第一夜

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 翌朝、校門のところで藤宮と一花に遭遇した。ロケハンもとい旅行の話は落ち着いた時にでも話せばいいか、どうせ浅利くんが話しているだろうし──と遠慮して、軽い会釈とともにその場をやり過ごそうとしたときだった。  突如、藤宮がこちらを見て駆けてきたのである。いまは泰全もいない。私はぎくりと足を止めた。彼はフランクに私の肩へ腕をまわすと、男ですら見惚れる笑みを浮かべて言った。 「やあ! そんなおもしろい話、あとに回すものじゃないぞッ」 「え──は、は?」 「ろけはんだか老斑だか知らんが、ようはその村に旅行するということだろ。つよしくんとダイゼンくんと、僕とイッカと将臣で。────保護者? ああケイくんか。なるほど興味深いメンツだ。日にちはいつだ? なあイッカ」 「エ? なに。なんの話──」  言いかけて、一花は瞳をまん丸く見開くと、私の左肩をじっと見つめ出した。やがてうわ言のように 「──八月一日」  とつぶやく。  しかし藤宮の調子は変わらない。 「八月一日か。は夜だろう。ならそこから一泊二日なんてどうだい」 「さんせーい。あたしも空いてるわよ」 「おまえはいつだって空いているだろうが」 「あ、いや──」  私はどもった。  浅利から話を聞いていたのだろうか。しかしその表情や声色を聞くかぎり、彼はたったいま話を聞いたばかりのような反応である。私はあわてて手を振った。 「あ、浅利くんとか泰全の予定も確認しないと」 「将臣なんかいつでも暇なようなものだから、大丈夫だッ。それにダイゼンくんは──」  藤宮が一瞬閉口する。  うつくしい瞳を細めて、彼はうっそりとほくそ笑んだ。 「君が言えば意地でも空けるんじゃないか?」 「──そ、そんなことはないとおもうけど」 「まあいい。キマリだ! 八月イッピから華々しく奈良へ飛び立とうじゃないか!」 「なあに。奈良県? 奈良に行くのオ。なんで?」 「わはははははは!」 「────」  分からない。  この男が、分からない。  一花はなにひとつ分かっていなさそうでいて、やはりなにも分かっていないのだろう。ただ旅行できるということは理解したらしく、無邪気に小躍りする。  ──アイツはちょっと耳が良くて。  ──余計なことまで聞こえることがある。  昨日の浅利のことばを思い出す。  耳が良い、とは比喩だろうか。あるいは本当に耳が良いのか。まさかこの声も聞こえてやしないだろうか──。  と思い至った瞬間、私の肩を掴む彼の手にぐっと力がこもった。なんだと見上げるとその視線は校門入口へと注がれている。視線の先には、泰全。 「あ」  私が口を開く。が、まもなく閉口した。  見間違いだろうか、泰全の表情が一瞬歪んだ気がしたからである。 「ああ──やっぱりその見方か」  ボソリ、と藤宮がつぶやく。  そのミカタ?  なんの話だ。  聞く間もなく、藤宮はするりと私から身を離してにっこりと泰全のもとへ歩み寄った。 「や、おはよう。聞いたよ旅行の話。なんだかわるいね!」 「え? あ、おはよう。わるいって何が? むしろこっちが巻き込んじゃって申し訳ないというか──」 「日程は八月一日が良いと話をしていたところだった。キミの予定はどうだい」 「っていうと、もうあと一週間くらいだな──ほかのメンバーが良ければオレもそれで構わないよ。バイトの予定はずらせばいいし」  といって、泰全は私のもとへ寄ってきた。  いつも通りの笑みをこちらに向けて、おはようと微笑する。一見すると不機嫌なようすはない。先ほどの表情は見間違いだったか、と私は安堵した。  じゃあそういうことで──と立ち去る藤宮と一花の背を見送った泰全が、くるりと私に向き直る。 「なあ、つよし」 「ん?」 「あの村に帰るなら──オレたち、一度あいつらに会っとかないか」 「あいつら、って」 「龍二と夏生。納骨堂、納まってるみたいだから」 「ああ──」  そういえば、泰全と再会したあの日に聞いた。  彼らはいま都内の納骨堂にいるのだと。  在りし日の情景が脳内にフラッシュバックして、私の脳みそはカッと熱くなった。同じことを考えていたのか、あるいは私のようすを見て心配したか、泰全はすこし困った顔で微笑んだ。  つい先日むかえた梅雨明けによって、頭上に昇る日差しは日に日に強まる。  太陽光から逃れるようにうつむくと、頬に一筋、汗が垂れた。  ──嗚呼、夏が来る。  ──あの日のような蒸した夏が、また。  一歩、構内へ踏み出す。  その瞬間に私は強い眩暈をおぼえた。  ※  安福院御廟は、私が想像するよりもずっと綺麗で荘厳であった。  納骨堂なるものにたいした知識はなく、単純にマンション式納骨場とばかりおもっていただけに、足を踏み入れた瞬間に度肝を抜かれて入口のど真ん中で立ち止まってしまった。  聞けば泰全も、訪問は初めてだという。  大理石でできたレセプションカウンターを見たときには、なんだかほんとうにマンションのエントランスに来たような感覚だった。泰全は事前にふたりの家族から墓参り用のカードを預かっていたらしく、そのカードを見せると二階に案内された。  エレベーターを降りる。  それほど広くはない空間に、すりガラスの衝立を挟んだふたつの立体式墓地が鎮座し、我々を出迎える。墓地といってもそこに和型の石塔があるわけではない。黒御影石でできた艶のある四角い石板と、その真ん中に嵌められたパネル、その両脇に建てられたりっぱな造花が一対。  墓というより、石でできた仏壇のようだとおもった。  泰全がパネルにカードをかざすと、故人名と顔写真が表示された。見覚えのある氏名──八木龍二の名前である。  パネルのなかでわらう龍二の顔は、長らく止まっていた私の記憶よりずいぶん大人びており、いっしゅん誰だかわからなかった。泰全も同様に感じたのか、 「けっこう変わってたんだな、龍二」  と苦笑まじりにつぶやいた。  パネルを操作すると奥から機械の動作音が聞こえてきた。こちらからは見えないが、どうやらこの立体式墓地の裏に龍二の骨が運ばれてきたらしい。ふだんは整然と並んだ区画の一画に納まっているが、お参りの際は特定の故人への参拝ができるようになっているというわけだ。 「納骨堂ってすごいな」 「ああ、夏の墓参りでこんな涼しくなっちゃって、なんだか申し訳ないよな」  私と泰全はちいさく笑いあった。  ──龍二。おまえ、どうして。  ──いつの間に骨になっちまったんだよ。  ──お前からたくさん聞きたいこともあったのに。  ──なあ、どうして。  パネルのなかで微笑む龍二を前に、私はなにも言わなかった。  けれど頭のなかではたくさんたくさん問いかけた。  このあと、夏生に会うため別の納骨堂へも立ち寄った。その際も泰全は慣れた手つきで夏生の骨を呼び出し、私たちはかつての友と再会した。パネルに映る、まだなつかしさの残るあどけない笑顔を見てざわりと胸が痛んだ。
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