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京月院侯爵邸は、帝都の中心部をやや外れた閑静な住宅街に広大な敷地を誇っている。外門から屋敷の入り口まで、きちんと管理された庭を車で五分ほど進む。西洋風の自然様式が取り入れられた庭には、小高い丘に大小様々な植栽が並び、静かに深い水をたたえる池には橋が掛けられている。
多種多様な花を集めた優雅な庭園をいくつか通り過ぎると、和モダンな造りの大邸宅に辿り着く。車寄せで車から降りて案内されたのは、二階の奥にある広々とした部屋。天蓋付きのベッドが置かれ、上質な家具が設えられている。どこからともなく使用人がやってきて、真新しい着替えやリラックス効果があるというお茶、疲れを癒すための熱い湯などがふんだんに用意された。
「父と母は休んでいますから明日紹介しますね。どうぞ気兼ねなくおくつろぎください。私は隣の、…部屋に居りますので、何かあればいつでもお声をかけて下さい」
ユイをここに連れてきた京月院スミカは、ユイに心酔していることを隠そうともせず、あれこれと世話を焼いてから、
「ではあの、…おやすみなさい、ユイ様」
名残惜しそうにユイの手を取ると、そっと唇を寄せてから隣室に下がっていく。
スミカが触れた手を振り払わないように、ユイは感覚を殺した。
ユイは通常の人間より少しばかり、五感に優れている。
スミカが特別に嫌なわけではなく、人間が嫌なわけでもない。恐らく京月院スミカという人間はとても親切で、スミカに拾われた自分はとても幸運なのだと思う。
ただ、ロウではないというだけ。
ロウ以外はみんな同じで。ロウでなければダメで。
触れて欲しいのも、触れたいのも、ロウしかいないというだけ。
スミカも使用人もいなくなり、静まり返った部屋の中で両手を握りしめて、ユイは綺麗に整えられたベッドに腰を下ろした。庭に面した大きな窓の向こうから、ドレープカーテンにさえぎられてわずかに月明かりが漏れている。
『ロウ、…』
声を出さずに名前を呼んだ。
ロウはとても耳がいいから、万が一近くに居たら、聞こえてしまう。ロウでなくとも、ロウを取り巻くヴィルやシュンや、ユイを人間が住んでいるという帝都に連れてきてくれたカルナやナツナがまだ残っているかもしれない。
いや、でも。
誰も気にしないかもしれない。
番候補のカルナやナツナはロウに夢中だ。番候補だけでなく、側近のヴィルもシュンも、雌雄問わず、老若男女、群れを成す人狼は一人残らずロウを崇めている。
白き人狼であるロウは、群れを統べる唯一絶対的な首領で、あらゆる能力において他の人狼より格段に優れている。群れの秩序に白き人狼の存在は必要不可欠で、これまでもこれからも、優れた統率者たる白き人狼がその役割を引き継いでいくことが群れの願いだった。
群れにとっては、白き人狼であるロウだけが重要で、全ての能力に劣ったただの人間であるユイには、何の価値もない。ただ、ロウの双子の妹というだけだ。
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