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驚きに瞬くユイを見て、スミカは寂し気な笑みを見せる。
「ずっと見ていましたから分かります。でも、その方と思いを遂げることは出来ない。だからお戻りになれないのでしょう」
ユイの目を見つめ、ユイの手を取って、スミカは強く言い募った。
「その方を思っていて下さっても良いのです。あなたが何者でもいい。どんな事情があっても構いません。どうか私のそばにいてください。私は、ユイ様の慰めになりたい。おそばにいたいのです」
スミカの熱く真剣な口調にユイの心は揺れた。
「どうか、出て行くなどと言わないで、…」
ユイの手を握るスミカの大きな手が、心なしか震えている。
スミカはユイの葛藤にも気づいていたのだ。
「でもそんなの、…ずるくないですか」
スミカの優しさに付け込んで、都合よく振舞っている。今更だけど。最初から、何もかも、スミカの厚意に付け込んでいる。
ユイがここにいることで、傷つく人間もいるというのに。
「ずるくて良いのです」
スミカは朗らかに笑った。
「それで私は、幸せなのですから」
スミカがそっとユイを引き寄せて、緩やかに包み込んだ。ぎりぎり触れないくらいに、いつでも抜け出せるくらいに。人間の男性の腕の中は、全然、全く、ロウとは違う。非力で繊細で生真面目でお人好し。
それでも優しく温かい。
ユイはスミカの腕の中から動けなかった。
翌日、京月院邸は朝から大賑わいだった。
政界の要人、文化人、由緒ある華族たちが煌びやかな装いで次々と押し掛けた。屋敷の中では盛大な結婚披露のパーティーが催され、好天に恵まれた広大な庭では多種多様な食べ物が用意されてガーデンパーティが開かれた。
ユイは白打掛を着たり、色鮮やかなドレスを着たり、髪を結ってもらったり、アレンジを変えたりと目まぐるしく、スミカの隣に立って次から次へと訪れる終わりの見えない祝福の挨拶を受けた。
かりそめの結婚なのだから当たり前だが、ユイは卒なく花嫁を演じながら、実感はまるでなかった。
人間社会で、人間として。京月院侯爵家で、京月院スミカの妻として。これから生きていくということを頭では理解していたが、どこか遠い世界の物語を眺めているような気がした。
このまま、全ての感覚を殺してここにいれば、やがて本当に何も感じなくなるのだろうか。離れていても一秒たりとも忘れられないロウのことも。
日が傾き、夜の帳が降りてきた頃、京月院邸に一台の馬車が乱入した。
「何事だ!?」「無法者が、…っ」
「あれは、…」「羽菱財閥の家紋、…!?」
荒々しく庭に乗り込んできた馬車は、設えられたテーブル席や招待客たちを蹴散らし、スミカとユイの目前で急停車した。
「スミカ様、お逃げになって!」
鬼気迫る表情で馬車から身を乗り出したのは、先日のドレス姿とは打って変わり、軍人が着用する迷彩柄の戦闘服に身を包んだ羽菱アキコだった。武装した得体のしれない集団を連れている。
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