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凍湖は年中凍っているが、稀に中央の氷が薄くなっていることがある。
番候補の二人もわざと連れて来たわけではないだろうし、瞬時に手が離されたことにも、理由があるのかもしれない。
でも、罰のような気がした。
人間のくせに。妹のくせに。
ロウを独占して怖いくらいの快楽を与えられ、世継ぎのための精を溢れて止まないくらいいっぱいに注いでもらったから。
自分がロウを思うように、人狼の群れはみんながロウに陶酔している。ロウの精は、次期リーダーたる白き人狼のためのものだ。独り占めしてはいけない。
分かっていたのに。
ロウが優しいから。甘く慈しんでくれるから。幸せで。幸せ過ぎて。叶わぬ願いを抱いてしまった。
ずっとロウといたい。
自分だけを見て欲しい。
これは罰だ。
分不相応な思いを捨てられないユイへの。ずっと双子の兄だけしか愛せないユイへの。自分ではどうにも断ち切ることのできない思いを捨てるための、罰。
冷たい、痛い、苦しい、…――――――
もう息が出来なくて、大量の水を飲み込んでしまい、苦しくて苦しくて、目の前がチカチカして意識を手放してしまう寸前、
「お主、また来たのか」
いつかどこかで、聞いたことのあるような声がした。
耳にではなく頭に直接響く。
ずっと忘れていた。忘れるよう導かれていた。
誰の声だったか、…そう、確か。偉大なる大鹿の王、…鹿の神様。
名前は、……
『我が名はラキ。狭間に棲まう鹿族の末裔だ』
ずいぶん昔。まだ幼いユイが鹿王ラキと対面したのは、やはり凍湖にスケートに来ていた時。自分でもできるところを見せたくて、ロウと張り合ってジャンプし、氷の渓谷に転がり落ちた。
深い深い谷底で、ユイは見たこともないほど大きく、立派な角と長い髭を持ち、威風堂々とした素晴らしい大鹿に会った。鹿の王様だとすぐに分かった。王様は、人狼のように二足歩行をしていた。
ユイが谷底に落ちて怪我一つしていなかったのは、鹿王ラキに助けられたからだった。
「…迎えが来たようだ。そなたはまだ、我の側に来てはならぬ。そなたを心から必要としておるものがいるからな」
訳が分からずぼんやりと王様に見とれているユイを鹿王は軽く抱きあげ、額に手のひらを当てて、ふううっと息を吹きかけた。
すると、明と暗、光と影、生と死、表と裏、…あらゆる表裏一体のものが現れ、目に見えない何か強力な力に導かれて、自分の肉体がその狭間を通り抜けていった。
今思えば、あの世とこの世の境目をくぐり抜けたのではないだろうか。
次に気づいた時には、ユイは洞窟の居城に戻っており、柔らかい毛並みのロウに抱かれていた。
「やっと目を覚ました! お前ずっと寝たきりだったんだぞ」
目を覚ました時、ユイは鹿王ラキのことを覚えていなかった。
氷の谷底に落ちて気を失っていたユイをロウが連れ帰ってくれたと聞いた。
相当ロウに心配をかけたのだろう、それ以来、ロウは凍湖に連れて行ってくれなくなった。
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