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「で、…でも。でもロウ、治療だって、……」
しかし、怖いくらいに沸き起こる激しい喜びに、慎重な理性がくぎを刺す。
白き人狼のロウが、本当にユイと同じ思いなんてことがあるだろうか。
「何でもいいんだよ。ユイに触れるなら何でもいい。一緒にいられるなら何でもする」
ロウが堪えきれないようにユイを抱く両腕に力を込めた。
「もうお前の望みとか知るか。お前に誰か思う相手がいて、それが鹿王であっても、俺は……。お前が逝くなら俺も逝く」
「え、……ええっ、……?」
なんかすごいことを言われている気がする。
つまり、ユイのために白き人狼の責務を放棄して死を選んでもいいと言うことだ。誇り高き人狼のボスとしてはあり得ない発言である。
「俺は白き人狼である前に、双子の兄である前に、お前を愛するただの雄なんだよ」
ロウが切羽詰まったようにユイの首筋を甘く食む。牙の先端がそわそわするような快感を連れてくる。
「ロウ、……」
ロウが。唯一絶対的存在のロウが。私のことを、好き……?
一人の、女の子として?
「お主は以前もそうやって迎えに来たな。何があっても、どうしても、この娘が欲しいと。しかし娘は再び我の元に来た。これはどういうことか」
静かに二人を見守っていたラキの声が頭上から降り注ぐ。
古から悠久の時を見つめてきた番人は、迷い人の深層心理を露わにさせる。
「それは、……」
ロウが鹿王を見上げて口ごもり、うなだれた。
そうか。以前凍湖に落ちた時も、ロウが迎えに来てくれたんだ。ラキの言う『ユイを心から必要とする者』とは、ロウのことだ。
「ユイが幸せなら、それが一番だと、……」
もしかして。
『人間と結婚する』というユイがヤケクソに言い捨てた言葉を、ロウは信じたのではないか。好きな人と結婚するのが一番幸せだから、身を引こうとしたのでは。
だとしたら。
再びこの狭間に落ちたのは、ユイのせいだ。
「好きって言っちゃいけないと思ってたから」
ユイは鹿王を見上げた。
なぜまた狭間に落ちることになったかと言えば、ユイが本当の気持ちを誰にも告げられなかったからだ。
「だってロウは、白き人狼だから。双子の兄だから。絶対に、死んでも、言っちゃダメって思って、…」
「ちょっと待て。ちゃんと言え。何を言っちゃいけないって?」
ラキに訴えていると、有無を言わさぬ強引さでロウが割り込んできた。
目の前にロウの美しい顔が迫る。金の瞳にもう涙の跡は見えない。
吸い込まれるように美しく、誇り高い人狼のロウ。群れの絶対的統率者、…
「……ロウが好き」
ずっと押し殺してきた心がこぼれた。
その瞬間、雷に打たれたかのように、ロウが固まった。
「ずっと。ずっとロウだけが好きなの。カルナとナツナが死ぬほど羨ましかった。ロウと繋がりたかった。そういう風に、ロウが好きなの」
「お前、……っ」
最後の言葉はロウの唇に飲み込まれた。性急な舌がユイの喉奥深くまで差し込まれて、荒々しく口内をかき回す。あっという間に混ざり合って、頭の上からつま先までロウが浸透していく。
「なんで言わないんだよ、バカ」
「だって、……」
優しいだけじゃない、奪うようなキスに翻弄されて涙を浮かべるユイに、ロウがその美しい顔をゆがめた。
「ごめん。バカは俺だ。お前をまた鹿王のもとに行かせてしまったのは、俺がふがいないからだ。ちゃんと伝えられなかった。お前だけを愛してるって」
ロウの長い舌が優しくユイの涙を舐める。しなやかな腕が背筋を撫でる。
ロウに言われた言葉の意味が沁み渡ってくる。
「つまり、そなたたちはまだ冥府に行く時ではないと」
お互いしか見えていない様子の二人に、鹿王ラキがほんのり呆れたような声で言う。
「はい」
「すみません」
二人がそろって頭を下げると、ラキは長い髭を震わせた。
「生きるということは葛藤も多かろう。しかし通じ合った思い程強いものはない。健やかに過ごせよ。そしていつか、また会おう」
慈しみの光のような声が二人を包む。鹿王は二人の額に手を当てると、ふううっと長い息を吹きかけた。
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