6 ハゲを見られたら困ります

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6 ハゲを見られたら困ります

「そんなに慌てなくても、夜は長いよ?」 「今は、おてんとうさまが昇る昼です! 閣下、お願いします。髪結い師を呼んでください!」  教会で懺悔する人のように手を前に組み、懇願する。閣下はクスクス笑いながら、承知してくれた。 「分かったよ」  閣下はご機嫌で、部屋に髪結い師を呼んでくれた。宮廷専属の髪結い師は皇族ではないと会う機会がない。髪結い師、トレビス伯爵は黄金に輝く長い前髪が特徴的で、全体的にキラキラしている人だ。 「フッ、僕をお呼びかな☆」 「トレビス卿、来てくれてありがとうございます。髪が……ハゲて、しまったのです」  鏡の前に座って待っていると、トレビス卿は黄金の前髪をふさぁと手ではらった。 「子猫ちゃん、任せてくれたまえ。天才の僕なら、どんな脱色ハゲも隠せるよ!」 「よかった……」  トレビス卿はわたしの髪をしげしげと見つめる。 「ふむ。髪も傷んできたし、一度、染め粉を落とそう。お風呂に入ってくれたまえ」 「はい……あの、でも……」 「風呂なら用意する。手伝おうか?」  閣下がニコニコしながら、上着を脱ぎ出した。 「湯浴みは、ひとりでできるようになりました。大丈夫です」 「あ、そう……」  残念そうにする閣下に首をひねる。 「お風呂、お借りします」  わたしは閣下に敬礼して、風呂場に向かった。  脱衣所には大きな鏡があり、洗い立ての真っ白なタオルがワゴンの中に入っている。使わせてもらおう。  わたしは服を着たまま、浴室に入る。ふたつある蛇口ハンドルをそれぞれひねった。  片方からは水がでて、もう片方からは熱湯が出てくる。パイプから勢いよくお湯がでてきて湯気が立ち昇る。蒸気でメガネが曇った。  伊達メガネを外して、湯気のないところで振る。曇りが取れたらまた、メガネをかける。すると、またメガネが曇る。諦めて伊達メガネを外した。  お湯が溜まるまでしばらくかかるだろう。  脱衣所に戻り、ひっつめた髪をほどいた。鏡を覗きこむと、向日葵のような虹彩の瞳がうつりこんだ。 「顔色、よくなったかも……」  それなりに健康的な肌色に、時の長さを思う。保安隊に入ったばかりの頃から、閣下にしょっちゅう餌付けされたせいだ。 「閣下って、なんだかんだ言っても、優しいのよね……」  ぽつりとつぶやき、服を脱ぐ。顕わになった肩を確認した。  ここには消せない傷があった。閣下の手と同じ人工皮膚を覆いかぶせて、傷跡を隠す手術をした。その時かかった医療費が、わたしの借金だった。  皇后陛下の配慮で、無利子でお金を貸してもらえたけど、払い終わるのは当分、先だ。こつこつ返していくしかない。  次は全裸で浴室に戻る。蛇口ハンドルをひねって水とお湯をとめた。鉄製の浴槽に手を入れる。熱い。かなり、熱い。お湯と水が分離したままだ。まぜなければ。  桶で湯もみをして、ようやく入浴だ。たっぷりのお湯は贅沢品になってしまった。ここぞとばかりに堪能したいけど、染め粉で浴槽の水は焦げ茶になってしまった。残念。  キレイさっぱり染め粉を落とし、ある程度、髪を乾かす。しっとり濡れたままの髪で着替えた。 「お風呂、ありがとうございます」  部屋に戻ってくると、トレビス卿がわたしを見てわなわなと唇を震えさせた。 「神々しいッ! いつみても、完璧なサンシャインゴールドだね! この輝きを染めるなど、神を冒涜するようなものッ!」 「焦げ茶色に染めてください」 「ガッデム……!」  椅子に座って、トレビス卿に身を任せる。トレビス卿はしょんぼりしながら、見事な手さばきで染め粉を塗ってくれる。 「キレイな髪だよね。本当にもったいない」  閣下が名残惜しそうに、染めていない髪を一房、手にとる。形のよい唇が、わたしの髪に触れた。ちょっとドキドキする。 「ねぇ。これ、もらっていい?」  子犬がくーんと鳴いているような顔で言われる。ちょっとかわいい。 「リアの髪の毛を、ロケットペンダントの中に入れたいな。寝る前に見つめたい」  言われたことは、んんん?と首をひねりたくなるものだった。 「死者への哀悼みたいなので、おやめください」 「こんなにキレイなのに……」 「売り物ではありません」 「デュラン殿下! 髪の毛を引っ張らないでくれたまえ! 芸術的な僕の手元が狂う!」  トレビス卿に叱られて、閣下は名残惜しそうに髪の毛から手を離してくれた。  ***  脱ハゲから数日後。わたしは閣下と共に、帝都にあるドロシー嬢の屋敷に向かっていた。逮捕した結果を伝えるためだ。 「わたし一人でも大丈夫でしたのに」 「ダメダメ。リアを守るのは俺の役目だよ? 誰にも譲れない」 「どなたと張り合っているんですか」 「勿論、生きるすべての男どもと」 「言葉が重いし、ちょっと怖いです」  真顔になった閣下に嘆息する。過保護なのだから。 「天気が怪しいね」  空を見た閣下につられて、上を向く。厚い灰色の雲が空をおおっていた。 「雨が降りそうですね……」 「降られる前に急ごうか」  閣下がひょいとわたしを小脇に抱えた。そして、猛スピードでダッシュする。  なるほど。この態勢か。歩くよりは確かに早い。前を走っていた乗り合い馬車を追い越したので、とても早い。  早いけど、乗り心地は最悪だ。  わたしは慌てて鞄を握りしめる。 「か、かかかっ! 閣下! 鞄が、おおお、落ちますっ!」 「うーん。この場合、なぜ横抱きにしないのか?と、つっこんでほしいんだけど」 「しょ、しょしょっ、しょるい! 書類があ! ドロシー嬢にお渡しする! 書類ぃぃぃっ!」 「リアは真面目だからなあ」  のほほんと笑う閣下にガクガク揺さぶられながらも、かなり早くドロシー嬢の邸宅に着いた。 「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」  息を切らせながら、邸宅の門の前にたつ。ひっつめた髪が乱れている。手ぐしで整えなければ。鼻先までズレた眼鏡を直して、ちらりと閣下を見たが、汗ひとつかいていなかった。 「……閣下って、人間なのでしょうか?」 「リア。疲れて、心の声がダダ漏れになっているよ」  くすくす笑う閣下に、失言だったと気づく。 「申し訳ありません。あまりにも人間じゃなかったので」 「俺は汗をかかないんだよ。人間じゃないからね」  確かにビジュアルは、ヴァンパイアっぽい。けれども、なぜだろう。閣下は笑っているのに、寂しそうに見える。 「イケメンだから汗をかかないのですね。納得しました」 「えぇっ、それで納得するんだー」  閣下は腹を抱えて笑い出してしまった。その瞳には寂しさが残っていない。上機嫌になったみたいだ。つられて、わたしまで笑ってしまう。 「ベルを鳴らしますよ」 「どうぞ」  わたしは鞄を握りしめて、邸宅のベルを鳴らした。
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