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黒猫の呪い.3
三人は湖の近くに敷物を引いて、夜を待った。
ベンジャミンが、食べ物や飲み物を転移で買いに行ってくれ、結界もはったから冬間近の森の中と思えないほど快適だ。
ゴロリと横になり顔の上に隊服の上着をかけて眠るリアムの隣で、ティナはずっと身体を固くしている。時折空を見上げ、湖に映る太陽を眺め、時間が過ぎるのをひたすら待っていた。
湖面を太陽がゆっくりと動き、その姿を消して暫くするとだんだん暗くなってくる。はぁ、と吐く息の回数が比例するかのように増え、リアムはむくっと起き上がると、緊張でパンパンの頬をむにゅりと引っ張った。
「そんな固くならないでって、頬っぺたは柔らかいか」
「むにゅむひゃま?」
なんだ、と思いながらされるがままでいたけれど、あまりにむにゅむにゅしつこいので、むっと眉根を寄せる。いい加減離して欲しい。
「すまんすまん、一度摘んでみたかったんだ」
クツクツと喉を鳴らして笑うのを横目で睨んで、それから大きく息を吐いた。
「でも、少し肩の力が抜けました」
「それは良かった。なに、別に今日しなきゃいけないわけじゃない」
「そうかも知れませんが、忘れていた記憶を思い出し、今この場にいる。なんだか今夜がベストな気がするんです」
ぎゅっと手を握るティナの顔は、どこか吹っ切れているようにも見えた。
「私、血の繋がった家族の存在に、今までどこかで引っかかっていたんです。会いに行こうと思えばいつでも行けたけれど、行かなかったのは現実を突きつけられるのが怖かったから。でも実際会ったら……悲しかったけれどすっきりしました。これからは、もっとしっかり自分の人生を歩ける気がするんです」
「それは良かった」
「はい、だからリアム様も。元凶の私が言う言葉ではないのですが、でも、だからこそ今日呪いを解きたいんです」
しゃんと背筋を伸ばしティナは空を見上げる。薄い紫がかった空の色が徐々に濃くなっていく。
大きく息を吸い込んだ。
不思議と先程までの緊張が消え、心が凪いでいる。むにゅむにゅの効果かと思ったところで、リアムがティナの手を握った。
「始まった」
ごくりと喉を鳴らしたのは殆ど二人同時だ。手を合わせ、流れ込んでくる靄を感じながらティナは魔法陣を描いた。
失敗はできない。
呪いの発動は一瞬。数日前に感じた呪いを思い出し、ティナは素早く解呪にかかる。
途端、当時の自分の気持ちが流れ込んできた。いや、引きずり込まれたと言った方が近いかも知れない。
泣きながら、必死で魔力を注ぎ続けた。
訳もわからず、でも助けたくて。
手が、身体が焼けるように熱くなって、骨がギシギシと鳴った。
息をするのも苦しく、胸がドクンドクンと物凄い速さで音を立てる。
それでも目の前の人間を助けたかった。
息絶えた両親が必死に守った命、捨てられた自分の命なんかより大事にしなきゃいけない気がした。
知らず涙が頬を流れていた。あの頃も、今も。
黒い靄がするすると消え、夜の闇に吸い取られるように同化するのを見届けると、ティナは顔をあげた。目の前には黒い髪に紫色の瞳の青年。目を丸くして、ティナをその瞳に映している。
「あの時、ティナがどんな思いで俺を助けてくれたのか分かったよ。苦しかったよな、それなのに猫になった俺を抱いて、高熱の身体で森を抜けてベンジャミン氏のもとまで連れていってくれた。……改めて礼を言わせてくれ、ありがとう」
「いいえ……良かった、良かったです」
くしゃりと顔を歪めるティナをリアムが抱きしめる。
「でもティナ、これだけは言っておく。俺の命よりティナの命のほうが軽いなんてことはない」
「はい、大丈夫です。今はちゃんと分かっています」
「ティナが生きていてよかった」
「リアム様を救えてよかったです」
リアムは空を見上げる。人間の目で見る星空は十三年ぶりだ。
「いつもより星が近く感じる、手を伸ばせば届きそうだ。本当に呪いは解け……たんだ……」
言葉が途中で途絶え、ティナの身体に重みがのし掛かった。ぐったりとした身体をティナは横にし、頭を膝の上に乗せる。
「解呪の影響です。全身がだるいでしょう、このまま眠ってください」
「……すまない。なんだか凄く……ホッとした途端、身体に力が入らなく……なった」
「長年かけられていた呪いを解いたのですから、身体に負担がかかったはずです。二日続けての野宿になりますが、すぐにふかふかベッドも作りますから」
「……このままがいい。お前の身体はふわふわで抱き心地が良い」
「えっ? ええっ!?」
ティナのお腹に顔をうずめるように寝返ると、そのまま腰に手を回した。
真っ赤な顔で、でも腕を解くこともできずにおろおろしていたティナだけれど、リアムの呼吸が規則正しく変わったのを聞き、ほっと肩の力を抜いた。
黒猫リアムを抱いたことは何度もあるけれど、こうやって抱きしめられるのは初めてだ。
そっとその黒い髪を撫でる。
いつものようなもふもふ、ビロードのような手触りではないさらさらの髪。指の間から零れる髪を確かめるように何度も何度も梳く。
ティナは自分の身体より一回り以上大きなリアムを、黒猫にしていたかのようにそっと抱きしめた。
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