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２
一気に悲しい青を纏い、肩を落として去って行くヘッドホンの彼を見て、颯太郎はふう、とため息をついた。
颯太郎は感情が色で見える能力のせいなのか、強い感情に引きずられやすい。心の平穏を保つにも、一人の方が良いと思っている。
颯太郎は歩き出した。
意外と素直に引き下がってくれたな、と思いながら、綺麗で真っ直ぐな人だった、と初めて見た時の黄色を思い出した。それは輝いているようにも見え、あんなに綺麗な感情の人は初めてだ、と思う。
すると不意に、足元がふらついた。
颯太郎は足に力を入れて立ち止まると、またため息をつく。
今朝だけで色んな感情に当てられたので、思ったより精神的に消耗したらしい。近くにあったベンチに腰を下ろすと、芝生の中で餌を探している雀を眺める。少しずつ秋色が混ざりつつある芝生で、餌を探すのは大変そうだ。
(人間より、コイツらの方がよっぽど素直で、何を考えているのか分かりやすい)
颯太郎が今まで会ってきた人物は、感情と言動がチグハグな人ばかりだった。颯太郎の家族がそうだ。
颯太郎の母は九歳の時に再婚して、十歳の誕生日の前に事故で亡くなった。あの時はとにかく家から早く出たい、それだけを考えて生活をしていたなと思う。
颯太郎はハッとして頭を振った。今はこうして一人暮らしをして、一応心の平穏を保てている、思い出す必要はない。
颯太郎は立ち上がって、講義を受けるために講堂へ向かった。
午前の講義が終わって昼休み、颯太郎はフードコートで学内一安いうどんをすすっていた。量も味も値段に比例しているけれど、貧乏学生なのでお腹が満たせるのならそれでいい。
「あ！ 見つけたー！」
颯太郎は、後ろから聞き覚えのある声がしてビクッとした。しかし後ろは振り向かず、黙ってうどんを再びすする。すると颯太郎の正面に断りもなく、今朝の男が座った。無視して食事を続けていると、なあなあ、と話しかけてくる。
「……付きまとうなと、言ったはずですけど」
相手を見もせず静かに言うと、何故か彼はまたオレンジ色を纏わせる。何がそんなに楽しいんだ、と思って汁をすすった。
「ん？ あれはあの時のお願いだろ？ 茅場颯太郎くん」
颯太郎は彼に名前を呼ばれて、教えてもいないのにどうして知ってるんだ、と彼を睨んだ。すると何故か彼はまたオレンジ色を濃くしてニッコリ笑う。
「……」
こういうウザイ奴は無視に限る。そう思ってまた汁をすすって飲み干すと、食器を返すために立ち上がった。
「あ、何か奢らせてよ」
「いらない」
トレーを返し、フードコートを出ても彼は付いてきて正直鬱陶しい。人けのない建物のそばのベンチに腰を下ろすと、彼も当然のように隣に座った。
颯太郎は思わず睨むとやはり彼は嬉しそうにニッコリ笑う。変な奴だ、と思っていると彼は左腕にある時計を見せてきた。一目見て、誰もが知っている高級ブランドだと分かる。どうして彼がそんなものを持っているのだろう？ と思うけれど、関係ないか、と思い直した。
「……これ、良い時計だろ？」
確かに、大学生がするには手に余るブランドだと颯太郎は思う。しかし彼はその腕時計を服の袖で隠すと、本当に大事にしてるんだ、と袖の上から時計を撫でた。すると彼の色が、嬉しさと懐かしさが混ざる色に変わる。それは例えば、オレンジと淡いピンクが混ざった、黄桃と白桃の果汁のような色だ。颯太郎は思わず綺麗な色だなと見蕩れてしまった。
彼はふふっと笑うと、その色は消え、またオレンジ色に変わる。
「俺は森山陣、二年。専攻は英語」
同じ専攻だったんだな、気付かなかった、と言われ、颯太郎は視線を地面に落とす。確かに、同じ学年で同じ専攻だ。ゼミは違えど今まで颯太郎も気付かなかった。こんな、うるさい奴がいるなんて。
「いつも一人でいるし、話してもつっけんどんだから、あんまり関わるなってゼミの子が言ってた」
笑う陣の言葉に颯太郎はため息をつくと、彼が言うようにつっけんどんに言った。
「そう聞いているならもう、あっちへ行ってくれ」
颯太郎はカバンから本を取り出すと、陣がいることも気にせず読み出す。しかし隣のオレンジ色は、ますます濃くなるばかりだ。
「何でだよー、颯太郎は命の恩人同然だって言っただろー？」
しれっと下の名前を呼ぶ陣に、颯太郎はまた彼を睨む。しかし陣はやはりニコニコと笑うばかりだ。
「今すぐ死ねと、付きまとうな以外で、何かお礼させてよ」
綺麗な笑顔を向ける陣に、颯太郎は視線を外す。
「じゃあ静かにしててくれ」
颯太郎は間髪入れずにそう言うと、意外にも彼は大人しくなった。颯太郎はそのまま本を再び読み始める。読書は嫌いではないけれど、必要に迫られない限り読まない。何故なら感情が揺さぶられるのが嫌なので、読む本はほとんどが実用書だ。
さあっと風が吹いた。静かな空気が二人の間におりるけれど、颯太郎は何故か気まずくはない。何故かはすぐに分かった。陣がこちらを邪魔しないように、フラットな感情でいるからだ。変なやつ、と颯太郎は本に視線を戻す。
秋の冷たい風は颯太郎の身体を冷やし、昼休憩が終わる頃にはすっかり冷えてしまった。今度から屋内で静かな所を探すか、と立ち上がると隣に座っていた陣が、もう行くのか？ と声を掛けてくる。黙っていた間、彼の感情はずっとオレンジ色だった。何故それだけで楽しいのだろう、と颯太郎は思う。
本をしまって歩き出すと、当然のように陣は付いてきた。そして自動販売機の前で立ち止まると、ちょっと待って、と颯太郎を呼び止める。
無視して行けば良かったけれど、何となく立ち止まってしまった。すると彼は温かいお茶を買っていた。
自分で講義中に飲むのかと思っていたら、そのお茶を差し出されて戸惑う。
「はい。身体冷えたでしょ？ 時計のお礼にしては全然安いけど」
颯太郎は何でだ？ と思いながらも思わず受け取ると、彼はまたオレンジ色を纏わせながら、俺はこっちだから、と走って行った。
あれだけうるさく付きまとう癖に、静かにしろと言ったら大人しくなって、身体を温める飲み物を買ってこちらを気遣ってくれた。不思議な感覚に陥った颯太郎は、両手でそのお茶のペットボトルを包み、じんわりと温かくなる手をしばらくみつめた。
「変なやつ……」
颯太郎は呟く。そしてハッとして、自分も教室に向かった。
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