第四夜

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 遠いむかしのお話。  不作が続いて、たちまち列島中に飢饉が広がったころ、この村の人間も半分死んだ。どうにかしなくちゃとおもった神社の人間が、緖結び神楽をはじめたの。  失われた多くの命が、またこの音色に寄せられて、緖を──命を結びますようにと。つまりふたたびこの村に命として還ってきますように、という祈りなの。  時が下るにつれて祭りの意図はすこしずつ変わって、ご先祖をお祀りする村の大衆祭となった。それでも命の巡りを願う想いは変わらずに、人々は祈りつづけた。  ある時──緖結び神楽を舞い終えた幼巫女が、何処より鳴りひびく神楽の音色にいざなわれて、禁足地たる山中に分け入った。いったいなんの神楽かと、神楽面を携えて山深いなかを進むと、やがて不思議な灯りが見えてきた。  ──いったいなんだろう?  と進んでみると、そこには輪を囲んで踊る人びとの姿があったの。幼巫女は草木の陰に身を潜めてその集団を見つめた。そうしたら、驚いたことがあったのよ。  そう。  そこに、亡くなったはずの兄の姿を見つけたの。  幼巫女は兄めがけてワッと駆け出した。  少女の兄はまもなく気がつくと、やさしく幼巫女を抱きしめたわ。けれどすぐ少女の顔に神楽面をかぶせたの。  ええ、少女も聞いた。  せっかく会えたのに。どうしてかぶせるのって。お顔を見たくないのって。  けれど兄は首を振って教えてくれた。  ──これは人ならざる者の集い、『来迎』。  ──人が紛れ込めばやがて『死霊門』が開く。  ──彼らにとっては、優しさなのだけれど。  ──連れ去ってしまうんだよ。  ──面は、正体を隠す御守りになる。  兄によく言い含まれた少女は、その後、面を被ってともに踊りの輪へと参加した。兄の言うとおり彼らはとてもやさしかった。まばらに知った顔を見つけた少女のなかに恐怖なんか微塵もなくて、自身を誇りにすらおもった。自分の神楽舞によって彼らがほんとうに還ってきたのだと思ったから。  いつしか少女は、永遠にここにいてもいいとさえ思えた。──  けれどそんな時間もいつかは終わるもの。日が昇るころ、彼らはぞろぞろと山の奥へと歩き出したの。  少女は兄に聞いた。  ──彼らはどこへ行くの?  兄は答えた。  ──在るべき場所へ。  兄は強き眼でほほ笑んだ。  少女は察した。  兄と、もう二度と会えないこと。だからともに行きたいと泣いて願ったのだけれど、彼はそれを許しはしなかった。  やがて少女はいつの間にか眠っていて、気が付くと山への入口である鳥居の前にいた。何度も何度も兄を呼んだけれど──その声は届かなかった。  少女が村に戻ると、おどろいたことに幾年も時が過ぎていた。祭主は代替えして、村内では娘が神隠しに遭ったものとして噂になっていたの。幾年ぶりにその身変わらぬ姿形でもどった少女を迎えた村人は、少女から聞きし話より、山中にておこなわれたその集いに『来迎祭』と名をつけて、少女を神の子として祀り上げた。  少女は──ほどなく村から姿を消した。  永らく常世にいたためか、時が過ぎた現世に馴染めなんだか、姿を消して──自らその命を終えたの。  そう。  私の名前は──カオリ。  あの日、常世から戻りし幼巫女です。  ────。  なぜ命を終えたの、と一花が問うた。  少女は微笑んだ。 「身体が──もはや現世のものではなかった。ほどなく朽ちて消えるものだと分かったの。ならばふたたび兄の元で逝きたかった。結局、あの時のように常世人たちが下りてくることはなかったけれど」 「なら、どおしていまもここにいるの?」 「────」 「そのまま向こうに還っちゃえばよかったのに。あのオッサンが、還してくれないの?」 「ちがうよ。一度は還ったの。還ったのだけれど──あの日、私はここへ戻ってきてしまった」 「?」  カオリは泣きそうな顔でうつむいた。 「死霊門が開いた、あのとき。私は現世の命と引き換えに戻ってきてしまったのよ」  一花にはその意味がわからない。  少女はつづけた。 「いま一度、死霊門を呼ばなければいけない。そのために来迎祭をお迎えするの。