深夜配車

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深夜配車

 夜勤務として夜間に営業出来るのは実績(売り上げ)が月に30万円以上である事が必須条件となっている。会社としては稼ぎの少ない甲斐性なしのドライバーを夜の街で営業させるなど無駄遣いの何物でもない。 拠って稼ぎの多い西村は夜勤務メンバーの一人だ。  夜勤務は1日出勤して1日休む隔日勤務、17:30〜2:30までが稼働時間、1時間休憩の8時間勤務が原則となっている。しかしタクシー業務はいつ何処で長距離の客が手を挙げるか分からない水商売なので1時間丸々休憩を取るドライバーは殆ど居ない。それでも9時間連続しての運転は体力気力とも長続きせず事故の原因にもなる。疲れた時は北陸新幹線やサンダーバードがに到着する金沢駅のタクシープールでのんびり30分ほど順番を待つのが一番効率が良い。  月曜日は観光から帰る一般客も出張の戻りのサラリーマンも陰を潜める、1週間で一番暇な夜でタクシープールの動きは鈍かった。  自社、他社の多数のタクシーが行燈(ルーフ上のランプ)だけを点けて客に呼ばれる順番を待つ、黒い池に色とりどりの蛍が飛び交うそんな蒸し暑い夏の夜の事だ。  突然、ピーピーピーピーと無線が入り、タクシーのシートを目一杯倒して仮眠していた西村を叩き起こした。本社配車センターのパソコンからは西村の車が金沢駅でを取っている事は一目瞭然。配車が掛かる事は有り得ない。手を伸ばして無線機のボタンを押す。 「106号車、どうぞ」 「西村さん、寝てるところ悪いんだけど配車お願い出来ないかな?」 「何よ、俺いま、駅に居るんだけど」 「それは承知の上でお願いしてるんだよ」  面倒臭いとシートを戻して確認すると、その列から抜けるには前に3台の他社のタクシーが並んでいる。 「駄目だわ、こりゃ出れねぇ。前、3台も居るわ」 「そこを何とか」 「何とか出来たら警察いらねぇんだよ」  見回すと隣の列の先頭に仲間のタクシーの行燈が見えた。 「112号車が先頭にいるぜ。うち(北陸交通)をご指名ならそいつでも良いだろ、そいつに回せよ」 「太田さんじゃ駄目なんだよ」  西村は頭を掻いて車外に出ると伸びをしながら無線のボタンを押し直した。腰がポキポキと鳴り、むくんだ脚、脛を軽くマッサージする。 「誰だよ、俺がご指名ならこっち(携帯)に連絡来るだろ?」 「・・・・・金魚なんだよ」 「はぁ!?何で?」 「知らんよ」  最終の23:21”北陸新幹線はくたか”が到着したらしく何人かの客がタクシー乗り場で順番待ちをしている、色とりどりの蛍が動き出した。駅のドアマンに頼んで前2列に退いて貰えばこの黒い沼から出る事も可能だ。 「106号車どうぞ」 「はい、106号車どうぞ」 「出られそうだわ」 「そうか」 「配車先、どこさ」  ガガガ、配車担当者の声が一瞬止まり、その背後には客からの配車依頼の入電や各タクシーからの問い合わせの無線がひっきりなしで騒がしい。 「106号車どうぞ。どこだよ病院?片町(繁華街)?ナビ入れるから教えて」 「・・・・・かが」 「ん?」 「加賀市なんだよ。1時間後に8号(国道)のすき家賀茂店」 「はぁ?加賀営業所の奴らのナワバリ(担当)だろ、暇なじーさんに頼めよ」  北陸交通には金沢市西泉の本社営業所と石川県加賀市の加賀営業所がある。 原則として”手取川”を境目にそれぞれの担当地区以外のタクシーの流し営業や配車の営業は禁止されている。 「それがどうしても西村さんが良いんだと」 「・・・・何で俺の名前。テメェ教えたのか!?」 「まさか!個人情報だぞ」 「ならいいわ」  制服のグレーのジャケットを羽織り、臙脂色のネクタイを締め直す。営業開始の儀式みたいなものだ。 「金魚の岡田病院からの送りあったんだろ?乗務員証(顔写真入りの名札)見てお前の名前覚えたらしいぜ」 「ぼんやりしてたぞ」 「気に入られたんじゃないのか?」 「まさか」 「変な気、起こすなよ?」 「俺、嫁いるんすよ」  西村はガラスのドームが(まばゆ)い金沢駅から、裏寂れた加賀山代温泉までの道のりを時速110kmのスピードで深夜のドライブを愉しんだ。多分に配車室のPCでは青く塗りつぶされた106号車がとんでもない速度で国道8号線を移動している事を呆れて眺めている筈だ。
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