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営業成績
1:15
行灯を消したタクシーが表示板を回送にして本社車庫に帰って来た。その日は”ハズレ”で繁華街も駅近の飲み屋街も閑散としている。
最後の配車も金沢駅東口(駅前)の割烹居酒屋からの依頼で”一発長距離”かと期待したが最悪な事に金沢駅西口(駅裏)のマンションまでの三桁営業、深夜料金に迎車料金を合わせても2,000円に満たなかった。
「こんなん、やってられるかよ!」
苛々としながらアクセルを踏んで葛折りに近い坂を上がり、白枠に黒文字で112とペイントされた位置にタクシーを停めた。エンジンを切る。薄暗い車庫にキュルキュルと響くみすぼらしい音で本日の営業は終了だ。
2階から見下ろすと、社屋横の平面駐車場で革靴を黒い長靴に履き替え愚痴をこぼしながら洗車をし始めている者も居る。
「おう、太田。お前どうだった?高崎の迎えだったんだろ、内灘の医科歯科大学くらいは行けたか?」
「何も、駅西のマンションまでさ」
「あの社長さんかヨォ、近いんだから歩けよってな」
「それな」
売り上げの入った茶色い革のセカンドバッグを抱えてSDカードを抜く、運行管理表のバインダーを手に休憩室に入ったところで忘れ物に気付き、慌てた様子で車庫の階段を上り112号車のドアを開けた。
「あっぶね、コレ忘れるところだったわ」
ケースから抜いたのは乗務員証だった。それは助手席のサイドボード上に掲げられている証明書で、ドライバーの顔写真と名前、乗務員登録者番号が記載されている。
太田和彦40歳、西村と年齢も同じならば入社時期も同じ月の”同期採用”、140人中14位をキープしている深夜勤の出来る面々の1人だ。
太田は前職が陸上自衛隊員らしく屈強な体付きをしている。上背もあり色黒の坊主頭、横に細長い黒縁眼鏡を掛けた強面、にも関わらず細かい事にこだわる性質で他人のその日の実績が気になってしょうがない。
特に同期である西村の動向には過敏に反応していた。
「お疲れ」
「今夜は最悪だったな」
「暇で暇で、売り上げ25,000円だぞ。信じられるか?あ?」
「コレじゃ日勤と変わらねぇよな」
休憩所の長机で、コンビニエンスストアの弁当をかっ喰らいながらギシギシとパイプ椅子を鳴らして米粒を飛ばす北のじーさんは相変わらずガサツで汚らしい。
「太田、飲むか?ん?」
もうすっかり温くなったオレンジジュースのペットボトルが目の前に差し出された。ほれ、早く受け取れよといった口の中で、今まさにトンカツが咀嚼されている。想像するだに悍ましい。
「あ、すんません。あざーす」
北の手からペットボトルを受け取った途端、ぬるりとしたカツ丼弁当の油が太田の指を滑らせた。机の上でオレンジ色の液体がペットボトルの中で波打っている。太田は思わず顔を逸らして制服のジャケットの裾で指先のそれを拭き取った。
ふと辺りを見渡すが西村の姿が見当たらない。街中でも106号車を見掛ける事は無かった。
「西村、戻ってないんすか?」
「あ?西村か。誰か見たヤツいるか?」
「見てねぇなぁ」
すると喫煙室で煙を燻らしていたドライバーが壁に寄り掛かりながら上目遣いで辺りを見回した。
「なぁ、最近の西村の売り上げおかしくねぇ?」
「何が」
「此処んとこずっと60,000円超えてるぜ」
「まじか、気ぃつかんかったわ」
「良い客見つけたんじゃねぇの?」
「片町以外でか?」
「そういや深夜帯になると106消えるよな」
「確かに、見ねぇなぁ」
弁当を食べ終わり爪楊枝でシーハーと満足げな北が椅子から立ち上がり、それまで拷問を受けていたパイプ椅子はホッとしたが、その座面にはぐちゃりと潰した桃の跡が大きく残った。輪ゴムで空の発泡スチロールの小箱をパチンと止めるとゴミ箱に捨てた。
「コレじゃねぇかなぁ?」
北は意気揚々と胸ポケットから萎びた革の運転免許証入れを取り出し、ピンク色に真っ赤なハートマークが乱れ飛ぶ名刺をひらひらさせた。
太田は見た事のないそれを怪訝そうな顔で受け取った。
「・・・・金魚?」
「あぁ、山代温泉のデリヘル嬢ちゃんだ。ちょっと頭がコレなんで、誰も配車行きたがらねぇ。西村はそうでもない様だがな」
「営業範囲外じゃないすか」
「太田、お前以外と堅物なんだな」
黒縁眼鏡の表情がみるみる険しくなり、太田はピンクの名刺を握りつぶすとそのまま踵を返して2階への階段に向かった。
「・・・・あ、ちょ。それ・・・俺の!」
その声も虚しく金魚の名刺は鳶に油揚げの如く太田に持ち攫われてしまい、呆然とする北のじーさんは周囲のドライバーからポンと肩を叩かれた。
ガツガツガツガツ
革のポーチの中で三桁営業を嘲笑うかの様に小銭がジャラジャラと音を立てている。今夜は誰も彼もが”ハズレ”の散々な夜だった。
誰も彼もだ、その筈だ。何がそこまで太田を突き動かすのかは自身でも理解不能だったが階段を蹴り上げるように上った。
”同期入社”で実績順位では常に14位と15位、正々堂々と競い合うライバルだと持っていた。
(山代温泉への迎え!?営業範囲外だ、加賀のナワバリじゃねぇか!)
事務所のカウンターにはもやしみたいな運行管理者が椅子でうたた寝をしていた。電話の鳴らない配車室に移動するタクシーのGPSを追う音だけがピッピッピッピッと響いている。
「山田、起きろ!」
「・・・は、はい!」
もやしの山田は机の上の銀縁眼鏡を掛けると声の方向に向かって椅子に座り直した。太田の剣幕に気圧される。
「お、お疲れさまです〜、今、上がりですか。アルコール検知お願いします」
太田は持ち帰りの物一式をカウンターの上に投げつけるように置くと、その隣のすりガラスのドアノブに手を掛け、ずいっと事務所内に足を踏み入れた。本来、ドライバーは金銭取り扱いや運行管理表等の重要書類が保管されている為、事務所内への立ち入りは禁止されている。
「ちょ、ちょっと。太田さん!何するんですか〜!駄目ですよ!」
ヒョロヒョロとした腕で山田が制止しようとするが力で敵う筈も無かった。 太田は山田の手を振り払ってパソコンの配車画面を食い入るように見る。
片町、金沢駅周辺、内灘町、かほく市、津幡町、鶴来町、白山市。マウスを動かして灰色の画面を移動させるがGPSは”営業範囲内”の106号車を探し出す事が出来ずにいた。
「・・・・・8号」
パソコンの画面上に太く表示される幹線道路を右に右にとマウスを進める。野々市市、松任市、美川町その先は”手取川”に架かる”手取川大橋”営業範囲外の小松市、辰口町、加賀市。
(・・・・・西村、お前)
パソコンの配車画面には丁度、”手取川大橋”を渡り切った106号車が赤く塗りつぶされた状態で金沢市に向かって走行していた。赤、実車、誰か客を乗せている。
「山田、お前106号車に加賀市への配車依頼したか?」
「えっ。まさか、加賀営業所の管轄じゃないですか〜、そんなルール違反、僕しませんよ〜」
太田は右手の中でくしゃくしゃになったピンクの名刺を広げて見た。そこには金魚と源氏名が印刷されていた。
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