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3 使ったお金は返しましょう
「全て息子が勝手にやったことだ……! 息子とは縁を切る! 情状酌量して頂きたい」
「父上……何を……私を見捨てるのですか?!」
「えぇい、黙れ! お前のせいで、我が家から炭鉱行きを出してしまったのだぞ! 恥さらしが!」
マーカス伯爵がデイビットに怒鳴る。屈辱に歪んだマーカス伯爵の顔を見て、わたしの心はスンと冷えた。
――今さら、なにを。
マーカス伯爵は、息子の浮気を見過ごしていた。それは、資産家と縁を切っても、援助が見込めると計算したのだろう。
シャロンの家は夫人が投資して、経済的に潤っていたのだ。
「縁を切るなら役所へお届けください」
「あぁ……そうさせてもらう!」
「でもマーカス伯爵には、違反金7000万ベルクが請求されますが」
「なっ……?! ななな、7000……!!」
「学生の婚約は保護者の同意がなければできません。今回はマーカス伯爵家の一方的な婚約破棄ですので、伯爵家には援助金の返還が求められます」
マーカス伯爵が口をポカーンと開ける。魂が天に昇っているような顔をしていた。
「きゃあ! 奥様っ!」
「気付け薬を!」
伯爵夫人は気絶したようだ。ほっとこう。
わたしは小刻みに震えるシャロンに声をかける。
「ミス・シャロンは保安隊事務局へ」
「えっ……わ、わたくしも……ですか……?」
「当然です」
「な、なんでっ! わたくしはただデイビット様と親しくしていただけで……っ ドレスだって、買ったのはデイビット様でっ」
シャロンの瞳がうるみだす。顔を覆って泣き出した彼女は、悲劇のヒロインのよう。しおらしい態度でデイビットを落としたのかしら。
「あなたは詐欺ほう助罪に問われております。慰謝料を支払わなければなりませんし、支払えない場合、炭鉱行きになるでしょう」
「そ、そんな……」
「すべて帝国法62条に明記してあります。法の学びは、基礎学習だと思いますし、学園で習いましたでしょう?」
ガクガクと震えだしたシャロンに教えてあげた。
「結婚を約束したふたりを破談させておいて、なぜ罪に問われないと思ったのですか? 婚約は、婚姻関係と同じですよ?」
愕然とするシャロン。その場は、水を打ったように静まり返った。反論はないようだ。では、さっそく3人を拘束しようとしたら、不意にデイビットが、ひきつった笑い声をだした。
「は、はははっ……こんなの間違いだ……ありえない……!」
デイビットは渡した書類をすべてぐしゃぐしゃに握りつぶした。そして、丸めた紙をわたしに投げつける。幼稚な、八つ当たりだった。
プライドの高そうな彼は、保安隊の中で最も弱そうな相手を選んで、憂さ晴らしをしようとしたのだろう。狙われたのは、わたし。制服を掴まれそうになる。
――あ、まずい。殴られるかも。
「俺の部下に手を出さないでね」
デイビットの暴挙に、今まで沈黙していた戦闘狂が、とうとう動き出してしまった。
わたしは閣下に肩を抱かれ、胸に頭を押し付けられる。へぶって声が出た。
「いだっ……! いだだっ!」
ちらりと見ると、閣下は左手で、デイビットの腕を握っていた。骨まで砕きそうな勢い。
―うわあ、痛そう。
「君たちに爵位を与えるのは、善良な民から際限なく金を吸い上げるためではないよ」
閣下はパッとデイビットの腕を放した。デイビットは無様に椅子の上に倒れこみ、痛みに悶絶している。
「皇室は君たちを監視しているよ。連れていって」
「はっ」
保安隊が三人を引き連れていく。マーカス伯爵は腰が抜けたようで、保安隊に引きずられていた。
終わった。
ほっとして、小さく息を吐き出す。すると耳元で「お疲れ様」と囁く声が聞こえた。
「ひぇっ!」
首の裏がぞくぞくして、間抜けな声が出てしまった。そうだ。まだ閣下に抱きしめられたままだった。
ふと見上げると、白皙の美貌が、目と鼻の先にあった。
シルバーの髪に、象牙で彫ったような整った鼻筋。甘く下がった目元。中性的な顔立ちの閣下は、わたしより三歳年上の22歳。皇妃譲りの紅い瞳は、爛々と輝いていた。
「あの、閣下……そろそろ離してくださいませんか?」
「え、やだ」
「やだって、……どうしてですか?」
「リアの体が震えているから」
優しい手つきで背中をなでられ、自分の手が震えていることに気づいた。
小刻みに震えている手をぎゅっと握りしめる。
強くなったと思ったのに。
理不尽に暴力をふるわれそうになることも。怒鳴られることも。
一年前に保安隊に入ってから、経験してきたことだ。なのに、まだ怖くて震えている。慣れない。
でも、もっと慣れないのは、閣下に抱きしめられ、よしよしされることである。
「離してください」
「まだガクガクしているよ?」
「高貴な体に触れている恐怖です」
閣下の肩を押して、離れようともがく。しかし、閣下の抱擁は固く、びくともしない。それは、閣下がどえらく発達した筋肉の持ち主だからではない。
左腕が、筋電義手だったからだ。
指の関節まで動く最新の義手。手は人工の皮膚で覆われていて、パッと見では人間の手、そのものだ。
義手はとてつもなく重いため、一般的に実用化はされていない。それをやすやすと使う閣下は、普通ではないのだろう。
密着。というよりも拘束されたわたしは抵抗を強めた。
「かたい! なんてかたさなのっ!」
「ベッドの上で言われたら、ぐっとくる台詞だね」
「ぐぬぬぬ! 離れてくださいっ! 事務局に戻って、仕事をしなければ!」
「もうちょっとトキメキがあっても良さそうなシチュエーションなんだけど、リアは真面目だからなあ」
閣下はわたしを愛称で呼ぶ。親しみを込めて、というよりは含みのある声で。きっと、からかっているのだろう。
もがき続けること10分。ふいに閣下がパッと手を離してくれた。後ろに倒れそうになったけど、踏ん張って体を起こす。
わたしは乱れた髪を手ぐしで直し、ななめにズレた伊達メガネを両手で元の位置になおす。
「保安隊事務局に戻って、ミス・シャロンの取り調べをしますね」
「少し、休めばいいのに」
「令嬢への対応は、わたしが担当ですから」
「女性の保安隊員がもっと増えればいいんだけど」
「それは難しいでしょうね。荒事が多いですし」
「試験も難関だしね。ま、どこかの誰かさんは試験をやすやすと突破したけど」
閣下がニヤリと意地悪く笑った。わたしのことを言っているのだろう。
「閣下の助力があったおかげです。ホントウニ、アリガトウゴサイマス」
「うわぁ、感謝の気持ちがこもっていない」
「閣下のことは、常日頃から敬愛しておりますわ」
「こっち向いて言ってよ」
くすくす笑う閣下の顔をまともに見れなかった。抱きしめられた感覚が残っていて、なんだかとっても恥ずかしい。思わず、鞄を握りしめる。
手の震えは、なくなっていた。
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