすぐそばまで来ていることに気づいていないようだ。
「じっとしていてね。すぐ終わるから」
部屋の隅から現れたティナに気づいたドレスがぱっと飛び上がろうとするも、ティナはそれをすぐに金の鎖で絡め魔法陣を描く。逃げようともがくドレスを傷つけないよう気を付けながら、呪いの原因を探る。
「……なるほど。あなた、侯爵令嬢だったのね。で、探している甲冑は恋人」
ふむふむとティナが頷いていると、棚の影から光る紫色の瞳が近づいてきた。身体が黒色だから瞳以外が闇と同化している。
「では彷徨っていたのは甲冑を探すため、で、甲冑の方もそれに答えるように動き出したのか」
「令嬢と甲冑は婚約者でした。でも、結婚式間近で戦が起きて、騎士だった彼は戦場に向かいそして亡くなりました。形見として甲冑だけが令嬢のもとに届いたのですが、もともと身体が弱かった令嬢は、気落ちしたところに流行の風邪を拗らせて他界したのです。ウェディングドレスと甲冑を一緒に保管して欲しい、というのが令嬢の望みだったようです」
「それがコーランド伯爵の息子の手によって離れ離れになって、お互いを探すようになったのか」
「そうです。この場合、ドレスと甲冑を一緒に保管してと頼んだのが令嬢なので、甲冑だけを解呪することができません」
根源が令嬢の望みなのだから、ドレスを解呪しなければいけない。もっというなら二つ揃っての解呪がベストだ。
ガシャガシャと庭で甲冑の音がした。どうやら馬車に積んでいた箱の中から出て来たらしい。ドレスもそれに気づいたようで、先程より大きくもがき出した。
「行っておいで、ドレスさん」
ティナが鎖を解き窓を開けてやると、ドレスはそこから飛び出した。ティナも窓枠に足を掛け飛び降りる。もちろん黒猫もついてきた。
「ティナ、解呪するのか」
「必要なら。でも、今はそれより先にすることがあります」
ティナが再び詠唱すると、銀の魔法陣が現れ細かな雫となって前を飛ぶドレスを取り囲んだ。
途端、破れ黄ばんでいた生地が真っ白になる。張りと光沢のある上質の生地が月明かりの下で輝くように綺麗だ。馬車の前にいる甲冑も錆びや傷が消え、重厚な輝きを纏っている。
駆け寄りお互いを確かめるように触れ合う甲冑とドレスは、本当に愛し合っているように見えた。ぎゅっと抱きしめ合うように甲冑の腕とドレスのレースが絡み合う。
「これは、俺でも会わせて良かったと思うな」
「はい。せっかくですし雰囲気作りもしましょうか」
ティナはさっきまでの落ち込んでいた表情を消し、明るく笑うと手のひらを上に向ける。浮かび上がるほわんほわんたした淡い光の玉が、ふわふわとドレスと甲冑の周りを取り囲みだした。
「蛍みたいだな、いや、それにしては少し大きいか」
「彷徨える火の玉です」
「もう少しロマンティックな表現にした方がいいぞ」
じゃ、これはどうです、と今度は花びらを舞い散らせる。天使像が喜んであちこち飛び回る中、ドレスと甲冑はダンスを始めた。
うんうん、良いじゃないかとティナは満足気に頷く。
「俺はダンスに全く興味がないが、こうやって見るのは良いものだな」
「呪いが解ければ、きっとあちこちから誘われますよ」
「それはそれで面倒だな。ティナはダンスができるか?」
「できません。つい最近まで知らない人と碌に話もできなかったんですから」
随分成長したもんだ、と自画自賛しなから、どこからともなくワインを取り出した。いったいどこからと黒猫が紫色の瞳をさらに丸くする。
それを見ていたベンジャミンが、これまたどこから出したか分からないグラスを二つ差し出してきた。なかなか気の合う師弟だ。
「手紙によると、騎士団の連中ともうまくやっているんだろう? 店も一人で切り盛りしているし、もう充分独り立ちできるな」
「確かに最近は大勢の人に囲まれても、カボチャに変えなくても大丈夫になりました。でも、私はまだまだ師匠に教えて貰いたいことがあります」
「私が教えることはもうないよ。あとは自分の力で知識を身につけていくだけだ」
ベンジャミンはひょいと黒猫を摘み上げる。
「しかし、目を離した隙にこれだからな」
「おい、その持ち方はやめてくれないか」
身体を捻って飛び降りると、ツツッと距離をとる。
相変わらず甲冑とドレスは踊っていて、今日はここで夜を明かそうかと、ティナは自分達の周りに小さく結界を張った。周りの空気がほわりと暖まり、風も入ってこないので外とはいえ快適だ。
「私の予想ですが、朝日が登る頃には自然と解呪されると思います。もしされなかった時は私が解呪しますが、今夜はこのままいさせてあげましょう」
「ティナらしいな」
「だって、幸せそうですよ。やっと出会えた運命の人、素敵じゃないですか」
目の前でダンスをする甲冑とドレスに表情はない。だけれど、幸福そうに笑っている、そんな気がした。
※※
ティナの予想通り、朝日が登ると甲冑とドレスは動きを止めその場に崩れ落ちた。
「もう呪いは消え去りました」
「そうか」
