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5.
「篠崎くん。どうだった? 月は」
帰りのリムジンの中で、神楽が俺の顔色を窺うように聞いてきた。俺は素直に感想を伝えることにする。
「住むには適さない環境だったな。でも」
「でも?」
「たまに来る分には、いいと思った」
そう言うと神楽は目尻を下げて「だよね!」と笑った。
月に降り立った後、出迎えてくれたのは餅をついているウサギだった。ギロリと鋭い眼をしたそのウサギは俺を見て、つきたての餅を一口にちぎって不愛想に渡してきた。戸惑う俺に月の使者が「歓迎しているのですよ。毒は入っていませんから、安心していただいてください」と言うので、ありがたくちょうだいした。もちもちしていて普通においしかった。
知っていたけれど月の表面は本当に凸凹していて、歩くのに苦労した。散歩みたいに神楽と2人で月の表面を歩きながら、月についていろいろなことを教えてもらった。
「月ってね、住みにくいんだ。無重力だし、宇宙から放射能が降り注ぐし、隕石だって大気がないからすごいスピードで飛んでくる。でも、星がめっちゃきれいに見えるんだよ。ほら、見てみてよ」
下ばかり見ていた俺は神楽に促されて天を仰ぐ。そこには地球から見る星の数よりも明らかに多い量の光がポツポツと浮かんでいた。
「うわ……」
あまりのきれいさに絶句する俺。神楽は歌いだしそうな声色で続ける。
「月と太陽の位置によってはね、真っ暗な宇宙に青白い地球が細長く見えたり丸く見えたりしてとっても神秘的なんだ。それに、太陽が当たらない部分も暗い中で都市の明かりがオレンジ色に輝いて見えて、これもまた幻想的なの。まぁ今日は満月だから青白くは見えないんだけど」
言われて今度は地球を見てみる。確かに青白くはなかったが、オレンジ色の優しい明かりが眩しいほど輝いて見えて、見惚れてしまった。
「地球にいるとさ、月が恋しくなるんだよね。逆に月にいると地球が恋しくなって、両方を行き来しちゃうの。月に行けば地球の素敵さが見えて、地球にいれば月の素敵さが見える。月と地球、どっちも好きだからさ。かぐや姫との血の繋がり関係なく」
なるほどな、と思った。確かに月に来れば地球の良さがわかるし、地球に帰れば月の良さがわかって恋しくなるのだろう。
「満月のときにしか月の使者は迎えに来ねぇの?」
「ううん。呼べば来てくれるよ。だから、行きたくなったらいつでも来れるんだ」
「ふぅん……」
神楽のことを初めて「うらやましい」と思った。地球から見る月もいいけど、月から見る地球も悪くない。住むのは難しそうだが、ときどき来る分にはいいかもしれない。
それに月で神楽とセッションしてみたい。音が鳴らせるのかは甚だ疑問だが、神楽のフルートと俺のトランペットであの無愛想だったウサギの顔を綻ばせたい。
地球に帰るとき、ウサギが無言で10個ほど餅の入った袋をくれた。満月型の手作りの餅。
リムジンの中でフライ・ミー・トゥー・ザ・ムーンを口ずさむ神楽に、俺は言う。
「また連れてってよ、月」
彼女はふと音を止め、俺の目をのぞき込んだ。
「いいけど、結婚したらしょっちゅう行けるよ」
「……ん?」
「だから、あたしと結婚したら、月に行き放題!」
「ばっ……」
なんの恥じらいもなく「あたしの名前は神楽弥恵です」と言うみたいに当たり前のように口にした言葉に、俺の方がたじろいだ。
なに言ってんだコイツ。自分にとっては故郷みたいな場所に帰って気が狂ったのか。
「んふふ。月に帰るときはまた誘うね」
「お、おう……」
冗談なのか本気なのか、神楽の考えていることは全く分からん!
でも月に行く前と行った後で、確実に神楽を見る目が変わっているのは分かる。
「篠崎くん、見て! 地球が見えてきたよ!」
まるで初めて地球を見るかのような反応に、俺は「しょうがねぇな」と呟いて、近づく地球を一緒に見下ろした。
END.
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