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「みんなで海に行こうよ!」
そんなメッセージがスマホに届いたのは、夏もあと一週間で終わる、蝉の声がうるさい朝だった。
僕らは海辺の町に住んでいる。だから、海が近くにあるのは当たり前。放課後にぶらりと立ち寄ることだって出来る。
けれど、というか、だからこそ、夏にみんなで予定を立てて海に出掛けるというのは、少し特別なことだ。
「花火とかやろうよ!」
「いいね」
「じゃ、俺バケツ持ってくわ。火消す用の水入れるやつ」
「海水で直接消せば?」
「だめでしょ。環境破壊」
「そう?」
画面に送られてくるメッセージはあっという間に流れていって、ほんの数分前のやり取りも、少し目を離した隙に付いていけなくなりそうだった。
「いついく?」
「うーん、あさってとか」
「それぐらいがいいかな」
「え、待って宿題終わってない。手伝って」
「嫌だわ。じぶんでやれ」
「どんまい笑('ω')ノ」
みんなとのやり取りが一段落して、僕は机に向かう。
開けたカーテンの向こうから、日差しが部屋へ入り込む。明後日か。僕もそれほどではないけれど、まだ残っている宿題はある。ぼうっとしていると夏休みなんてあっという間に終わってしまう。今のままではいけない。早く終わらせなければ。
ふう、と息を吐いてから、集中するように目を細める。
……終わるか? これ。
***
当日は、昼過ぎに海へ直接集合することになった。自転車でも行ける距離。人によっては歩いて行くことができるくらいに近い。
夏と海は青春の代名詞みたいなところがあると思っている。恋愛小説やドラマでも、たびたび登場するし。
けれど、あまりにも身近にあると、え、うん。海だね。ぐらいの感想になってしまうものなのだ。だからこうして、あえて待ち合わせしてみんなで遊ぶというのは結構楽しかったりする。
「宿題終わった?」
僕は自転車を押しながら、途中で合流したTに聞いた。
「バッカ終わってるわけないだろ」「あー、やっぱり」「やっぱりって何だよ」
いつもみたいに茶化し合いながら歩く。
「お前こそ終わったのかよ」反撃のつもりか、Tが聞いてきた。
「うん、ぎりぎりだったけど」「うえーマジかよ」「マジ」
話していると、ヒグラシの声に混じってバタバタと足音が近づいてくる。この騒がしい足音は。
「やー、久しぶり!元気!?」Kさん。やばいぐらい元気なアグレッシブガール。水平線の向こうまで響き渡りそうな足音は、今日も彼女が元気であることの証明である。アスファルトの上で、ダカダカとブレーキをかけるその音は、脚のクッションというクッションを、これでもかと傷めつけていそうで思わず心配になる。
ちなみに、彼女が背負っているリュックサックの中には、これでもかというほど花火が詰まっている。彼女自身が、リュックサックに詰められた花火を写真に撮って、みんなに共有していた。それに対するTの感想は「これに一気に火つけたら宇宙まで飛べんじゃない?」だった。ちょっと行けそうだな、と思った。
「まじ宇宙行けるだろ」「うっさいなー」「ははは」
三人で話しながら歩く。こういう場合、僕はとりあえずははは君に徹する。読んで字のごとく、ははは、と笑って会話全体のバランスを取る役割である。
そのまましばらく歩いて、いつもの階段の前まで来る。
「お待たせー!」Kさんは砂浜へと続く階段の上から、下に向けて大きく手を振る。下には二人、SさんとA君。あらかじめ準備をしてくれている。ビーチパラソルに、水を入れるタイプの重り。その下にはブルーシートが敷いてあり、端を何か所かペグで留めてある。Kさんの声に反応して二人が振り返る。A君は手を上げて応えて、Sさんは手を振る。
***
「いやー待たせたね」とKさん。リュックサックをビニールシートの上に下ろす。
「本っ当! どれくらい待ってたと思う?」おふざけ十割の怒った声でSさんが言う。
「五分」
隣のA君が一言、言った後でふはっと笑った。「大したことないじゃん」「ははは」
「とりあえず暑いでしょ? のど渇いてるんじゃない?」Sさんは言いながら、後ろに置いてあったカバンを何やらごそごそしている。
「あー、確かにのど渇いたかも」Tは言う。「何かくれるの?」僕。
「うん、いいものがある」カバンの中を探ったままの状態で、顔だけこちらに向けていたSさんの動きが止まる。
「あ、あった。これこれ」
彼女が取り出したのは、数本のストローだった。
「なにこれ?」
「まあまあ……」
Kさんの疑問に対してSさんは、とりあえず持って、というように、ストローを差し出す。僕らにも同じように渡されたため、受け取る。受け取ったままの体勢でじっとしていると、何やってるの、とSさん言った。
「え?」「何やってるのって?」
「吸うんだよ」当たり前みたいに彼女は言う。「「「何を?」」」僕らの声が揃う。
「空を」とSさん。
「……空?」
***
僕らは今、空を吸っている。
「へえーうまい」「なにこれ、サイダーとかみたいな」「雲の辺り吸うとクリームソーダみたいな味する」「マジ?」「マジ」
僕らが受け取ったストローは、吸った景色を飲み物に変えるものらしい。夏の空はサイダーの味だった。
"四人で並んで眺める夏の空"もいいけれど、"四人で並んで飲む空"もなかなか不思議でいいな、なんて思いながら、座っている。ビニールシートの下から伝わってくる砂浜の感触。風の温度と潮のにおい。
何となくだけれど、今感じた感情や、その手触り感はきっと、これからもずっと残り続けていくものなんだろうな、と思った。
花火の音。色の変化。弾ける火花。こんな風にバカ騒ぎできるのは、あと何回ぐらいだろう。笑い声が反響して、夏の夜空に染み込んでいく。
ドラマみたいにロマンチックに約束を語り合ったりはしないけれど、これはこれで僕らの人生だ。案外悪くないよな、と思う。
夏休みもそろそろ終わる。夢みたいな、日常から逃れるための休憩所みたいな日々が、もうそろそろ──。
***
目覚ましのアラームが鳴る。僕は夢から覚める。会社に行く準備を始めなければ。とりあえず歯を磨いて、朝食は昨日の残りでいいか。そう思いながら洗面台に向かう途中、見つけた。もともと、何に付いていたものか忘れた、未開封のストロー。
ふと、先ほどまで見ていた夢のことを思い出した。高校時代の、夏の終わり頃の思い出。懐かしい記憶に浸りながら、袋を破く。空に向けながらストローを吸ってみる。
もちろん空が飲めるわけもなく、はは、と笑いがこみ上げてきた。
何だか、ひどく自分が変わってしまったように思えて、すぐに笑いが引っ込む。
……久しぶりにみんなに連絡してみようか。元気にしているだろうか。
メッセージを送ると、思っていた以上にすぐに返事が来た。
「やー、久しぶり! 元気!?」「仕事終わったところ? 今度どっか行かない?」「花火する?」「また宇宙目指すの?」「うっさい。一回も目指したことないわ」
あの頃を思い出させる会話。今度は、自嘲的なものではない、懐かしさに喜ぶ笑いが、思わずこみ上げてきた。
「ははは」
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