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Ⅴユイの章【鹿王】
冷たい、痛い、苦しい。
氷の谷間に落ちて、凍り付きそうに冷たい水の中を漂う。鉛が付いたように身体が重く、浮かび上がろうともがけばもがくほど、暗い底に引きずり込まれる。
冷たい、痛い、苦しい、苦しい、…―――
暗い氷の湖に沈んでいくユイの脳裏には走馬灯のようにこれまでの出来事がよぎっていった。
ロウとおかしくなるくらい繋がり合って、溢れるくらい注がれて、何もかも全部をロウでいっぱいにしてもらったこと。嬉しくて、幸せで、もう他に何もいらないからずっとこのままロウといさせて欲しいと、愚かな望みを抱いてしまったこと。
人狼の群れの安寧を願う人たちに、反感を買わないわけがなかったのに。
「ユイ様、スケートに出かけませんこと?」
ロウに優しいキスをもらって眠りにつき、目覚めたらロウの姿は見えず、代わりに番候補のカルナとナツナに呼ばれた。
「お怪我も随分回復なさったでしょう」
「少し気分転換をなさってもよろしいんじゃないかと」
確かに。
ロウは過保護だからユイに張り付いて世話をしてくれているが、体調はすこぶる良いし、傷跡ももうだいぶ薄くなっている。このままロウと二人で居室に閉じこもってひたすら睦び合っていたら、どうしようもなくロウに溺れて破滅する気がする。耐え切れず、ロウへの思いが溢れ出してしまうだろう。
「スケート、お好きでしたわよね」
「童心に戻れると思いますわよ」
カルナとナツナはロウの番候補として選び抜かれた雌なので、当然ロウと番ったことがあり、ユイは一方的に焼きもちを焼いていたのだが、同性として一緒に遊びに興じてくれる貴重な存在でもあった。彼女たちとは一緒にお菓子を作ったり、雪山を走ったり、水遊びを楽しんだりした。もちろん人狼と人間でその能力に差はあるが、二人はいつもユイをフォローし気遣ってくれた。ユイがロウを思っていなければ、普通に女友だちと呼べる間柄だったかもしれない。
「…そうね」
カルナとナツナに連れられて、人狼の森とはやや隔たりのある北の高山までやってきた。
人間であるユイには容易に行き着けないが、人狼の移動能力は凄い。いくつかの山を越えることなど造作もない。その日の、まだ明るいうちに高山にある凍湖に辿り着いた。
凍湖は夏でも氷に覆われていて、氷上のスケートが楽しめる。動き回って身体は暑いくらいなのに、頬をよぎる風が心地よく、幼い頃、ユイはよく遊びに来ていた。ロウに連れられて。
ユイはスケート靴を履くが、ロウは素足で滑る。引っ張ってもらって、スピードをつけてもらって、大騒ぎしながら汗だくになって遊んだ。それをカルナたちも知っている。
久しぶりに手を引いてもらって、スピードにのって氷上を滑る。勢いにのって遠くまで。更にその遠くまで。
爽快感に気を取られていると、いつの間にか広い湖の真ん中まで来ており、突然足元が崩れた。あっという間もなく、ユイは冷たい氷の中に落ちていた。さっきまで繋いでくれていたカルナとナツナの手は、そこになかった。
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