そうすればあの子はふたたび還ってくる──」 「あの子?」 「イッカちゃん、来迎祭であなたを呼ぶのはひとりじゃない。あなたはこれまで多くの……多くの御霊たちと交流してきたんだね。だからあの子も頼ったのだろうから」 「────」 「あの子を此方へ連れ戻して、願わくば──願わくばまた、兄に会いたい」  ──いま一度鎮魂祭をやらなくちゃ。  少女は自身の顔に着けられた面に手を伸ばす。  くくり紐から垂れたひと房の飾りが揺れたとき、一花の意識は途絶えた。  *  傍若無人に神社倉庫内へと立ち入り、方々を漁っては祭具らしきものを手当たり次第引っ張り出すその影は、当然ながら藤宮恭太郎である。その背後では埃にまみれた祭具をひとつひとつ拾い上げ、汚れを払う黒須景一のすがたも。  すこし引いたところで、一連の動きを見守る三橋綾乃と槙田泰全。背後には、それを尻目に、倉庫端の書棚から目についた書籍をひょいひょいと抜いていく浅利将臣がいる。  いったいこれから何が始まるというのか──。  三橋にはいまだに見当がついていない。所属の刑事第一課のなかではわりかし勘の良い方なのだが。 「ねえ、わたしたちは何をしたらいい?」  「綾さんは観客だッ。舞巫女はもういるし、何より年増には務まるまい」 「あんだって?」 「僕はトンテントトトンと鳴らす役。ダイゼンくん、君もだよ」 「エッ?」  唐突に役割を与えられた泰全は、声をひっくり返しておどろいた。 「お、オレが?」 「メロディを知っているのは君だけだろーが! 僕は君のその音を頼りに奏でるから、それでタマフリを成功させる」 「め、メロディ──なんて」 「君は知ってる。だって僕は君のなかにある音を聞いたのだ」  そう言って、恭太郎は手元にある鞨鼓(かっこ)をテンとひとつ鳴らした。 「まさかほんとうに、鎮魂祭をおこなうつもりなの? 衣装も、音色も、舞だってなんにも分からないなかで……」 「舞は舞巫女が知ってる。衣装は、将臣が読んでる資料に書いてある。音色はこのダイゼンくんが知っている!」 「舞巫女?」  と、戸惑いの声をあげた三橋の目がある一点に注がれた。神社倉庫の脇、朱色塗料を微かに残した鳥居の向こう側、石畳の先の棟門に吊り下げられた本坪鈴の奥である。  かつて、円形を描いていたであろう白砂の庭のさらに奥から、ふたつの人影がやって来るのが見えたのである。三橋が目を凝らす。やがて見えてきたその姿に、おもわずさけんだ。 「イッカちゃん!」 「なにっ」  神社倉庫内で埃を払っていた景一が、手中のものを放り投げて外に転がり出る。三橋の視線をたどり見えた人影を前に、彼は大きく両手を広げた。 「イッカ!」 「つよしっ」  泰全もつられてさけぶ。  そう、禁足地であろう向こう側から歩いてきたのは、紛うことなき一花と剛であった。一花は生気のない瞳をまっすぐ向けて、迷いなくしずしずと歩を進める。その身はどこで調達したのか、神楽巫女が着けるであろう巫女服を纏っていた。首元には朱色の長襟巻が巻かれている。  となりを歩く剛は、不安げな表情ながらも比較的しっかりとした足取りで一花に手を添える。 「来たか」  恭太郎がつぶやいた。  その目に爛々と光を湛えながら、掘り出した楽器を持って倉庫の外へ出る。一花に駆け寄ろうとした景一に楽器を託し、くるりと将臣を見る。これまで静かだった彼は、書物を見ながら棟門前のスペースを指さして景一に楽器を配置させる。 「恭、簡易的だけれど──わるくはないよ」 「よしよし。頼もしい助っ人もやってきた。剛くん、よく戻ったね」 「ふ、藤宮くん」 「いろいろと思うことはあろうが、気になっていることはライゴウで還って来た本人たちに聞けばいい!」 「え?」 「君には役目がある。ダイゼンくんだけじゃ心許ないからな、君にも奏手になってもらうぞ」 「か、奏手」 「妹の練習をこれでもかと見てきたんだろう? その旋律、忘れちゃいないんだろうが」 「────」  剛の顔色が変わった。  図星なのだろう、と三橋はおもった。景一の手によって並べられた楽器は三つ。  虚ろな目をした一花がしずと前に出る。  口を、開いた。 「さあ、鎮魂祭をはじめよう」
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