14 もう動揺しません

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14 もう動揺しません

 サイユ王国へ向かうため、蒸気船で出航した。晴天の中を船が進む。甲板に出ると、嵐の中とは全く違う風景が見えていた。  海を見ていると、船長たちのことを思い出してしまう。あれから、船長たちはどうなったのだろう。無事にポンサール領まで戻れたのだろうか。  すべてが終わったら、船長たちの様子を知りたい。  戻れなくなった領地の人々のことを思っていると、わたしの隣にペーターさんがやってきた。  ペーターさんも保安隊としてブックマン確保の一員だ。彼は今、トレードマークともいえる深紅の制服を着ていない。近衛の服だった。 「海、好きなんですか?」 「え?」 「じっと見ていたので」  何気ない言葉に、苦笑した。 「海は……あまり、好きじゃないかもです」 「そうですか」  ペーターさんはそういうと、真顔で黙ってしまう。 「どうかしましたか?」 「いや、キレイな髪だな、と思って」 「え?」 「アメリアさんって髪の色を染めていたんですね。あと、メガネもしなくていいんですね」 「あ……はい……」 「元の髪色の方がいいですね。今の服装にもぴったりだ」  染め粉は落としていた。伊達メガネも外した。服装は保安隊の制服ではなく、デイ・ドレスだ。  白い生地に金色のアラベスク模様が刺繍され、ウエストは高くベルトで締めていた。閣下の指示で、こんな格好をしている。 「そうですか……? ありがとうございます」 「いえいえ。胸の大きさが強調されているデザインは官能的ですし、実に閣下好みの装いだな――いでっ」 「ははは。ペーターくん。おしゃべりが過ぎると、舌を引きちぎるよ」  ペーターさんの背後に瞬時に閣下が現れた。閣下はザ・王子様といった印象の服だ。ロイヤルオーラがこれでもかというぐらい出ている。  ペーターさんは背中を手で摩りながら、真顔で言った。 「閣下が巨乳好きだって、みんな知っていますけど?」 「はははっ。ほんと、黙って」  なるほど。閣下は巨乳好きらしい。わたしは体に自信がないのだけど、閣下好みのサイズなのだろうか? ちらりと自分の胸を見て、はっとする。  仕事前に何を考えているのか。気が抜けすぎだ。  雑念を振り切り、今回の計画を思い出す。  ブックマン確保の一手として、まずわたしたちは王太子殿下に捜査協力を要請する。弟である閣下が、マーガレット様へ訪問すると見せかけて王太子殿下と密談予定だ。 「あ、陸が見えてきましたよ」  ペーターさんの声に前方を見る。見えた大陸に、心がぎゅっと締めつけられた。懐かしくて、苦しい。生まれた大地に、わたしは戻ってきた。  ***  宮殿に着くと、王国に滞在する帝国大使が、転がるように走ってきた。まるまる太った方なので、ボールが弾んでいるように見える。 「デュラン殿下! お待ちしておりました」 「出迎えご苦労。さっそく、姉上に会いたいんだけど?」 「あっ……は、はいっ。では、マーガレット王太子妃殿下に伝えますので、部屋でお待ちください」  大使は額の汗をハンカチで拭きながら、部屋へ案内してくれる。ちらちらとわたしを見て、気にしていた。 「あの、デュラン殿下……その方は……」 「俺の部下だよ。何か気になるの?」 「ああ、いえっ……知っている方によく似ているので……」 「そうなんだ。不思議だね」 「あ……はい」  迫力のある笑顔になった閣下に、大使は背中を丸める。大使はわたしと面識があるので、セリア本人なのか疑っているのだろう。  廊下を歩いていると、使用人や近衛も、わたしを見て「え? え? 本物なの?」という顔をしている。ちょっと面白い。  動揺やひそひそ話を聞きながら、部屋にたどり着いた。一階の客間だ。 「では、こちらでお待ちください」  大使は礼をすると、客間の扉を開いた。