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11 悔しいだけの日々とは、お別れしましょう
ブックマンのことは、保安隊の記録を読んで知っていた。
3年前。当時、帝国は機械化が進んで、大量生産時代に入っていた。外国からの労働者も増え、その分、熟練した技術者たちは職を失った。
深夜遅くまで働かされ、労働条件は過酷だった。そして、とうとう労働者により、暴動が起きた。労働環境を変えないと、機械を壊すと脅したのだ。
暴動そのものは小さく、保安隊によって鎮圧された。その後、各地で同じような暴動が起きて、陛下は領主へ呼びかけ、労働者と話し合う場を設けさせた。労働組合というものができたのは、ここからだ。
一度、沈静化した暴動だったが、今度は機械ではなく、機械を発明した人が狙われるようになる。
最初に狙われたのは、蒸気機関車の発明に携わった人。
その人の邸宅に郵便物が届いた。差出人不明の小包の中身は、ベストセラーとなった書物。本を開いた途端、爆破し、彼の妻が手と顔に傷を負った。
通称、ブックマンと呼ばれる爆弾魔の手口は、本を使うところにある。本の中身をくり抜いて、その中に起爆装置とガラス細工を入れるのだ。爆破と同時にガラスの破片が飛び散り、顔にけがを負い、最悪、失明するという悪質なものだった。
そう。わたしが贈ったと言われた爆弾と、ブックマンのものは酷似していたのだ。
「サイユ王国で……ということは、もしかして、わたしの罪は……」
「残念だけど、リアの想像しているものとは違うよ。一週間前、サイユ王国で爆破未遂事件が起きたんだ」
「え……? 爆破未遂って……どういうこと……ですか?」
「王太子妃――姉上のお茶会で、本の形をした爆弾が見つかったんだ」
「マーガレット様のお茶会で……ですか……?」
「うん……いち早く爆弾を発見したのは、近衛のアラン・フォン・ポンサール」
兄の名前だ。兄は近衛の仕事に復帰できたのだ。
毎日、サイユ王国から出される新聞を読んでいたけど、兄の所在は不明のままだった。
ほっとしたいのに、閣下の顔を見ると嫌な予感がする。
「一年前、妹が爆弾を仕掛けたことが引き合いになって、アランは王太子妃殺害未遂事件の容疑者として逮捕され、取り調べを受けているよ」
――悪夢だ。
淡々と言われた出来事に、言葉が出てこない。
小刻みに体が震えだす。
怒りなのか。絶望なのか。腹に渦巻く感情に名前が付けられない。
吐き気を感じながらも、頭をフル回転させて、言葉を紡ぐ。
「……アラン・フォン・ポンサールには……マーガレット様を殺害する動機が……ありません……」
「……一年前、妹を追放された恨みによっての犯行だってさ」
「そんなこと、あり得ません‼」
かっと脳天に血が昇った。
「アラン・フォン・ポンサールは王太子殿下の治世を支えるために宮廷にいるのです! マーガレット様を守ろうとしたに決まっています!」
ふり絞るように叫んでも、閣下の瞳は冷えたままだ。全てを逃さず見通すような紅い瞳が、現実の残酷さを教えてくれる。悔しくて、目頭が熱くなってきた。
「……閣下はブックマンとアラン・フォン・ポンサールが同一人物だと言いたいのですか? それはおかしいです。アラン・フォン・ポンサールは帝国に留学しておりますが、ブックマンの活動時期と被りません」
「うん。そうだね。俺もアランがブックマンだとは思っていないよ。アランの髪色は目立ちすぎるし、彼は正義感にあふれているからね。テロはできない」
ふっと微笑した閣下に、怒りが沈静化していく。そうだ。閣下と兄は知り合いじゃない。
「……申し訳ありません。先走りました」
「いいよ。俺も憤りを感じているからね。姉上が巻き込まれた以上、帝国も黙っていられないんだ。それで、保安隊の出動だ」
閣下は珍しく役職で、わたしを呼んだ。
「アメリア・ウォーカー三等保安士。サイユ王国で、ブックマンを確保する。付いてくるかい?」
わたしはすぐに敬礼をした。
「行きます。デュラン保安監」
兄が容疑者になったままなど、納得できない。
敬礼をしたままじっと待っていると、閣下は試すような眼差しでわたしを見た。
「……リアはさ。セリア・フォン・ポンサールとして王国に行きたいの? それとも、アメリア・ウォーカーとして?」
「……私情は挟むな……ということですか?」
「そう捉えてもらっていいよ」
そんなことを言われても、今のわたしには私情しかない。それでも、わたしはもう帝国人であり、保安隊なのだ。
「アメリア・ウォーカーとして、ブックマンを確保します。ブックマンが王宮内にいるなら、わたしは閣下のお役に立てます」
敬礼を崩さず言うと、閣下はぼそりと呟いた。
「自ら志願するんだ……リアは強いね。見てて痛々しいよ」
聞こえた言葉の意味が分からなくて、わたしは首をひねった。
閣下は嘆息すると、不意に右手をわたしの後頭部に回した。
閣下の胸に、顔を押し付けられる。
左手はわたしの背中に回り、よしよしされた。
「……閣下、何をしていらっしゃるのですか?」
「リアが泣くのを耐えているから。泣き顔、見られたくないんでしょ?」
優しい声が頭の上からふってきて、不覚にも涙がこぼれ落ちた。
「……泣きませんっ」
「うんうん。そうだね。誰も見ていないから、泣いていいよ」
「泣いて……ませんからっ」
「わかっているよ」
「鼻水が制服に付いても知りませんよ!」
「ははは。ご自由にどうぞ」
叫んでみたけど、閣下のよしよしは止まらない。
今は優しくしないでほしかった。
涙が止まらなくなる。
「閣下……悔しいです……」
「……なにが、悔しいの……?」
「自分の無力さが!」
すがるように閣下の制服を握りしめた。
いくら帝都で保安隊をやっていても、王国には手が届かない。
――あの時と一緒。
わたしは反論もできずに、大切な人がボロボロにされる姿を見ているだけだ。
「……そんなことはないでしょ……リアは保安隊として容疑者を逮捕してきたよ」
「そうですがっ……でも」
「でもはナシ。サイユにいるのは人を欺く犯罪者どもだ。俺も三年前に騙されたしね……」
閣下が抱擁を緩めて手を離した。涙でぐちゃぐちゃな顔を上げると、閣下の笑い顔が見える。
いつもの冷笑だ。ぞっとするほど美しくて、怒りに満ちたもの。
「犯罪者は証拠を突きつけて、追い詰めてやればいいんだよ。いつものやり方だ」
「証拠を……」
「奴らが人を欺くなら、その上をいってやろうか。苦渋をなめた分は、きっちりお返ししないとね」
余裕な態度の閣下を見ていたら、涙が止まっていた。
なぜだろう。閣下がいれば、怖いものは何もない気がする。
わたしは制服の裾で涙をふきとり、敬礼をした。
「閣下に付いていきます」
ただ悔しいだけの日々は、おしまいにしよう。
わたしは保安隊として、サイユ王国の地を再び踏むことになった。
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