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厚い布地ののぼりが風にたなびき、仰々しい文字をさらに歪めている。着物を着た年配の男たちが、小走りに駆けてきた。外国人は見慣れているだろう。わたしを見ても表情を変えることなく、ちょっとお辞儀して傍らをすり抜けていく。わたしだけでなく、すれ違うひとみんなに頭を下げてまわっている。おそらくは関係者なのだろうと検討をつけ、男のひとりに声をかけた。
「もし」
恰幅のいい絣の着物の男が、驚いたように振り向いた。小男の彼は、自然、長身のわたしを見上げるかたちになった。
「結城屋さんの楽屋はどちらでしょうか」
記憶を呼び起こしながらのわたしの日本語はお世辞にも堪能とはいいがたかったが、絣の男は理解したように頷いた。しかし、値踏みするような眼差しは緩まない。
「紅乃介さんに招待されたものです。ラムジーといいます」
署名の入った手紙を差し出すと、男はようやく笑顔を見せた。
「こりゃどうも、いらっしゃいまし。しばらくお待ちくださいな」
愛嬌たっぷりに一礼すると、男はまたせわしない足どりで歌舞伎座の奥に消えた。慌ただしく見えるのは、焦りではなく、常日頃その調子なのだろう。すこしも待たずに、もどってきた。
「お待たせしました。楽屋にご案内いたしやしょう。さ、どうぞ」
男について楽屋へ向かう。背後で開幕のベルが鳴り、巨大な歌舞伎座が一気に空気を変えたようだった。最初の幕は「熊谷陣屋」、目当ての「曽根崎心中」は三幕目になっている。
さまざまの道具を抱え、支度に追われている裏方たちをやりすごし、鮮やかな紅色に染められたのれんをくぐる。
楽屋にひとはすくなかった。すでにおしろいで染められた肩をこちらに向けて剥き出しにした役者が、鏡台の前に座っていた。座布団の上に手をつき、膝を擦らせて振り向いた。
息が止まりそうになった。
「ゴロー……」
口のなかで、わたしは呟いた。
客席に入ると、独特の涼やかな空気がわたしの全身を取り巻いた。懐かしさに胸を充たしながら、しかし落ち着きはなかった。
わたしのために用意されたのは、い列のほぼ中央の席だった。椅子に背中をもたせかけながら、わたしは二幕「鏡獅子」の出端を眺めた。
わたしはスコットランド、グラスゴーで生まれ、ロンドンで文学を学んだ。たまたま専攻した日本の古典に魅了され、大学を卒業してからも、その情熱は冷めず、父に無理をいって、日本に留学した。もう50年以上前になる。戦後間もない東京は慌ただしく、どこかうわついた風情であったが、古き善き時代の文化を忠実に残した歌舞伎座は、想像以上のきらめきをもってわたしを惹きつけた。
若女形の結城紅之介と出会ったのは、専門誌の依頼を受けて、外国人から見た古典などといった短文を書いたときだった。演目は「曽根崎心中」。おいそれとものにできる役ではなかったが、紅乃介は堂々と、かつ可憐に演じきった。若さもあったのだろう、わたしは現実とは思えぬ才能を前にし、興奮を抑えきれず、仕事にかこつけて、彼を誘い出した。
紅乃介は下戸であったが、勧めるとしかたなしに酒に口をつけた。素顔の頬を酔いで赤らめながら、わたしの熱弁に耳を傾け、ときおりぽつりぽつりと補足し、控えめながら芯のある自己主張をした。
わたしが彼に夢中になるのに、時間はかからなかった。幸いなことに、彼もわたしを受け容れてくれ、密やかな蜜月は約1年と半分ほどつづいた。
その頃にはわたしはすでに学業を修了していたが、無論、故郷には帰らなかった。未来永劫、紅乃介のそばを離れない心づもりであった。しかし、厳格な父は、ひとり息子がいつまでもアジアの小さな国で遊び耽っていることをゆるさなかった。
揉めているうちに母が倒れ、けっきょく、わたしは、日本を離れることとなった。名題の息子である紅乃介も、梨園の世界を棄てることはできなかった。泣き崩れる紅乃介を宥め、いっしょになって声をふるわせながら、必ずもどると誓った。その決心に嘘はなかったが、帰郷してすぐに母が病死し、約束を即座にまっとうすることが難しくなった。そうしているうちに1年がすぎ、2年がすぎて、はじめのうち頻繁にやりとりをしていた手紙もすこしずつ減っていき、ついには互いに音沙汰をなくしてしまった。
わたしは母校の大学で教鞭を取り、伴侶を迎え、子宝にも恵まれた。いつしか、紅乃介のことや、日本での記憶は薄れていった。
そして時は矢のように流れた。グラスゴーの実家に手紙が届いたのは、教授職を辞してしばらくしたときだった。妻を看取り、息子夫婦と孫たちのもとで世話になろうというところに舞い込んだ懐かしい名は、老いたわたしの胸を浮き立たせた。
