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白き人狼が人間の娘に近づくことを群れは恐れている。
ユイの父も、またその父も、白き人狼でありながら人間の娘を愛し、唯一の伴侶としてその娘を選んだ。
幸いにして、ロウは完璧な首領としての資質を持って生まれてきたが、人間を伴侶とした場合、生まれてくる子の能力がいくらかでも欠ける懸念がある。もとより、人間は人狼にはるかに劣っているからである。
まして、万に一つでも。
ユイを相手とした場合、近親交配の観点から、生まれてくる子が遺伝的疾患を持つ可能性がある。次期リーダーたる白き人狼は一人しか生まれないので、わずかでもその子どもに欠陥が生ずれば、群れは大混乱に陥ることになる。
まあ、心配しなくても、…
ユイは自嘲気味に考える。
ロウに全くその気はないのだが。
ロウは人間にあまり興味がない。
人狼の習性である人間狩りには参加しないし、人間が住む帝都に赴くこともほとんどない。
ロウは優しいし、ユイのことを妹として大切にしてくれているが、番う相手として見てはいない。これっぽっちも。
いや、それでいいのだ。それが普通だ。
群れにとって、ロウは理想のボスと言える。このまま順調に番候補の誰かが次期リーダーを孕めば、万々歳。群れの安泰と繁栄が保証される。
「オペラ劇をご覧になられたことはありますか」
隣に座るスミカの声で物思いから引き戻された。
スミカに連れられて、帝都の中心街にある歌劇場に観劇に来ている。
気づけば、ロウを思って悄然としてしまうユイを気遣って、連れ出してくれたものと思われる。優しい人間だ。
「初めてで、圧倒されてます」
正直、目の前の大舞台で繰り広げられる眩いばかりの歌と踊り、躍動する人間たちのドラマチックなストーリーはなかなか興味深く、ユイの心を慰めてくれた。
人間社会で暮らした方が生きやすいというナツナの提言は、実際その通りかもしれない。どう頑張ってもユイは人間で、ロウの妹でしかないのだから。
「ユイ様。とても素敵です」
オペラ劇を鑑賞した後、流行りだという喫茶室で軽食をとり、華やかな店が立ち並ぶ中心街で着物や宝飾品など、店を見て回った。貨幣によって物品が管理されているのは面白い。ユイは人間社会の仕組みを新鮮に思った。
スミカはユイのために着物や履物、宝飾品を次々購入していたが、最後に買った花の髪飾りをユイの髪に差すと、満面の笑みを浮かべて嬉しそうにしていた。
「京月院様、噂のご婚約者様ですか」
「お二人、美男美女でとてもお似合いです」
宝飾店の従業員が眩しそうに二人を見つめて誉めそやす。
「…そう? うん。そうなんだ。もう彼女しか目に入らない」
スミカが恭しくユイの手を取る。
いつの間に婚約したのかと思ったが、人間社会で身を寄せるとはそういうことになるのかもしれない。行く当てのないユイには、有難い状況に違いなかった。
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