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「まあああ、なんと麗しいご令嬢でしょう、…」
「異国の姫君でもこのように美しい方は見たことがない」
ロウの気配がしない人間の街で、ユイは一睡も出来なかった。
けれど、京月院スミカが朝から溌剌と訪れて、手取り足取り世話をしてくれ、速やかに集まった使用人たちに着せ替え人形のように飾り立てられて、侯爵夫妻が待つ朝食会場に連れていかれた。
スミカの両親である侯爵夫妻は、ユイを一目見るなり手放しで褒めたたえた。その盲目ぶりはさすが親子と言えるかもしれない。
「朝どれカボチャのポタージュスープです」
「香味だれのチキンソテーでございます」
朝食会場は広く、レコード盤から優雅なクラシック音楽が流れる中、温かくて香ばしい料理が次々と運ばれて来た。
「ユイ様はどのような料理がお好きですか?」
ロウが採ってきてくれる山葡萄。
高木のてっぺんになっている房が日差しを浴びて一番甘いのだが、ロウは必ずそれをユイのために採って持ってきてくれた。
品良く小分けにしてパンを口にするスミカに笑顔を向けられ、ユイは浮かんだ答えを打ち消した。
「…何でも。お料理すごく美味しいです」
実際、侯爵邸で供される食事はとても美味しかった。
ただ、なにか、胸が詰まって多くは食べられなかった。
「食後の珈琲をどうぞ」
「…有難うございます」
こんな風に、自分を世話してくれる人間に会えたのはとても幸運なことだ。ユイは改めて、心からスミカと侯爵夫妻に感謝した。人間社会について、母の話を聞く限りでは、なかなか陰惨なところなのだろうと覚悟していた。身分制度が厳しく、女性は使い捨ての道具となることも少なくない。
ロウに言えば反対されるかもしれないから、黙って出てきた。
人間社会で消耗され、無残に捨てられようと、ロウが誰か別の雌と番となり、唯一の伴侶として慈しむ様子を間近で見ているよりはマシだと思った。
「もしかしたら、人間社会に興味があるのではなくて?」
気鬱に滅入っているユイに、そう助言してくれたのはロウの番候補のカルナだ。カルナから、わずかにロウの匂いを感じる時がある。そんな時、カルナは生き生きと幸福に満ち溢れていて、ユイは死ぬほど羨ましかった。
どちらがどちらの匂いか分からないほど、かつてはロウにくっついていたのに。今はもう、ロウの匂いが遠すぎる。ロウの匂いがないと、ユイはよく眠れない。
「ユイ様は人間ですもの。人間社会で暮らした方が生きやすいかもしれませんわ」
同じくロウの匂いを得意げに纏わせた番候補のナツナも言う。
雌の人狼がユイを疎んじ、ロウから引き離したがっていることは分かっていた。雌の人狼だけでなく、元老院も居城に棲む者も、ひいては群れ全体も。唯一絶対的な白き人狼の隣に、人間の女子がいることを好ましく思ってはいなかった。
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