若かりし頃に失った恋は、情熱の萎びた今でも、心の片隅に残っていたのかもしれない。
手紙の内容は、いよいよ引退を迎えるので、ぜひ観にきてほしいというものだった。よろこんでうかがうと返事を出し、わたしはひとり飛行機に飛び乗った。
茫然と立ち尽くしているわたしに向かって、若い女形は膝の前に指をつき、丁寧にお辞儀をした。
「結城紅乃介でございます」
着物の端から覗き見える真っ白の項にどきりと胸を高鳴らせながら、わたしはかろうじて足に力をこめた。
これは夢なのだろうか。わたしの目の前には、50年前とまるで変わらぬ紅乃介がいた。わたしは呼吸さえ忘れて、美しい役者の姿に見惚れた。
とんでもない顔つきをしていたのだろう。紅乃介は肩を持ち上げてゆったりと微笑した。
「わたくしは六代目。先代であります紅苑の息子でございます」
それを聞き、わたしはようやく我に返った。紅乃介が結城紅苑の名を襲名したという噂はもういく年も前に耳にしていたというのに、すっかり忘れてしまっていたのだ。
なんとか落ち着きをとりもどし、わたしは六代目の勧めに応じて、座敷に上がった。
「父は一寸はずしておりまして」
弟子に茶を命じてから、若き紅乃介はすこし甲高い声でいった。
「どうも、加減がよくありませんでね」
「お体の具合でも?」
六代目はそっとわたしに視線をくれた。
「長くありません」
だれもが知っているというふうな口ぶり。わたしは自分でも驚くほど冷静であった。手紙を受け取ったときから、薄々覚悟していたのだろう。
「紅乃介の名で手紙を寄越したのは、おそらく、父なりの感慨があってのことと思います。いらしてくださり、ぼくからも、感謝申し上げます」
こんどは小さく首を傾げるようにして一礼した。そんなこまかいしぐさすらも、記憶のなかの紅乃介そっくりである。もし、今、彼が着物の袂を揺らしながら、「いやだなあ、ジョセフ。冗談だよ、冗談。またそんなに簡単に騙されて」と笑いでもしたら、信じてしまいそうなほど、六代目はかつての恋人に瓜二つであった。
「父は先生を尊敬していたようでした。お写真、今でもうちに飾ってあります」
さすがにわたしたちの関係について疑いを抱いてはいないらしい六代目は、端整な顔をわずかに歪めて、鏡を向いた。
「最後の舞を、どうしても先生に見てほしかったのでしょう」
「旦那さまは、どちらに……」
声が掠れた。六代目は遠くを見るような目つきでわたしを見た。
「奥でやすんでおります」
「舞台はだいじょうぶなのですか」
これは不用意な質問であった。六代目は機嫌を損ねたようではなかったが、心配は無用であると微笑んだ。
「幕が上がれば、19の娘に変わります。お客様にはもちろん、内の人間にも、情けない姿は見せないのが、一流の役者というものです」
澱みのない口調だった。おなじような台詞を、若い恋人の口から聞いたことがあった。紅乃介の50年間がどんなものであったかは、目の前の青年が体現している。わたしは胸が詰まるような思いであった。
「どうぞ。ご案内しましょう」
「いいえ、それには及びません」
腰を浮かせようとする六代目を制した。
「会ってやってください。父も喜びます」
「さきほど、あなたも仰った。彼が紅苑の名をつかわなかったのは、単に昔を懐かしんだだけではないでしょう」
六代目は不思議な目でわたしを見据えた。責めるような口調でいった。
「お帰りになるので?」
「とんでもありません」
彼は舞台で、わたしは客席で再び会う。50年の月日を経て、わたしたちの意識はひとつになっていた。
「鏡獅子」は素晴らしいできばえであった。六代目結城紅乃介の演じる弥生は愛らしく、上品で、観客を虜にした。結城の若旦那は本当にすてきねえ。隣の席の若い女性が、蕩けるような声で呟いた。
近松門左衛門の「曽根崎心中」は、梅田・曽根崎の露天神の森で情死した醤油屋の手代徳兵衛と、遊女のお初の悲恋の物語だ。奉公からもどった徳兵衛は、信頼していた身内や親友の手ひどい裏切りに遭い、絶望して、死を決意する。ふたりは手に手をとりあって、互いに命を絶つ。
もしもあのとき、すべてを棄てて紅乃介……いや、梧郎とともに生きる道をえらんでいれば、今頃どうなっていただろう。考えてもどうしようもないことに思いを馳せながら、わたしは開演のブザーを聞いた。
囃子の軽やかな音色とともに、幕が上がった。絢爛な朱色の衣装に身を包んだ大名題の真女形、結城紅苑が、純白の舞台にその姿をあらわした。
おわり。
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