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トンテン、トトトン
ヒュー、ヒョロロロロ
ドン、ドン、シャラララ
ドン、シャララ
巫女の手に携えられた神楽鈴の音が、空気を締める。白砂の舞台上にはそれぞれ楽器を見様見真似に奏でる恭太郎、剛、泰全と、その中心にて神楽鈴を振るう一花がいる。一花──といっても、その表情は顔につけられた彩色面によって明瞭りせず、口元しかうかがえない。いずれにせよ、彼女が纏う空気がふだんのそれでないことだけは確かだ。
三橋がごくりと喉を鳴らすと、となりで静かに見守る将臣がそっと口を開いた。
「あれが、ある種トランスなのでしょうねェ」
「──君たちの世界じゃふつうのことなの?」
「まさか。イタコやユタじゃあるまいし……ただ、一花のそばにいるとたまにああいうのを目撃するのも事実です」
「ま、恭太郎くんがアレだものね。わたしも──おかげで、忘れかけていたことを思い出したわよ」
「忘れかけていたこと、ですか」
「────」
シャン。
一花が振るう神楽鈴がひときわ高く鳴った。一同の視線が一花に注がれる。彼女のちいさな口がゆっくりと開いた。
「まかるかえしによりてまかりなばとくさととなえてひとたびはもとうつつのみとなりまし──ちかえしによりてたまのひかりはあしはらのふみもたがえず──ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず、ふるへゆらゆらとふるへ」
呪文か。
三橋には聞き取れぬ。が、となりの将臣は訝しげに眉をひそめ、しかしひとしきり呪文を聞き及ぶやこっくりと首を傾げた。
「十種神宝の呪文のようだけれど、ずいぶん雑だな」
「アンタ神道の祝詞にまで造詣が深いわけ? ふだんどんな生活してんのよ」
「宗教従事者ですから──」
「それ言っとけばいいと思ってるでしょ。とりあえずわたしには何を言っていたのかさっぱりだったんだけど」
「いやまあ、見様見真似に呪文を切り貼りしたのかもしれない。それっぽいことを繋げて言えば、それっぽくなりますから」
「────」
宗教従事者にそう言われると、有り難みも何もなくなるものである。三橋は一花へ視線を移した。
舞は終盤。
神楽鈴を大きく振り上げて、ダン、とひと足踏み込むと同時に頭上から鈴が振り下ろされる。恭太郎と泰全、剛もそれぞれが音を奏でて、神楽の終焉を描いた。
「来るかな」
将臣がつぶやいた。
何が、とは聞けなかった。
直後。
音の余韻が消える間際、禁足地となる山中より神楽の音色が聞こえてきた。初めはこちらの音が木霊したものかと錯覚したが、恭太郎らが楽器から手を離せどなお、音は山から響き来たる。まるで山が鳴動し、音を奏でているような──。
肚底から畏怖が込み上がる。
恐ろしい音だ。
三橋が耳に手を当てた。
「なにこの音!」
「音、ですか?」
将臣がきょろりと周囲を見る。
おどろいた。この心臓を震わすほどの音が、彼には聞こえていないらしい。
「聞こえないの?」
「ええ、おれは。──景一さん」
「俺にも聞こえないよ」
「────」
まさか。
おのれだけか──と三橋は視線を彷徨わせる。どうも違うようだ。恭太郎が両隣に座る男子大学生ふたりに目を向けている。彼らはいずれも三橋と同様に耳を抑えていた。聞こえているのだ。彼らには。
面の下に隠れる一花の顔は分からない。が、その身体は音を生み出す荘厳の山々へと向けられ、音に反応しているのは一目瞭然だった。
「ライゴウがはじまったのだ」
ぽつりと恭太郎が言った。
「タマフリが成功して、お待ちかねの魑魅魍魎たちが還ってきた。来迎祭だ。そうだなイッカ。いや──カオリ」
一花は答えない。
代わりに、指をさした。山。音ばかりとおもっていたが、いつの間にか山間にチラチラと揺れる光も見える。
将臣が、手元の文書をぱたりと閉じた。
「魑魅魍魎とは聞きがわるいな。加住村の人間はあくまで、ご先祖と括っているぜ」
「ご先祖だろーがなんだろーが、死んでいるのならおなじことだッ。おい剛くん。泰全くんもだ。音を出して君たちを呼んでいる。カオリに──いや、イッカに続け。早くいくのだ!」
と、手を払う恭太郎。
彼はやがてこちらをまっすぐ見据えた。
「アンタもだよ綾さん」
「え?」
「綾さんを呼ぶのがその──夢のような人なのかは知らないが、音が聞こえているのならアンタも呼ばれているってことだ」
「────」
「イッカたちをよろしく頼むよ」
といって、恭太郎は白砂の舞台から降りた。
それを合図にか、一花がふらりと山へ向かって歩き出す。泰全と剛も顔を見合わせてそのうしろについた。三橋は──いま一度ふり返って、恭太郎や景一、将臣を見る。
彼らはなにも言わずにうなずいた。
三橋は心を決めた。前を向き、すでに山道を登りゆく子どもたちを追いかける。何かが、誰かが自分を呼んでいようが関係ない。
今度こそ、ひとりと欠けずに連れ戻す。
三橋の顔は刑事にもどっていた。
*
木々の間に消えゆく同朋たち。
その背を見つめる将臣が、背後から近づく音に気付いたのはまもなくのこと。両隣に立つ連れどもは、音と気配に人一倍敏感な質ゆえすでに気付いていたらしい。ふたりとも、知らぬうちに背後へ目を向けている。
寸の間遅れて将臣が振り返ると、そこに息を切らした老人がいた。
毛玉まみれのえんじ色セーターに裾が汚れたベージュのスラックス、真白な頭髪はひどく乱れ、正直なところみすぼらしくすらある老人であるが、それ以上に気になったのは表情だった。
青ざめた顔で一心不乱に山を見つめ、ガクガクと奥歯を鳴らして立っている。およそ尋常ではない。
すかさず景一が、恭太郎と将臣を庇うようにずいと前に出た。
「じいさん──夜のお散歩にしちゃずいぶんな遠出だな。おうちはどこだい」
「あ、あ──ら、らい、あれは、来迎祭か。どういうことだ、どうして──いったいだれが」
「ほう。あんたこの村の関係者だ。こいつは神の導きだ。おい訳知りじいさんよ、ちょっといろいろ聞かせてもらえないかね」
と、景一はフランクに老人の肩へ手を回す。
老人の喉がひくとひきつった。
「悪いようにはしないよ。まあ、あんたの回答次第だけどさ」
「景一さん、脅迫はよしてくださいよ」
「人聞きわるいこと言うなよまアくん。これが黒須なりの仲良しなのさ」
「相変わらず治安のわるい家──おい、恭」
「うん?」
「いいのか。一花は」
「────」
恭太郎はわずかに目を見開く。
が、すぐにビー玉のような瞳をすうと細めて微笑んだ。
「綾さんがいるなら問題ないさ。それにいまは、このじいさんから話を聞くのが先だ。僕がいた方が捗るだろ?」
「それは──間違いない」
どうせもう、すでに多くの声を聞いているだろう。
将臣と恭太郎はともに、老人の退路を立つように距離を詰め、にっこり微笑んだ。
黒須流の仲良しに乗っかることに決めたのである。
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