ティナがしゃがみこんでドレスに触れ確認すれば、ベンジャミンも隣に屈んだ。黒猫は朝日が昇る少し前に邸に入って行ったので、今はいない。
「ティナ、このまま帰っていいのか」
「はい。私のことを覚えていない人に知らせることは何もありません。既に違う人生を生きている人達です」
「誰にも解呪できない、もの凄い呪いを掛けるチャンスだとしてもか?」
「うっ、それは少し心惹かれますが無理です。呪いの原動力は感情。私は彼らに何の気持ちも抱いていないので、呪いを掛けることができません。残念ながら」
沢山の呪いを見てきたからこそ思う。人を呪ったところで自分が幸せになるわけではない。
やり返したり、不幸になるよう仕掛けたりそんなことしたところで心は満たされない。
それに一番の復讐があるとするならば、無関心なのではないだろうか。
「ティナ、私は今、子育てに成功した気分だよ」
「ありがとうございます。師匠は私にとって母親でもありますから、嬉しいです」
「母親?」
背後からリアムの声が聞こえた。振り返れば、カフスを留めながら怪訝そうな顔で二人を見降ろしている。次いでその視線が前を向き、木々の向こうからくる執事に向けられた。
「おはようございます。皆様、呪いはどうなったでしょうか?」
「全て解呪しました。甲冑とドレスは一緒に保管してください」
「それはそれは、ありがとうございます。朝食の準備もできておりますので、是非本邸に来てください。当主も同席すると仰っております」
ティナが困ったように眉を下げベンジャミンを見る。
「申し訳ないが弟子は疲れているので馬車で休ませたい。このまま帰ろうと思うのだが、問題あるだろうか?」
「それは気づかず申し訳ございません。では、朝食をバスケットに詰めますので少し掛けてお待ちください」
執事は深く頭を下げると、早足で来た道を戻って行った。
帰るとなって荷物を馬車に詰め込んでいると、天使像が見当たらないことに気づく。
「天使さん、帰るよ~」
呼んでも返事がなくあちこち探していると、ロビーの飾り棚にちょこんと座していた。まるであたかもずっとそこにあったかのような馴染みようで、何度か気づかず前を横切っていたなと、思う。
「どうしてこんなところにいるの? 周りの花瓶や石膏像と同化して気づかなかったわ。さあ、こっちにきて」
手を差し出すも、天使像は動かない。
「もしかして呪いが消えたのかな?」
触れてみるもどうやらそういうわけではない。ただ、殻を被っていてぴくりともしない。試しに引っ張たり押したりしてみるもやはり動かないのだ。
意味が分からずオロオロするティナの肩にベンジャミンの手が置かれる。
「ティナ、あなたに意志があるように、天使像にも考えがあるのだろう。動きたくないというなら、このままにしておくべきだ」
「でも、こんな寂しそうな場所に置いて行くなんて……」
「多分、気が済んだら帰ってくる」
「師匠のように魔法が使えたなら殻をぶち破れるのに」
悔しそうに唇を噛む。こうなってしまってはティナに術はなく、もしかしたら声さえ届いていないかも知れないのだ。それでも、とそっと髪に触れる。
「分かった。でも、気が向いたらいつでも帰ってきていいからね」
呪いの品との別れはいつも唐突だ。ある日突然前触れもなく勝手に解呪され動かなくなる。小さい時は訳が分からず泣いたこともあったけれど、今ではそういうものだと受け入れている。それでも名残惜しそうに何度も髪の毛を撫でてやり、やっとティナは「さよなら」といってそこを立ち去った。
遠ざかる後ろ姿を確認してから、ベンジャミンはそっと天使像に手を振れた。
指先から黒い靄が流れ、それが天使像に吸い込まれていく。
「何をしているんですか?」
ふいに声を掛けられ振り返ると、怪訝な顔でリアムが立っていた。
「今、魔法を使っていたように見えたのですが」
「足音も立てずに背後に忍び寄るなんて猫みたいなやつだな」
「それはどうも。で、魔法が使えるようになったんですか? それとももとから使えた?」
にじりよるリアムに、少し困ったように眉を下げるベンジャミン。
するとタイミングよく、ティナが馬車の横から声をかけてきた。口元に両手を当ててまだ邸にいる二人を呼ぶ。
「二人とも何をやっているんですか? 帰りますよ」
「ああ分かっている。リアム殿、後で話そう」
「……分かりました」
リアムは不承不承と頷くと、馬車の前で待つティナのもとへと向かう。
その細い腕にはすでに朝食が入っているであろうバスケットを抱えていた。
「眠たいけれど、お腹もすいています」
「食欲と睡眠欲か。俺も同じだ。少し摘まんでから眠ればいい」
「はい、そうします」
ふわりとあくびをするティナと、それを優しく見守るリアム。
ベンジャミンは少し離れた場所で二人を見ながら「さでどこから話そうか」と呟いた。
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