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三十分くらいたってから起こしてあげればいいだろう――。
私にも睡魔の手は伸びてきていたが、それまではお茶と雑誌でやりすごそうと考えた。そのためには濃い目に淹れたコーヒーの方がいいかもしれないと思いつき、キッチンへ行こうと立ち上がった時だった。
「りょうこさん……」
そうつぶやく低い声が耳に入り、心臓がドクッと鳴った。
起きたのかと思い補佐の顔を覗き込むが、眠っていた。
寝言――?
私の聞き違いでなければ、今聞こえたそれは私の身近にいる人と同じ名前だった。それだけで同一人物だと決まったわけではないのに、心の中にもやもやとした感情が広がり出した。
いったい誰の夢を見ているのですか?その人のことが好きなのですか?そして私はどうしてそんなことを気にしているの?会ったばかりでどんな人なのかも知らないのに。私よりはるかにずっと上の立場の人だというのに。
気づけば自問自答を続けていたが、いつの間にか床の上で眠ってしまっていたらしい。目覚めた時、私の体の上には毛布が掛けられていた。
「補佐……?」
点いたままの照明の下、辺りを見回したが彼の姿はなかった。
「帰ったのね……」
起き上がろうとして、体のあちこちに地味な痛みを感じる。
「いたたた……」
首をさすりながらもう一度部屋を見渡して、私はテーブルの上のメモに気がついた。
迷惑かけて本当にすみません
テーブルの上にあった部屋の鍵を借ります
鍵はドアポストに落としておきます
このお礼は後日改めて
山中
読み終えて、私はため息をついた。
「お礼ね……」
社交辞令だと思った。互いの連絡先を知らないのだから、今後補佐と個人的に会うことはない。とても忙しい人だと聞いているし、彼の言う「お礼」の機会など来るはずがない。
ほんのわずかにでもおかしな期待をしないように、私はそうと決めつけた。
カーテンの隙間から窓の外が見えた。間もなく朝だ。夜の色が薄らいでいくにつれて、部屋に残っていた補佐の気配も一緒に薄れていくようだ。それをふと寂しいと感じる自分に私は苦笑した。
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