すると、こちらに歩いてくる人物が見える。  ――え……嘘……  現れた人に、目が釘付けになる。心臓が鷲掴みにされたみたいだ。柔らかい膜に爪を立てられ、痛みで呼吸が止まりそうになる。  部屋に向かってきたのは、元婚約者ブリュノ殿下だった。  刈り上げた短髪に鋭い眼差し。鋭利な刃物のような顔立ちをまともに見たのは、遠い昔のことだ。叱責されるのが怖くて、うつむくことが多かった。  わたしを信じず、わたしを流刑した人。  彼と目が合う。ヘーゼル色の目がわたしを捕らえた時、耳の奥がキンと鳴った。  彼の瞳は、信じられないものでも見たように大きく見開かれた。 「ブリュノ殿下?! どどど、どうなされたのですかあ!!」  大使の甲高い声に、我に返る。ブリュノ殿下は大使に向かって、顔色を変えずに言った。 「サイユの使者が来たと聞いたので、私も挨拶にきたまでだ」  低く高圧的な声に、心臓の音が大きくなる。そっと息を吐いて、緊張を腹から追い出すと、閣下がブリュノ殿下に近づいた。  閣下の背中が、わたしの視界からブリュノ殿下を隠す。 「わざわざお越しいただけるとは光栄です。デュランです」 「お噂はかねがね伺っています」 「ははは。よい噂だとよいのですが」  閣下は明るく笑い飛ばし、額から汗が止まらない大使に声をかける。 「姉上の容態が気になるから、やっぱり部屋に直接、行きたいんだけど」 「ひぇっ?! そ、そそそ、そうで、ございますね! いや! 気が利かなくて申し訳ございません! すぐに手配しますので!」  そう言って大使は転がるように、部屋から出ていく。閣下はブリュノ殿下に、話しかけた。 「そういう訳なので、退室させて頂きます」  礼をして、わたしたちの方を向く。閣下の紅い瞳はとろけたように優しかった。 「二人とも行こうか」  こくりと頷き、閣下の後ろに付いて部屋の扉の方に歩きだす。  じっとりと見定めるような視線を感じる。ブリュノ殿下と目を合わさず礼をすると、「君」と、呼び止められた。びくりと体が大きく震える。 「俺の部下に何か?」  閣下が代わりに答えると、ブリュノ殿下の視線がわたしに集まる。 「彼女は……?」 「俺の部下ですよ。彼女は優秀で、いつも助けられているんです。な、ペーターくん」  不意に話を振られたペーターさんは、大きく頷いた。 「アメリアさんがいないと閣下はダメダメのダメですね」 「ははっ。その通り」  愉快そうに笑った閣下にポカーンとする。ブリュノ殿下も意表を突かれたように沈黙した。 「では、今度こそ失礼します」  そう言って、閣下はわたしに微笑みかけてくれる。優しい笑顔にほっとして、じわりと目頭が熱くなった。情けない。  ドロシー様には、過去にできたと言ったのに。  いざ、本人を目の前にしたら、こんなにも震えている。あの言葉は、本当に言葉だけだ。わたしは過去に囚われて進めていない。それは、すごく嫌だった。  部屋から出てブリュノ殿下から遠ざかった時、わたしは両の頬をパシンと叩いた。気弱な自分を振り払いたかった。  閣下とペーターさんは、ぎょっとした顔になっていた。 「すみません。動揺しました。でも、もう大丈夫です」 「そんな肩肘張らなくてもいいのに……俺は殴りたくなるのを堪えるので必死だったよ」 「……え?」 「あー、閣下の左手ガタガタしていたもんね。オレ、殴りだすんじゃないかって、ハラハラしました」  ペーターさんが淡々と答えると、閣下が笑う。 「殴っても、止めないくせに」 「そりゃ、止めませんよ。乱闘になったら、加勢します」  フッと笑みを落としたペーターさんに、閣下は大笑いだ。つられて、わたしまで少し笑ってしまった。 「ふたりがいると、心強いです」  そっと、吐き出すように言うと、ふたりは笑顔を返してくれた。
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