1.初対面の日

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「いや、たいしたことじゃないよ」 補佐は笑って私の質問をはぐらかす。 その表情の中に照れ臭さがのぞいて見えたような気がした。 気になったが、重ねて訊ねることはしない。しつこい女だと思われたくないから。 食事を終えて、補佐が伝票を手に取った。 「出ようか」 「は、はい」 私は手荷物をまとめて補佐の後に続いた。レジの前で財布を出そうとしたが、彼に止められた。 「これはお礼だから、ね?」 「でも……」 と言いかけて、私は財布をバッグに戻す。ひとまず支払いをお任せして、後日何かの時にお返しすればいいのだ。 「ありがとうございます」 私は礼を言って、少し離れた所で彼が支払いを済ませるのを待った。その間に、あることに気がついた。 同じ会社で働いてはいるが、顔を合わせる機会は今後あるのだろうか――? 「帰ろうか」 補佐に促されて店の外へ出た。 この人とこんな風に会えるのは、これがたぶん最後だ――。 そう思ったら、胸の奥に小さな痛みが走った。まるで棘でも刺さったような痛みだ、と戸惑う。 補佐が足を止めて私に向き直った。 「色々とありがとう。気を付けて帰って」 「はい。私の方こそご馳走さまでした。それではこれで」 補佐との時間はとても楽しかったから、名残惜しさが心の中に広がったのは仕方がない。せめてこの気持ちを彼に伝えておきたいと思った。 それまで私は補佐の顔を直視できないでいた。恥ずかしさが先に当たっていたからだったが、これがたぶん最後になると思った私はこの時初めて彼の顔を真っすぐ見て、心を込めて言った。 「本当にありがとうございました。お話しできて、とても楽しかったです。いい勉強と、記念になりました」 「大げさだよ」 補佐は苦笑し、それから付け加えた。 「岡野さんが天然っていうのは本当だね」 「え?」 聞き返す私に、補佐は少し考えるような目を向けた。 「記念という名の思い出にされてしまうのは、なんだか寂しい気がするな。だから、またね」 補佐は爽やかな笑顔を見せると、くるりと背を向けて私の前から去って行った。 彼の後ろ姿を見送りながら、私は呆然としていた。 「またね、って言った?」 その言葉の響きに、胸がトクンと鳴った。自分に都合のいいように考えそうになるのを止めるために、私は自分に言い聞かせる。 ――ただの社交辞令に決まってる。 けれど、それは無駄に終わった。「またね」という三文字の言葉は私の心の中にじわりとしみ込んだ。
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