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そのテールライトの反射。その微かな断片が、今、僕がいる世間というものを刻々と映し出している。そんな気がした。陽光の憩う淡い月が目の前に聳えていた。会場の賑やかさなど、疾うに忘れてしまった。ボールペンを手にしたは良いが、詩を書くことを止めていた。僕は一度では飽き足らず、幾度か瞬きをして、最後はゆっくりと試みる。そうやって、空間を弄ると僕は手を動かした…少し…少し速くノートの上を滑走させた。
ガラス窓の様な、何かだと思う
ビルの様な、何かだと思う
信号のような、何かもある
赤い光を毀し毀し【こぼし】運んでいる
箱に押し込んでいるのか
そろそろ溢れそうだ
僕はそんな詩を書いた。詩を書き終わって、辺りを見渡した。サイン本の山は、まだ尽きる事は無い。井坂さんは個人へのサインからネットショップ販売用の書籍へのサインに移った。刹那に筆する彼の手は、時折2023年を2025年と滑走させて仕舞う。「ああ、またやってしまった…」井坂さんの声は大きかった。「声が大きいのは…ぼくの家系は耳が遠いんですよ…」井坂さんはネット配信のコメントに応えた。「なんかねえ、父も母も遠いんだよ…声が大きいことを、やんや、やんや言う人があるけど、少し耳が遠いんだと思って下さいね、お願いします」 彼は冗談交じりにそう言った。相も変わらず、僕はコーヒーを飲み、視線をはためかせた。すると、彼女はまどろんでいた。僕はスマホを取り出し、エリック・クラプトンのBell bottom bruceを聴き始めた。イヤホンに高らかと響くギターは、遂に僕を連れ去ってしまった。
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