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5 脱税したら、お金を納めましょう
昼休憩中、食事を終えたわたしは日課である新聞に目を通していた。保安隊では、国交が開いている国の新聞が多くあるためだ。
「……今日も、変わりはないか……」
記事を見終え、手帳を開いてメモを取る。食事代も書いた。わたしは借金があるので、節約中だ。
買ったものや使った金額をこまめに書くようになったのは、父の影響。帳簿は、自分がどこにいるか分かる目印だ――というのが、父の口癖だった。
父は厳しい人で笑ったところをほとんど見たことがない。ふと、父の顔を思い出し、ツキンと胸の奥が痛む。わたしは肩をさすって、痛みを和らげようとした。
「アメリアさん、お疲れですか?」
不意に声をかけられ、わたしは立ち上がって敬礼をした。
「ペーターさん、お疲れ様です」
「はい。お疲れ様」
敬礼を返してくれたのは、保安隊の先輩、ペーターさんだった。焦げ茶色の短髪に、くりっとした大きな瞳。十代みたいな顔立ちだけど、三十代らしい。童顔モンスターと密かに呼んでいる人だ。
「お気遣い、ありがとうございます。大丈夫です」
「そうですか」
ペーターさんはデスクの上にある新聞を見た。
「ものすごいスピードで新聞を見ていましたね」
「……見ていたんですか?」
「しゅばばばっ!って、音が出そうだなーと思いました」
ペーターさんが真顔で拍手する。絶賛してくれているらしい。
「そんなことないです」
「いやいや。五ヶ国の新聞を読める人は、なかなかいないです」
「ははは……」
余計なことは言わずに笑ってすまそう。
「それによくメモしてますよね?」
「あ、……買ったものを書いておかないと落ち着かないんです」
「へー、アメリアさんは真面目ですね」
曇りなき目で言われてしまい、居心地が悪い。話題を変えよう。
「昨日の逮捕、どうでしたか?」
「閣下がいなかったから、全員、息をしている状態で刑務所に引き渡せましたよ」
「閣下がいると、刑務所ではなく、まず病院に行かなければなりませんものね」
「そうそう。アメリアさんが来る前は、ひどかった。刑務所長から、「頼むから半殺しにしないで容疑者を確保してくれ」と泣きつかれましたもの」
「……ご苦労をお察しします……」
ペーターさんは小さく笑う。あ。笑顔なの、珍しいな。
「閣下はアメリアさんが来てから雰囲気が変わりましたね。いいことです」
「そう、でしょうか……?」
「さすが、ペーター君。よく見てるね」
ペーターさんとわたしの間に、にゅっと白い肌が割り込む。ひぇっと、声が出て、椅子から落ちそうになった。
慌てるわたしに対してペーターさんは、真顔で敬礼をする。
「気配消して近づくのやめてくださいよ。ちょー、怖い」
「はははっ。たいして怖がっていないくせに。嘘つきのペーター君には、追加の仕事だよ」
閣下が敬礼をして、ペーターさんに書類の束を渡した。
「わー、笑顔が鬼畜だー」
「また婚約者同士のもめ事だよ」
「多いですね。やっぱり、一年前にあったサイユ王国の婚約破棄騒動のせいですかね」
ペーターさんの何気ない言葉に、腰のあたりがヒヤリとした。
「第二王子ブリュノ様でしたっけ? 婚約者だった公爵令嬢の爆破未遂事件を暴いて、男爵家の令嬢と成婚されたのですよね」
「他の国の話だよ」
「そうですけど、あの事件以来、恋愛志向が高まって、令嬢と令息の婚約解消が増えました。きちんと順番を守ればよいものを恋に盛り上がって、一方的に解消する人が多すぎです」
「そうだね……何を勘違いしているのか」
閣下がわたしを見る。鋭さはなく、とろけるチーズの眼差しだ。
「愚者は、真実を見る目を失ったんだろうね。――俺は猟奇的な男なのに、誰も信じてもらえないように」
「あ。それは、みんな信じてますから、安心してください」
ペーターさんが真顔でつっこんでる。いつの間にか強ばっていた肩から力が抜けていた。くすっと笑って、閣下に話しかける。
「皇后陛下への報告は終わったのですか?」
「うん。リアのことを褒めていた。向こうで詳しく話すね」
ウインクした閣下に、こくりと頷いた。
閣下は自室へ行くというので、着いていく。話題は自然に、皇后陛下の話になった。
「母上と話したんだけど、マーカス伯爵領は、皇族領にするって」
「では、マーカス伯爵は奪爵ですか」
「うん。裏帳簿が見つかったんだ。マーカス領は小麦の税率が改竄されて、通常の倍になっていたよ」
「倍……それでは、農民の生活は苦しいでしょうね……マーカス地方は農村ですし……」
「それと、家の窓の多さで税を取るとか、好き勝手やっていて、マーカス領はボロ屋ばっからしい」
「ひどい」
「そうだね」
「帳簿は、複式簿記ではなかったのですか?」
「それが、違ったらしいよ。母上がカンカンで、財務大臣を呼び出していた」
領地の経営は、その土地を受け継ぐ者に任されている。ただ、年に二度、皇室へ報告義務があった。
脱税する領主が後を絶たないので、帳簿をお金の流れがわかりやすい複式簿記に変えて提出させているそうだ。
この複式簿記は計算方法が複雑で、一般的ではない。専門の学校で学ぶ必要がある。
「脱税ですか……では、過去を遡って返金の義務がありますね。金額によりますが、伯爵家の調度品を競売に出せば、まとまったお金になりそうですね。廊下には確か有名な画家の――」
「つんっ」
「……指で頬をつっつかないでください」
早口で言っていたら、なぜか閣下の指が頬にめり込んでいた。
「おしゃべりがすぎると、正体がバレるよ? 君のつむじみたいに」
つむじ、と言われて慌てて、脳天を手で隠す。
「ハゲてきていますかっ?!」
「うっすらと」
「大変っ!」
わたしは脳天を隠したまま大股で歩きだす。早く、早く閣下の部屋に行かなければ!
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