8 遠雷が聞こえる

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「セリア・フォン・ポンサール公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄する! 理由はわかっているな!」  壇上で叫んでいるのは、わたしの婚約者であり、サイユ国第二王子のブリュノ殿下だった。彼の背後には、男爵令嬢のリリアンがいる。怯えた様子でわたしを見ていた。  ここは王宮の審問室だ。玉座は空席で、ブリュノ殿下が陛下の代理のように立っていた。 「貴様がリリアンに贈った本が爆発した! 侍女が身代わりになったからよかったものを……リリアンはあやうく失明する所だったんだぞ……!」  ブリュノ様がこめかみに青筋を立てながら、贈り物に添えられたメッセージカードを床に投げ捨てた。  カードの差出人には、わたしの名前がある。ひらりと舞った紙を見て、わたしは目を開く。――違う。わたしではない。 「わたくし……セリア様に贈り物をいただいて、本当に嬉しかったのに……」  震える声でリリアンが訴える。ブリュノ殿下が痛々しそうにリリアンを見つめ、彼女を抱きしめた。そして、わたしをキッと睨む。 「おおかた、リリアンと俺の関係を疑ったのだろう。何度、言えばわかるのだ! 俺とリリアンは良き友人であり、貴様が想像するような関係ではない! この犯罪者に今すぐ烙印を押せ!」  衛兵が鉄の棒を持ってくる。先が熱せられた棒は、不気味なほど赤くなっていた。  ――いったい、何が起きているのか。  爆弾入りの贈り物など知らない。  わたしではない。  そう言いたいのに、全身が震えてしまい、声が喉から出てこなかった。  すがるように殿下を見ても、彼の瞳の中には、わたしはいなかった。ひとかけらの信頼もない憎悪の瞳だった。  その目を見ていたら、足元にあった薄氷がパリンと割れて、途方もない闇へと落ちていくような気がした。  そこまで恨まれるほど、わたしは信用されていなかったのか。  彼と出会い、婚約者として過ごした七年間。  育んだと思っていた彼との信頼関係は、すべて幻想だったということか。  いつから、こうなってしまったのだろう。  ブリュノ殿下とリリアンがふたりっきりで会っていることは知っていた。宮廷の庭でふたりがいるところを見かけたことが度々、あったのだ。  リリアンは一年前、功績を認められ王宮入りした植物学者の娘だ。病気がちな陛下の薬を作ると期待されて、研究所が宮廷の庭にある。リリアンは父親に連れられて宮廷入りをしたのだった。  ふたりが見つめ合うところを遠くから見たことがある。リリアンに対してブリュノ殿下が微笑むたびに、気持ちがざわついた。  あの眼差しを向けられる相手はわたしだったのに。リリアンと出会ってから、ブリュノ殿下は、わたしを見なくなった。  それが寂しくて、彼女との時間を減らすように殿下に言ったこともある。だけど、ブリュノ殿下はわたしを狭量だと一蹴した。  ――俺が誰と会うかは、俺が決める。お前が口出しすることではない。  彼は一度、怒り出すと手をつけられない所があった。わたしは怒らせたらまずいと思い、すぐに謝った。  ――申し訳ありません  そう言うたびに、心がすり減った。  それでも、彼の婚約者として、ゆくゆくは王子妃として。王太子殿下を支えて、ふたりで歩んでいくものだと思っていた。いや、思い込もうとしたのかもしれない。そうでないと、あまりに惨めだ。  親が決めた関係だから――と、割り切れればよかった。  でも、わたしは彼に「いつか」を期待してしまったのだ。  いつか、花のほころぶ中庭で、彼とお茶を飲める。  いつか、彼に送った手紙の返事がくる。  いつか、彼がわたしを見てくれる。  いつか、はにかむような笑顔を向けてくれる。  いつか、いつか、いつか。  今は無理でも。いつか、きっと――  彼の中で、わたしが消えたと知っていたのに。  見ないふりをして諦めながらも「いつか」を望んでいた。  いつか、なんて来るはずなかったのに。  馬鹿みたいだ。  涙もでてこない。 「――お待ちくださいっ!」  茫然とするわたしの耳に兄の声が聞こえた。同僚に押さえつけられていた近衛騎士の兄が、わたしの横に駆け寄ってきて、跪く。 「リアは殿下の心に背くようなことをしません! 何卒、何卒、よくお調べくださいっ!」  頭を深く下げた兄に殿下が近づいた。硬質な靴音が響き、兄の前に立った。ブリュノ殿下は兄を見ると、兄の手を靴で踏みにじった。兄の顔が苦痛に歪む。 「アラン……俺は発言を許可していないぞ」 「っ……不敬は承知の上……ですが、リアは犯罪などできない子です!」 「俺の周りで爆弾を仕掛けたこと自体が腹立たしいのだ。これは見せしめだ」 「ならば責任は私たち近衛にあります!」  兄はブリュノ殿下に懇願し続けた。 「王太子殿下が戻ってくるまで、裁きはお待ちください……!」 「黙れ! 父上が病に倒れ、兄上が不在の今、俺が陛下の代理だ。焼きごてを!」 「お待ちください!!」  兄がブリュノ殿下を止めようとして、近衛兵に殴られる。無抵抗な兄がボロボロになっていく姿に、視界が涙で歪んだ。 「にいさまっ! おやめっ……もう、おやめくださいっ……」  近衛兵に髪の毛をつかまれ、無理矢理、服を引き裂かれる。顕になった自分の肩にゾッとした。 「やめろっ!離せッ!」  兄が近衛をふりきって、駆け寄ってくる。  ――ああ、ダメだ。これ以上は。兄まで、処断される。 「にいさま、だいじょうぶ、です」  震える唇を動かして、無理やり笑みの形を作る。次の瞬間、焼印が肩に押し付けられた。  痛くて、喉から絶叫が出そうになる。けれど、下唇を噛み締めて耐えた。 「だいじょうぶ、です……から……」 「リア、リアッ……やめっ……ちくしょおおおお!!」  兄は猿ぐつわを付けられ、また殴られてしまう。痛みに耐えきれずに、わたしは気を失った。  消えゆく意識の中、満足そうに笑うブリュノ殿下とリリアンの姿が見えた。
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