Ⅰユイの章【帝都】

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「京月院様っ、どういうことですの!? 納得出来ませんわ!!」  「そうですわ、今になって婚約破棄などと、…っ」 しかしながら、京月院スミカには別に、本物の婚約者がいた。 ユイが京月院侯爵邸に身を寄せてから数日。 スミカは宣言通り、ユイを手厚く世話して何一つ不自由させなかった。侯爵夫妻も嬉しそうにユイをもてはやし、慈しみ、親しんでくれた。ユイはスミカの厚意に報いるため、求められる役割をこなそうとドレスアップしてスミカの隣に立った。スミカはどこに行くにもユイを連れていく。侯爵家の関係者や親族に紹介したり、仕事関係者や政界が主催する舞踏会、パーティなどに連れだって参加したりした。 海外からの来賓を招いた外交官邸で催された大規模な舞踏会で、スミカが要人たちと政治的な話をしているのに付き添っていると、派手な身なりの母娘が進み出てきてスミカに詰め寄った。 「あんまりですわよ、京月院様っ!!」 何事かと会場の注目を集めたが、 「これは、…羽菱(はねびし)様」 スミカは柔和な笑顔を浮かべたまま、冷静な態度で母娘と向かい合い、 「必要なことは全て書面で伝えたはずですが。慰謝料についても羽菱氏と既に話が付いています」 悠然とした口調で言い切った。 「ここで騒ぎを起こせば、せっかく手に入れた羽菱財閥の名に傷がつくのではありませんか」 「で、…でもっ」 緋色のドレスを身に纏い、髪を美しく結い上げた娘がスミカの腕に手を触れて懇願する。 「私はスミカ様を心からお慕いしているのです。非があったなら改めます。全てスミカ様が望むようにいたします。ですから、破棄などと仰らずもう一度お考え直して、…」 「…失礼」 しかしスミカは娘の手を冷たく撥ね退けた。 「私の気持ちが変わることはありません。家名に泥を塗りたくなければ、速やかにお引き取り下さい」 「アキコ、…」 ラベンダー色のドレスを纏った母親らしき女性が娘の肩に手をかける。 アキコと呼ばれた娘は信じられないという表情で呆然とスミカを見上げ、ゆらゆら首を横に揺らして、スミカの隣に立つユイに気づいた。 「…そういうことですの」 羽菱母娘は、スミカに直談判することに精一杯で、周りの状況は何も目に入っていなかったようだ。スミカの隣にユイがいることに気づくと、アキコは憎々し気に顔を歪ませた。 「アキコ、出直しましょう。京月院様の仰る通り、うちの旦那様と話が付いているのなら、下手に騒ぎ立てては、…」 「ふざけないでっ」 何とかとりなそうとする母親を無視し、羽菱アキコはウエイターが持っていたグラスをつかみ取ると、中身をユイに向かってぶちまけた。 「Oh,…!!」 「何をするっ」 来賓たちが驚く中、咄嗟(とっさ)にスミカがユイを庇ったが少し遅く、ユイは頭からシャンパンらしき液体を被った。 「必ず、思い知らせてやる、…覚悟なさいっ」 羽菱アキコは憤怒の形相でユイを睨みつけ、優美なドレスを翻しながら会場を後にした。 「ああ、…アキコっ」 母親は娘の行いにオロオロとしていたが、とってつけたように一礼すると娘の後を追って慌ただしく出て行った。
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