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「あーあ、先週のライブ、すっげー楽しかったのになぁ」  陣はいつものフードコートで、頬杖をつきながら颯太郎を見てきた。うどんをすすっていた颯太郎は、またその話か、とため息をつく。 「あと何回それを言えば、気が済むんだ?」 「颯太郎がライブに来てくれるまで」  ニッコリと微笑む陣は、さぞかし女性にモテるだろう、と思うほど綺麗だ。その証拠に、颯太郎は陣とつるむようになってから、幾度となく女子学生に声を掛けられている所に遭遇した。その中には淡い薄桃色を纏っている子もいて、これだけ綺麗なら、気にもなるよな、と颯太郎は納得する。 「丁度また、週末にやるんだよねー、ライブ」  そう言った陣は颯太郎を見てくる。その長いまつ毛に落ちた影が綺麗だなと思って見ていると、ハッとして視線を逸らした。 「時間と場所は後で送るから。それと……これ」  そう言って陣が手のひらに出したのは、小指ほどの小さなシルバーの円柱だ。何だ? と思っていると、陣はそれを開ける。入れ物だったんだ、と驚いていると、中から出てきたのは耳栓だった。 「慣れてないと爆音がキツいからさ。これして後ろの方にいてくれればいいから」  それでもダメならハコの外で聞いてもいいから、と言われ、颯太郎はそれを渋々受け取る。 「……何でそんなに来て欲しいんだ?」 「ん? 俺を知ってもらうのに、それが手っ取り早いと思ったから」  颯太郎といる時はずっと笑顔の陣は、今はやる気の赤を纏わせている。本気なんだな、と思って頷くと、陣は満足そうに笑った。 「ねぇ、颯太郎はどうして笑わないの?」  突然なんの脈絡もなく陣に言われ、颯太郎は動きを止める。 「どうしてって……」  理由なんて考えた事もなかった。記憶がある頃から笑ったのはそんなに無いような気がして、颯太郎は答える。 「笑うような事が無いから」 「それだよ。面白くなくても、笑えば何とかなる事だってあるのに……損してるぞ」  例えば颯太郎のゼミの女の子とか、と言われ、思わず眉間に皺を寄せた。仲良くする気は無いのに、笑えとはどういう事だ、と陣を見る。 「仲良くする気は無くても、敵意は無いことを示さないと」  颯太郎みたいに、何を考えているか分かる人じゃないんだから、と陣は優しく颯太郎を見つめた。纏っている色は白と薄桃色だ、何故そんな事を言いながら、自分を好きだと思っているのだろう、と颯太郎は思う。 「だからって、笑わなくても」 「だからぁ、表情って意外と大事なんだって」  あっそう、と颯太郎はうどんの汁を飲み干した。 「別に、敵意があると思われてもいい」  颯太郎は自分の心の平穏を保てれば何だって良いのだ、勝手に入ってくる人の感情が颯太郎の心を乱すので、本当に一人が良いと思っている。だから余計なお世話だ。 「何でそんなに頑なかなぁ?」 「……人といると疲れる。見たくもない感情が見えるし、一人の方がいい」  颯太郎がそう言い切ると、陣は眉を下げて颯太郎ー、と嘆いた。それでも、颯太郎の気持ちは変わらない。 「どうして放っておいてくれない? 俺は最初から付きまとうなって言ってるよな?」  何より本人が良いと言っているのだ、陣にとやかく言われる筋合いはない。颯太郎は自分の気持ちが高ぶっていくのを感じる。呼吸が早くなり、神経が過敏に反応していくのだ。言い方にトゲが出るけれど、どうしようもない。 「颯太郎、落ち着け、悪かった……」  陣は颯太郎の様子に気付き両手のひらを下に向け、上下に動かす。しかし颯太郎は止まれなかった。 「今まで誰も助けてくれなかったクセに、何で急に……っ」  どれだけ声を上げても、誰も聞いてくれなかったくせに。 「……どういう事?」  陣の言葉でハッとした颯太郎は、何でもないと立ち上がり、トレーを持って歩き出す。興奮と恥ずかしさで顔が熱くなり、グッと口を結んだ。 (何やってんだ、完全に八つ当たりじゃないか)  いつから自分は陣に甘えるようになったんだ、と足を早め、トレーを返し、そのまま建物を出る。陣が追いかけて来る気配がするけれど、無視した。  厄介な事に、自分の感情にも引きずられやすい颯太郎は、一度ハマったら抜け出せにくくなる。そうなったら全てをシャットダウンし、殻に閉じこもるしか落ち着く方法は無い。  颯太郎は走り出した。早く誰もいない、静かな場所に行きたい。それだけを目指して、色がない方向へ向かうと、キャンパスの敷地の端に来た。フェンスが張られたその場所は、茂みが多くて薄暗く、敢えてこの場所に来る人はいなさそうだ。  颯太郎は倒れ込むように膝を付くとグッと胸を押さえた。  目頭が熱くなってギュッと目を閉じる瞬間、折れた木の枝が目に入る。衝動的にこの興奮状態を抑えたい、この苦しみと痛みを違うものに替えたい、とその枝を取り、折れた切っ先を自分の腕に向けて振り下ろした。 「……っ! 何やってんだお前は!」  陣の声がして腕を掴まれる。行き場を失った衝動性は更に颯太郎の胸を苦しくして、短く呻いてうずくまった。 「颯太郎……」  陣はそっと颯太郎の手から枝を抜き取ると、隣に座って背中をさする。 「……っ、う……っ」  目頭と頭が痛い。苦しくて苦しくて、喘ぐように呼吸をすると陣は静かに尋ねてきた。 「颯太郎、お前をそんなに苦しめてるのは何?」 「お前こそ……」  颯太郎は地面に突っ伏したまま、陣に聞いた。 「何で俺? 結構キツいこと言ってるよな? 何で嫌わない?」  すると陣は、顔を上げて、と言ってくる。そろそろと顔を上げると、そこには優しく微笑んだ陣がいた。そして纏った色は先日初めて見た、優しい黄みがかった桃色だ。 「言っただろ? 颯太郎は命の恩人のようなものだって……この時計、本当に大事なものなんだ」  そう言った陣は、愛おしそうに袖の下に隠れている時計を撫でる。 「それに、本当に人の事をどうでもいいと思ってるなら、俺をスリから助けたりしないだろ?」  俺は、颯太郎の奥にある優しさが気になって、好きになったんだ、と陣は言った。 「言いたくないならいいよ。でも俺はずっと颯太郎の味方でいるから」  それだけは覚えておいて、と言われて、颯太郎は再び地面を見つめた後、目を閉じた。  どうして、この人はこんなにも真っ直ぐでいられるのだろう? 望まれずに生まれた自分とは、正反対だ、と颯太郎は痛くなった目頭から涙が落ちる。  俺はそんなに優しいやつじゃないよ、人に好いてもらうほど、良い人間でもない。颯太郎は心の中でそう呟いた。
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