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第一夜
久しぶりだな、とおだやかな微笑を浮かべながら、槙田泰全は向かいのソファー席へと腰かけた。八年も経てばお互いすっかり変わったものと思いきや、彼は私を一瞥するや「見てすぐわかった」「ぜんぜん変わってない」などと続けざまに言って、わらった。
大学入学式会場である記念講堂に集められた学生は、それぞれの学部学科に区分けされた。私が座った席は文学部文化史学科。そのうしろの席にいたのが、この槙田泰全だったのである。
式終了後、
「間違ってたらごめんけど、もしかして──」
という問いかけから、互いを思い出すまでに時間は要さなかった。
数年ぶりとなる再会に胸を躍らせて、放課後をむかえて早々、近くの喫茶店にて顔を突き合わせたというわけである。
「町ですれ違ったら分からんけど、こうして見るとやっぱフツーに分かるもんだな」
「でもちょっと勇気いるだろ。学籍名簿なかったら確信持てずに無視したかも」
「たしかに」
泰全はくすりとわらう。
「オレらって、まだ携帯とか持つ前に離れたじゃん。引っ越しやらなんやらで家電も分からんなって、だから──連絡とかぜんぜん取れんかったんよな」
「ああ。連絡手段があったらもっと、なんつーかちょっと違ったかもしれないな」
いや。
本音は──どうだろう。
連絡手段を知っていたとしても連絡しただろうか。あの日に負った傷は我々が自覚するよりもよほど、深く大きいトラウマとなって残っている。その気になれば連絡先を探るくらい容易なことだ。しかしそれをしなかったのは、少なからず自身のなかであの日の出来事から目を逸らそうと意識が働いたからかもしれない──。
おなじことを考えていたのか、ふと昏い顔をした泰全に気が付いた私は携帯をとり出した。
「とりあえずID教えて。おんなじ学科みたいだし、またつるもうぜ」
「おーサンキュ。じゃあコードだすわ」
「にしても、お前がいてよかった。入学早々ボッチとか最悪だもんな」
「なに言ってんだよ。おまえがボッチとか。みんなから信頼されるタイプじゃん」
「マジで言ってる? こっち来てすっかり根暗陰キャに成り下がったっつーの。それに比べてお前は変わらず一軍オーラ出てるよな」
すこし皮肉めいた言い回しになった。
しまった、とおもって顔をあげたが、泰全は特段気にした様子もなく、むしろこちらの『陰キャ』という発言に対してケタケタとわらっている。
「世界的に見りゃあ、日本国民一億総陰キャみてえなもんだろ。つーかおまえが陰キャならオレのがよっぽど陰キャだって。おんなじおんなじ」
「いいよな。お前のそういうとこ」
「意味わかんね──」
といって、泰全ははにかんだ。
それからしばらくは当時の話で盛り上がった。初めは、当時の不便な村生活についての話だったが、やがて小学校の担任や近所の駄菓子屋の親爺についてもノンストップで話題にあがった。それから、あの村を離れてからはお互い一度も帰っていないという確認をしたところで、やはり避けて通れぬ話題が出た。
我々の仲を語る上でのなくてはならぬ存在──そう、友人たちのことだ。
「アイツら元気かなぁ。もうすっかり会ってないからさ」
「え?」
ふと、泰全の表情が曇った。
「おまえ聞いてないのか」
「聞くって、なにを」
「まじか。いや、まあそうだよな。オレも又聞きで知った程度だし」
と、うつむいてひとり言をつぶやく泰全に、私はすこしムッと口をとがらせて詰め寄った。
「だからなんの話だよ。もったいぶらずに」
「死んだって」
アイツら、ふたりとも──と。
うつむいたまま言い放った彼のことばに、私は唖然とした。
「────え?」
「一昨年に龍二、去年に夏生──。どっちも夏の暑い時期でさ、龍二はバイク事故。夏生は……電車飛び込みだって」
龍二と夏生。
小学校の頃からよくつるんでいた、八木龍二と青江夏生のことだ。
とにかくやんちゃな龍二と小柄で泣き虫な夏生は、その正反対の性格が妙にマッチしたのか我々四人組のなかでもとくに仲の良いふたりだった。長らく顔を合わすことはなかったが、かつては盟友の契りも結んだ仲だった。ふたりが亡くなった──という事実を噛みしめる私をよそに、泰全は頭を抱えてつづける。
「自殺だって言われてるけどホントかどうか」
「なんだそれ、どういうこと」
「まだアイツが死ぬ前。SNSで夏生からとつぜん連絡あって、一度会ったんだよ。龍二の件はそのときに知った。ほら、アイツらむかしから仲良かったろ。そのまま中高とずっとつるんでおんなじとこ行ったらしいんだけど。そんときアイツだいぶ様子が変で」
「変?」
「ああ。なんか、すげえ怯えて。なにがあったのか聞いても暖簾に腕押しっていうか──まったくこっちの話を聞こうとしないで、ただおんなじことを何度も、何度も」
といって一瞬閉口してから、泰全は蒼い顔をしてふたたび口をひらいた。
「『シリョウモンがひらく。あの日のシリョウモンから来るぞ』って──」
ゾ、と背中が慄えた。
「どういう──」
「オレたちのなかであの日っつったら、あの日しかねえよな」
泰全はつづける。
「それから一週間も経たないうちに、電車に轢かれて死んだ。夏生のお母さんがSNSのやり取り見てオレに連絡してくれたんだよ」
「は。──で、でも聞くかぎりじゃだいぶヤバい精神状態だったんじゃないのか。おまえが自殺をうたがう根拠があるってこと?」
「夏生のお母さんが言うには、駅の防犯カメラに映ってた夏生は自分から飛び込んだんじゃない、だれかに押されたようにバランスを崩して線路に落ちていったって。でも夏生の周りにはまばらな人しかいなかったから人混みに押されたわけじゃないし、押した手とか影とかも確認できなかったんだと」
「ま、じか」
「まだあるぜ。ふたりの命日な、──あの日だったんだ。さすがにオレ、ゾッとした」
「────まさか」
私はぐっと眉をひそめて、閉口する。
しばらく席に沈黙がただよう。互いに頭を抱えてうつむいた状態だったことから、珈琲のおかわりを注ぎに来た店員は戸惑ったようすで横を通り過ぎていった。やがて泰全はゆっくりと顔をあげて居住まいを正す。
「あのふたりの親も引っ越したんで、お墓は都内の納骨堂にあるんだとさ。今度いっしょに手ェ合わせに行こう」
「──ああ。そうだな」
唐突に突き付けられた真実にいまだ動揺を隠せない私を見かねてか、泰全はおもむろにカバンを漁ると、午前中の入学オリエンテーションでもらったシラバスを取り出した。おもわず顔をあげた私を見て、彼はおだやかに目を細める。
「それより、履修項目合わせようぜ。ゼミ決めとる?」
「ああ、いやまだはっきりとは。そっちは?」
というと、彼は迷わずシラバスに記載された准教授の名前を指した。
その教授の専攻内容を見て、私は眉を下げる。
「なんで」
「おもしろそうじゃん。興味ない?」
「いや──なくはねーけど」
「だろ。それにこういうの突き詰めたらあの日のことも──何か分かるかもしれないし」
「え?」
「いや。じゃあ、決まりな。専門科目も基本ここに合わせる感じで決めていこう」
と。
泰全の仕切りによって、私たちは案外あっさりと選択科目をえらぶことができた。ゼミがはじまるのはそれから三か月後の七月──。
事は、そこから一気に動くことになる。
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